21 私は貴方を愛してる。
アムドゥシア王国立貴族学院の卒業式は3月の下旬に行われる。
春の真青い空には雲1つなく、桜の木々は早咲きのものから幾つもの蕾を開き、枝から下げた花束でもって輝かしい季節を飾っていた。
前世日本よりも遅いのは『聖ヒロ』ゲームの(主にトールのバッドエンド)イベントの都合もあるのだが、卒業生がギリギリまで進路選択に時間をかけるから、という側面があるらしいことをメルカは転生してから知った。
文官や騎士といった王宮勤めのお堅い職は年明けには内定が出るのだが、魔法師団に入る場合は入団試験が3月初めにあるとか、学院に残って研究を続ける道に進むなら狭き門をどうにかして渾身の論文でこじ開けるとか、色々大変らしい。
王国で最も高貴なお嬢様であるメルカには進路なるものは他人事であった。
卒業式は学院の建物の中で最も大きなホールにて行われる。
ダンスホールと音響設備がついているので、立食パーティーにダンスの要素を足した風の舞踏会的な式典だ。
式の初めに在校生代表が送辞、卒業生代表が答辞を述べる時間があるあたり、日本のあの適当プロデューサーの開発したゲーム世界だなともはや安心感まである。
日本と違うところといえば、必ず王族が1人は臨席するしきたりがあり、卒業生は臨席する王族のうち最も高位のお方から名前を読み上げられる儀式があるところだろうか。
今回の卒業生にはカナン第二王子がいることもあり、国王陛下と王太子クリスが2人とも来臨している。
つまり今年の卒業生は全員国王陛下から名前を読み上げてもらえるわけだ。
前世日本では担任の教員であったというのに、随分な差である。
『聖ヒロ』原作ゲームではメルカの伯父にあたる優しい国王陛下はどのルートでも亡くなっていたので、その生存を改めて実感し、しみじみと感慨深い。
既に送辞と答辞、国王陛下からの卒業生の名前の読み上げは終わり、ダンスをする生徒と軽食をつまみながら学生として最後の雑談をする生徒らに分かれていた。
卒業式でのダンスは大分砕けた形式をしており、同性同士で踊っても許される。
無論、婚約者の居る者は他の異性と踊ってはいけないという明文化されたルールがあるのだが、ダンスホールには煌びやかなドレスの女生徒同士の組み合わせが踊っているのがチラホラ見える。
男性同士の組み合わせはほとんど見かけないあたり、女性と男性の友情の差を感じて不思議である。
そんな中、メルカは軽食コーナーを近くに、ノンアルコールのシャンパンのグラスを傾け、ミカエルと雑談をしていた。
ちなみに卒業式で出される飲み物は全てノンアルコールである、昔、王族の臨席する式典であるというのに酔って羽目を外した慮外者がいたとか。
ミカエルは夜会のときとは違う、飾りのシンプルな聖人としての正式礼装を着ていた。
薄灰色の詰襟の長袖の上衣の上に金色の刺繍で縁取られた光沢ある白い布の教会風のベスト、パンツも白い生地に白い糸での刺繍が入った真っ直ぐで神聖な雰囲気のスラックス、靴もベルトも白い皮で作られている。
メルカは式典の格に沿うよう、黒から青へと移り変わるグラデーションのプリンセスラインのドレスで、デコルテと指先から二の腕までと、裾から僅かに見える足首との3箇所は紺の糸で精緻な刺繍が施された伸縮素材の布で覆われている。
あちこちに小粒の薄い色のブルートパーズやダイヤモンドが煌めいていて、色合いは地味だがやはり1着で王都に家が複数は建てられる程度の予算が注ぎ込まれた装いだ。
ノンアルコールシャンパンのグラスをぐいっと煽ったミカエルはメルカの装いを再度見て、不満げな顔を隠さない。
「あ~あ、フラれちゃったな~! 俺フラれるの初めて」
口を尖らせて、世の女性に縁のない男性が聞いたら血の涙を流しかねない発言をするミカエルは聖人の正式礼装に釣り合わないくらい幼げな、ぶすくれた表情をしている。
拗ねたミカエルに苦笑を返すメルカの首元には、レースと布でほとんど隠れているもののチラと白い包帯が見える。
「ホント、メルって男の趣味悪い」
包帯を睨んでミカエルは毒づく。
「絶ッッッ対俺の方が良い男なのに~」
ブツクサと言うミカエルの言葉にメルカは遠い前世を思い出して、クスクス笑った。
「久しぶりに聞いたわ、それ」
前世でトールの話を聞かせる度「メルって男の趣味が悪いよ。」と微妙な顔をしていた女性の姿に懐かしさを覚える。
今はもう、男性の姿と声に慣れてしまったけれど。
カパカパとノンアルコールシャンパンを自棄飲みしていたミカエルは、メルカの後方へ視線を向けて拗ねていた顔を明確な顰め面に変える。
ミカエルの変化を見てメルカが振り返る前に、メルカの腕が隣からガシッと掴まれる。
刺激にならないくらいの清涼なハーブの香り、メルカがこの世で一番大好きな香水の匂いに、メルカは安心して顔を綻ばせた。
「トール様」
呼びかける声に相変わらず返事は無いのだが、メルカは改めてトールの服装を見て、更に顔を明るくした。
トールは皺ひとつない白いシャツの上に自身の髪色より少し暗い色のジャケットとスラックス、黒いストレートチップの靴という出で立ちであるが、胸元のポケットチーフは深い緑色のシルクで、新調された髪飾りは薄い金色をしている。
メルカはメルカの腕を捕まえたままミカエルと睨み合っているトールを見上げて尋ねる。
「お兄様とのお話は終わりましたの?」
「終わった」
トールはそう言うものの、王族用の席からクリスがこちらを見て綺羅きらしい笑顔を浮かべている。
あれは心から状況を面白がっている意地の悪い笑みであるとメルカには分かった。
クリスの表情から推測するに、トールは必要な会話も最低限に切り上げてこちらへ来たのだろう。
ジャブとばかりにミカエルが白々しく口元だけ笑みの形にしてトールを煽った。
「親友との心温まる交流を邪魔しないでもらえます~?」
「黙れ、貴様に邪心があることなど分かり切っている」
トールはメルカの腕を痛みに変わる前ギリギリの強さで掴んだまま乗せられている。
こんなに煽り耐性が低くて大丈夫なのだろうか、いや、トールはミカエル相手でなければ大抵は冷静に言葉でもって切り捨てるので問題ないだろうけども。
「心の狭い男は女性にモテませんよ~」
「必要ない」
ミカエルの、クリスから何かが移っていないか心配になる底意地悪そうな笑みを、トールはフンと鼻を鳴らして跳ねのける。
それを聞いたメルカはたちまち顔いっぱいに花のような嬉しさを浮かべて口を挟んだ。
「だってわたくしが居ますものね!」
メルカの言葉に、トールがぐうと唸りでもあげそうな、不本意極まりないという顔をして黙り込む。
そのやりとりを見てミカエルは呆れた風にため息をつき、やれやれと肩を竦めて見せた。
「……行くぞ」
ミカエルと顔を合わせているのも嫌なのか、トールはメルカへ返事をすることなく、メルカの腕を引いてダンスホールの方へ向かった。
メルカは空いたグラスを近くの使用人へ預け、迷うことなくついていく。
「またね、メル」
「ええ、また。ミカ」
ミカエルは険のない、少しだけ寂し気な声でメルカへ手を振り、メルカは晴れやかな声でトールに捕まっていない方の手を軽く振った。
そして心底楽しげにクスクス笑いながら、ピッタリとトールの腕へ両手を絡ませ、身を寄せる。
メルカがトールを選んだ日の、その後の話。
あの後、体感でほんの1時間もしないうちに、クリスがミカエルと近衛騎士の中でも口の堅い者たちを連れて、ケムエルン侯爵家の別荘邸まで来たので、メルカは非常に大変であった。
いや、メルカは主に脱水症状で死にかけていたし、トールもほとんど放心状態であったので、助けが来たこと自体は良かったのだが。
メルカとトールが2人で倒れていた(客観的に見ればそうなる)部屋の状態、そしてメルカとトールの姿を一目見て全てを察したらしい超人クリスは当然、珍しくも厳しい顔をしたが、メルカは掠れ声のまま、「宰相閣下がわたくしを拉致監禁し、トール様へ洗脳魔法をかけて魔王の器にしようとしたのです。」と半分くらいは合っていなくもない大噓をこいた。
魔法の気配など、クリスにはすぐ分かる。
トールが洗脳魔法をかけられていた事実はなく、メルカの言うことは嘘であるとクリスには1秒で分かっただろうに、どんな気まぐれを起こしたのか、意外にもクリスはメルカの案に乗った。
メルカの密告によって特定された、王都の隠された邸に潜伏していた宰相はクリスとその手の者によって秘密裏に捕縛され、その1週間後には毒杯を賜ったという。
公式には宰相は突然の病死と発表され、ケムエルン侯爵家の全てを急にトールが継ぐことになった。
流石に学生の身で宰相職を務めることは出来ず、中退というわけにもいかないため、トールが学院を卒業するまでは、宰相の仕事は宰相室の高位文官とクリスの采配で回されているそうだ。
宰相室勤めの文官たちは残業続きながらも、主にクリスの手腕によって、この学院の卒業式まで、国家運営は恙なく行われている。
しかし魔王復活と国王陛下の弑逆を企んでいた宰相に、公爵令嬢を拉致監禁した嫡男である。
客観的に判断するならケムエルン侯爵家の取り潰しと双方の死が妥当な処理だと考えられるが、そうはせず、ケムエルン侯爵家を宰相職を継ぐ家として残し、トールを後継として据えたままにした判断について、メルカは卒業式より少し前に、クリスへ尋ねていた。
何かとんでもない裏があって今後のトールの心身が危険であったらいけない、という理由であるところが、メルカのクリスへの信頼のイマイチな低さである。
クリスが事も無げに言うことには、王家支持派閥の安定を維持するため、それからトールレベルの使える人間を1から育て直すのは面倒だから、だそうだ。
メルカも流石に、それが全てだとは思っていない。
あの日片時も離れなかったメルカとトールの姿を見て、絆された部分はいくらかあるのだろう、何せクリスはメルカをはじめ、身内には意外と甘いのだ。
別荘邸へ助けに来た時のクリスの顔、いつも優美な笑みを浮かべている端正な顔に焦りが見えたのはこの17年間で初めてのことであり、メルカはクリスの情の深さを再認識した。
底意地は悪いが憎めない、慕うべきお兄様、であることは今後も変わらないだろう。
どちらかといえば、ミカエルを宥める方が大変であった。
ミカエルはメルカの手首と足首、何より首に残る手形の痣を見て烈火のごとくに怒り、その場でトールをぶち殺そうと剣まで抜いた。
放心状態のトールが抵抗しようとしなかったので、メルカが慌ててトールを背後へ隠し、「トール様が死んだらわたくしも死にます。」とまで言い切った。
メルカが1歩も退かないことが分かったのか、言いたいことは100以上あるけれども、と遺憾ながらもミカエルは渋々剣を収めるに至ったのである。
卒業式の今日まで、メルカはミカエルから懇々と説教を聞き続けたけれど、大いに心配をかけたし今後もかけることを思えば仕方ない、と神妙に聞いていた。
そんなミカエルであるが、卒業後は聖騎士としてクリスの下で働くらしい。
てっきり冒険者に戻るものだと思っていたメルカは驚いたが、ミカエル曰く、新年祭の時には既にクリスへ自分を売り込んで、将来を決めていたそうだ。
「前世の仕事に似ているところがあるし、いざという時メルを近くで護れるし。メルを養う甲斐性もあるから、そのクソ野郎に愛想尽きたらいつでも俺のところへ来て良いよ」
などと爽やかな笑顔で毒を吐き、同席していたトール(監禁事件後、メルカをほとんど1人にしなくなった)を煽りに煽り倒すものだから、こめかみに青筋立ててその場でティーカップをミカエルへ投げつけようとするトールを止めるのに、メルカは随分と苦労したものだ。
魔王復活、そして国王暗殺を企てていた宰相の動機や詳細な計画については、国家機密として扱われ、今現在はメルカやトールにさえ知らされていない。
ただ、この卒業式が終わってすぐに宰相という要職に就くことが決められているトールは、クリスの判断次第ではあるものの、いずれはその全てを知ることになるだろう。
父親の企みによって命を落とすところであった、くらいのことはトールももうとっくに理解しているだろうが、あれだけ父親からの愛を希求していたトールが、その父親から殺したいほど憎まれていたと知ったとき……どんなに悲しむだろうか。
そう思って物憂げな顔でぼんやりとしていたメルカへ、上から不機嫌な声が降ってくる。
「何を考えている」
視線を上げれば、仏頂面ここに極まれりのトールが、メルカを睨むように見下ろしていた。
今はダンスホールで、卒業式にふさわしい、晴れ晴れとした雰囲気の曲に合わせ、トールと踊っているところである。
睨むように鋭い目つきながらも、トールの澄んだ水色の瞳には、メルカだけが映っている。
ああ、そういえば……トールの瞳に映るメルカの笑みは、ケムエルン侯爵家本邸の玄関ホールで見た故ケムエルン侯爵夫人の肖像画、それから前世の覚の母と、似ているように見えた。
メルカは既に知る由もない2人の女性の心を思って、しかし不思議とそれを理解出来る気がした。
「もちろん、トール様のことを」
少し踊りづらいくらいにトールとの距離を詰め、メルカは満面の笑みで返す。
トールはメルカを映したままの瞳を逸らすことなく、しかし苦虫を噛み潰したような顔をする。
およそ卒業後すぐに結婚式を挙げるカップルの様子ではない。
けれども手を取り合ったメルカとトールの左手の薬指には、石の色以外は同じデザインの、華奢な指輪がはめられている。
トールの指輪には深い色のエメラルド、メルカの指輪には澄んだ水色のサファイア、互いの瞳の色を使った婚約指輪は、王国において確かな愛の証とされている。
不機嫌を顔いっぱいに表現しているトールと、楽し気なメルカのカップルは、卒業式のダンスホールでは浮いていた。
学院の周囲の生徒たちの中には、未だ気の毒そうにメルカを見ている者、ミカエルとの仲を噂する者がいたりもする。
確かに、メルカがミカエルの手を取って踊っていた方が、誰から見てもハッピーエンドそのままの景色であったことだろう。
ふわりとスカートの裾をステップに合わせて広げたメルカの頭の中に、遠い昔の、おとぎばなしを語る母の声が蘇る。
――いつか貴方にも分かるかもしれないわ。正しくなくても、祝福されなくても、どうしても手放せない愛があるのだって。
トールを見上げ、繋いだ手をきゅっと強く握って、メルカは世界一幸せに微笑んだ。
メルカとトールの間にあるのは、歪で、いつ破綻してもおかしくない、およそ神から祝福されるような正しい愛ではない。
メルカの首の包帯の下に未だ薄っすら残る、蛇の締め付け痕のような痣がその証拠だろう。
一生、互いに傷つけあうとしても、互いの愛が相手を幸せにしないかもしれなくとも、メルカはトールから、トールはメルカから離れられない。
楽園は遠く、決して安穏でない、依存や歪みとも名付けられる、呪われた、蛇のもたらした愛だとしても、それでもメルカはトールと一緒に生きていく。
死が2人を分かつまで。
それで、いや、それが良いのだ。
他の何より、トールが良い。
メルカを見張るように、ひと時も目を離さなくなったトールと、メルカの視線は真っ直ぐに重なっている。
2人の瞳には、互いの姿だけが映っている。
生まれ変わりなどという数奇な巡りあわせを経ても、メルカの心は変わらない。
たとえ地獄の焔に焼かれるとしても、私は貴方を愛してる。
正確には明日、後日談となる番外編が1話掲載されますが、メルカとトールのお話はここで一区切りとなります。
最終話までお付き合いくださり、誠にありがとうございました。




