01 ヤンデレホラー令嬢
前半にグロテスク描写があります。
苦手な方は飛ばしてお読みください。
それはアムドゥシア王国立貴族学院卒業式の2週間前のことだった。
初春の綿雲が真青い空にのんびりと浮いて、木々は枝先にいくつも暖色の蕾をつけ、輝かしい季節を待っている。
ケムエルン侯爵家所属の騎士団一個小隊とトールがロマリウス公爵家領――本来、トールにとっては縁深い場所であるべきだが、彼は今回初めて立ち入った――の避暑地へ足を踏み入れたのは、朝の陽射しも強まる9時頃だった。
トールが父へ頭を下げ、ケムエルン侯爵家の表裏双方の情報網を駆使し、手がかりを入手してからまる3日。
王都から強行軍で移動した一行は、避暑地の美しい風景にはそぐわないくたびれ切った様子であったが、ただ1人、トールの目だけはギラギラと激しい怒りや憎しみを滲ませて、力強かった。
トールの唯一、生まれて初めて愛という光を彼に教えてくれた聖女ミシェル・アルマロスを攫った、唾棄すべき女が、今もミシェルを捕えてこの避暑地の別荘宮に閉じ込めているはずだからだ。
トールと相思相愛の仲であるミシェルが姿を消してから1週間経つ。
やっとトールが想いを伝え、気持ちを通じ合わせた愛告祭から半月のことで、トールの心は恋しくミシェルを求めて止まなかった。
——絶対に許さない。必ずミシェルを助け出し、そしてあの、諸悪の根源たる女を断頭台に立たせる。
その決意1つで、トールは王都からの荒れた移動に耐え、疲れを滲ませながらも、目的地である別荘宮の入口に両の足でしかと立っているのだ。
別荘宮は不自然だった。
ロマリウス公爵家の別荘宮ともなれば、宮とつくように普通の貴族の別荘とは違う、王族も利用できるほどの広さと優美な堅牢さを誇る。
本来なら、他の貴族家、たとえ領主の娘の婚約者の家の者であったとしても、武装集団などまともに近づけない厳重な警備が敷かれているはずなのだ。
だというのに、トールが小隊とともに正門前に立っても、周囲は静まり返っており、別荘宮に人の気配はなく、門番の1人さえ居なかった。
聖女の監禁にあたって、諫めた周囲を権力で遠ざけたか――そう推測したトールは、強い軽蔑を抱きつつ、小隊へ開門を命じる。
大人しいだけが取り柄の女とばかり思っていたが、やはり本性は生母と同じなのだろう、忌々しい……トールは別荘宮を睨み据えた。
呆気なく門が開き、トールは駆け足で別荘宮の中を検めていく。
誰も居ない。
玄関ホールのシャンデリアは日の光と共に広間に光の筋を作り、空中に漂う埃の多さを強調していた。
「誰か! いないのか!」
トールの声は返事を得られず、虚しく別荘宮に響く。
不気味な静けさが、チリチリとした焦燥をトールの後頭部に疼かせた。
トールは小隊と手分けして、部屋1つ1つを確かめていくも、どの部屋も1週間は人の手の入った様子がない。
結局別荘宮の本邸はもぬけの殻であったため、トールは小隊と合流し、雑草の生え始めて荒れた中庭を通り抜け、小さな離れへと向かった。
屋根付きの渡り廊下を移動するうち、プンと……トールの嗅いだことのない、しかし生理的に嫌悪感を覚える臭いがした。
小隊長が顔を強張らせ、トールを後ろへ下げようとする。
だがトールはミシェルを助けに来たのだ。
このようなところで躊躇うものかと、小隊長の言を無視して渡り廊下を突っ切り、そして離れのかわいらしい意匠の扉を開け放った。
赤。
赤、赤、赤がトールの視界を埋める。
鉄錆びの臭いを帯びたぬるい生臭さが、トールの顔面を舐めるようにゆっくりと這った。
離れとはいっても、公爵家の別荘宮である、まず広間があって、そして上階への階段や各部屋への扉が奥に配置されているのであるが……正面の階段の踊り場を中心に、赤黒いペンキをぶちまけたように、品の良い壁紙もカーテンや絨毯にも、じっとりと赤が飛び散り、染み込んでいた。
その赤が血だと気づくまでに、トールはしばしの時間を要した。
トールは思わず嘔吐きそうになって、俯いてしまう。
その視線の先、足下の絨毯へも、じわじわと赤い液体が浸食してきていた。
そして、凄惨な赤の中心、階段の踊り場の方から、小さな音がしているのに気づいたトールはハッと顔を上げる。
入口に背を向け、踊り場に座り込んで俯いている、小柄な女性――トールはそれがミシェルだと信じた。
頭から血を被ったその女性は髪色も分からなかったし、身に着けている教会風のドレスはミシェルと過ごした日々の中で見覚えあるものだったからだ。
「ミシェル! 僕だ! 助けに来た!」
そう叫んで、足下でグジュグジュ鳴る血だまりを努めて無視し、トールは踊り場まで駆け上がった。
トールが手を伸ばす前に、その女性は振り返った。
赤黒く染まったその顔は……果たしてどちらのものであったとしても、判別に一拍以上の時間を要しただろう。
血で前髪がベッタリと顔に張り付き、細い顎先からはボトボト音を立てて血が滴っている。
顎から上へ視線を動かせば、上品な小さい口から、血管の浮き上がった濃いピンク色の……トールの博識が仇になり、それが何かをトールに理解させた。
人間の小腸だ。
クチャ、クチャ、といくらか咀嚼をし、女がそれを呑み込むと、口からはみ出していた小腸の端がドレスの上にベシャ、と落ちた。
"昏い緑色の瞳"をしたその女はトールの姿を認めると、場に不釣り合いな大輪の笑顔を浮かべ、鈴のようだと賛美された澄んだ声でもって、名前を呼んだ。
「トール様!」
開かれた口の中にはホールの混沌を凝縮したかのごとく血と肉片が残っていて、真っ赤に染まった歯などは、見るも悍ましい様をしている。
その女は真っ赤に染まったミシェルの服を着た、憎むべきトールの婚約者、メルカ・ロマリウスであった。
トールが目を見開いている間に、メルカは血で固まった睫毛を煩わしそうにしながら目を細め、心底嬉しそうに声を弾ませる。
「やっと、やっと迎えに来てくださったのですね。やっぱりわたくしは間違っていなかった!」
間違う? 何の話だ、ミシェルはどこだ、と問う前に、メルカは足元にあったものの一部を手にして頬ずりをした。
人間の、白く細い左手首だ。
その薬指には、トールが愛告祭でミシェルへ贈った、ミシェルの瞳に合わせた夜空色の石のついた指輪がある。
メルカの前には、服を着ていない、腹を裂かれ顔を削ぎ落され、胸、足、何ひとつ原型を留めていない、赤黒い血肉の中から白い骨が飛び出して散らばっている、おそらく、と形容する他ない、人間の残骸があった。
その残骸が、愛する、愛していた、たった1人の、助け出すはずだった、清らかなる女性だと、認めることはあまりにトールに残酷だった。
メルカは手にした左手首から夜空色の指輪を外し、自分の左の薬指へ嵌め直して、ヴェールを持ち上げられた花嫁の顔で笑んだ。
「ね、これでわたくし、彼女とおんなじでしょう?」
と、いうのが乙女ゲーム『聖女ヒロインになろう』、通称『聖ヒロ』の攻略対象の1人、トール・ケムエルンのバッドエンドルートである。
乙女ゲーム『聖女ヒロインになろう』……何だかもう名前からしてやっつけだとかいうご意見は開発段階から出てはいたのだが、コンセプトを鑑みて「こういうのでいいんだよこういうので」と開発プロデューサーが語ったというのは、ファンの中ではよく知られた(極めて無礼な)話だ。
『聖ヒロ』の開発コンセプトはWeb小説における乙女ゲーム概念の再現、である。
大型小説投稿サイトを見ると、大抵のランキングに悪役令嬢もの、あるいは婚約破棄もの、と呼ばれるジャンルの小説が燦燦輝いている。
バリエーションは様々あるものの、おおよそは架空の乙女ゲームの中に出てくる悪役に生まれ変わってしまい、酷い目に遭う運命を変えようと奔走する主人公、という芯が主軸にある。
ただ、現実に存在する乙女ゲームの類……無論例外はあるけれども、それらには悪役令嬢という立ち位置のキャラクターは存在しないことが多いし、作品の世界観も大型小説投稿サイトの主流である剣と魔法の貴族学園、ではないことが多い。
それを分かった上で楽しんでいる層が多い中、『聖ヒロ』の開発プロデューサーは現状を嘆く派閥であったらしい。
そして流行を糾弾するでもなしに至った道が、「無いなら作れば良いじゃない」だったのだ。
それを可能とする資金と人脈と行動力があってしまったものだから、乙女ゲーム『聖女ヒロインになろう』は爆誕してしまった。
17歳以上向け、という年齢制限付きで。
家庭用ゲームは、内容によって遊べる年齢層を審査する機関が年齢制限を敷くものなのだが、それが17歳以上だったのである。
発表された時、情報を追っていた乙女ゲームユーザーたちは期待と動揺でざわついた。
もしかして……えっちな展開があるのではないか、本番は無いにしてもそういう描写がある程度濃いのではないか、そういう方向に。
利益率を無視した道楽企画開発ゲームであったため、名うての絵師による非常に美麗な攻略対象のイラストと、オタクなら1度は聞いたことがあるだろう豪華声優陣のキャスティングが既に発表されており、このイラストで、この声優さんで、えっ……な展開が!? と期待を膨らませる乙女ゲームユーザーが相当数居たのは責められるべきでない。
蓋を開けてみれば期待されていたR17ではなく、R17Gだった、というのが話のオチだ。
グロテスクの方の年齢制限だったわけである。
しかもグロいのはトール・ケムエルンという攻略対象のバッドエンドのみであること、トールを攻略する場合罠のように仕掛けられたギミックのせいでほとんどのユーザーが初見でバッドエンドを踏んだこと、その上隠しキャラの攻略にはトールのハッピーエンド解放が必須であったこと、その3点の理由により、ほとんどすべてのユーザーがこの阿鼻叫喚ヒロイン惨殺カニバリズム描写とスチルを見る羽目になった。
ネット、SNSは紛糾した。
「プロデューサーお前これがやりたかっただけじゃねえか!」
「どういう需要を見込んでのスチルだよ」
「景品表示法違反で訴えます!」
「1人だけコンセプトから蹴り出すのやめろ」
云々、流石に訴訟までは実際には起こらなかったが、梯子を外された乙女ゲームユーザーの怒りは大きく、この道楽企画ゲームの話題性をそこそこ高めた。
普段乙女ゲーム自体は遊ばない大型小説投稿サイトのユーザー、物見遊山で話題のゲームを実況する動画投稿者、逆にグロテスクスチル見たさで買ったリョナラーなど、本来の乙女ゲーム購買層より分厚くゲームが売れたのは、果たしてプロデューサーの思惑通りだったのか。
ゲームはプロデューサーが投じた道楽資金を回収出来るほどには売れ、コミカライズやアニメ化、二次創作と、無名の開発者の起こした企画にしては盛り上がった。
ちなみにトール以外の攻略対象のルートではグロテスクのグの字もなく、コンセプト通り学園で恋愛して悪役令嬢に怒られて魔王を倒して、とそれなり順風満帆なものである。
その上で様々な理由をもって、『聖ヒロ』は堂々と色物ゲー、クソゲーの謗りを受けることが多かったのだが……これについて開発プロデューサーは全く言い訳の1つもしていない。
世間一般的には、開発コンセプトである"Web小説における乙女ゲーム概念を再現したゲーム"ではなく"変人の作った変なゲーム"として名が売れていた。
そんな『聖ヒロ』というゲームの悪い意味での特異点である、攻略対象トール・ケムエルンの婚約者、メルカ・ロマリウスはファンの間ではこう呼ばれていた。
"ヤンデレホラー令嬢"。
そして祇園寺 覚は、前世ではトール・ケムエルンの同担拒否自己投影型ガチリアコ夢女であった。
界隈外の方にはよく分からない呪文のような肩書について簡素に説明を加えるなら、2次元の男に本気で恋をして様々な手法でその男が自分だけと恋愛している感を目一杯楽しんでいるオタク女だったというところだろうか。
何だかヤバい人のように聞こえるだろう、無論、ヤバい人であった。
オタクの中でも同担拒否の道は険しい。
だって同じものが好きな人と好きなものの話が出来ないので。
自然、思想と自我の強いオタクが煮凝ろうというもの。
一応の名誉のために言っておくと、覚は他者に攻撃的な行為を行うタイプの同担拒否ではなかった。
まあ覚の周辺に『聖ヒロ』などという色物ゲームを遊んでいる友人が居なかっただけという説もあるが。
とにかく重さを問わず犯罪は起こしていないので、存在だけは許してほしい、そういう気持ちで生きていたわけだ。
さて、前世と前述した通り、覚はこれまたWeb小説で鉄板である、記憶を持ったままの転生、というものを果たしていた。
アムドゥシア王国立貴族学院、Aクラス前の廊下にて。
授業が終わったばかりの昼休みの廊下は人通りが多いものの、"いつもの"見世物を面白がっている生徒に囲まれた1組の男女の周りは程よく空間が開いていた。
開けた廊下の中心で、金糸の先が薄く紅づいた柔らかい色の髪を揺らし、暗めの緑の瞳を潤ませ、白い手袋をした手を胸の前で合わせて、1人の美しい女が恋情を吐露する。
「トール様! 好きです! 学生結婚してください!」
一方、告白された側の男、黒に近い青い髪を肩ほどまで伸ばし、サイドでまとめている、冬空色の瞳をした美青年、トール・ケムエルンは切れ長の目を不快げに細めて、言い放った。
「失せろ」
ああ~~~今日もわたくしの婚約者様、萌え萌え過ぎます~~~! これは覚の心の声である。
ヤンデレホラー令嬢、メルカ・ロマリウスに生まれ変わった覚は、1ミリたりとも、推し変出来ていなかった。




