00 遠い昔のおとぎばなし
新作です。完結済みのため、本日3話、明日から1話ずつ公開いたします。
エンディングが完全なハッピーエンドと感じられない方もあるかと思いますので、完全なハッピーエンドをお望みの方にはオススメしません。
創世の世、人の祖は神の言葉に反し、蛇の誘惑に乗って禁断の果実を食べてしまった。
人は神のごとくに善悪を知ったが、決して英明ではなかった。
蛇と共に、神から呪われた人には罪があり、善悪を知るが故に悪へと向かうこともある。
神の子たる救世主が磔刑に処された後も、人はまた悪に耽り、悪に興じ、悪を犯す生き物である。
罪と悪と、神ならぬ愛を知り、楽園を追われた故に。
覚の幼少のみぎり、自宅からバスで30分、そこから子供の足に合わせて歩くこと15分の場所にある、ハイキングコースの敷かれた背の低い山は、観光資源にならず、地元のお年寄りがポツポツと健康維持のため行き来する程度の寂れ方をしていた。
だからコースの脇に生えた茂みの野苺なんかは、鳥以外に摘んでいく者もなく、熟れた赤い実を草の上に落していた。
当時の覚の父は中々忙しい定職に就いており、休日なんてあってなきようなものだったので、幼稚園が休みの日に覚をお出かけに連れていくのは母の楽しみだった。
子供サイズのマスコットキャラクター色のリュックに、水筒とお弁当と少しのおやつを詰めて、母に手を引かれながら山の自然の中を歩く体験を、当時の覚は贅沢と知らず、無邪気に楽しんでいた、と薄っすら記憶に残っている。
母はたおやかで、一見虫も怖がりそうな儚げな容姿をしていたくせ、実際はアクティブの化身、アパートのベランダでアブラムシと格闘しながら野菜栽培などを楽しむ人だった。
そんな母であれば当然、ハイキングコースの脇の野苺を見逃すようなもったいないことはしない。
赤くてつぶつぶしていて、触ると薄い柔毛がふわっとした感触を伝えてくる野苺は、幼い覚の心も魅了した。
母の持ってきたペットボトルの水で洗ってから口に含むと、見かけ通りにつぶつぶした種があるものの、スーパーで売られている苺とは全然違った味わいと甘酸っぱさがあって、わくわくしたものだった。
そうして覚がすっかり野苺へ夢中になっていると、近くの茂みがガサ、と大人しい音を立てた。
見れば、当時の覚の手首ほどもあろうまるまる太った蛇が、うねうね茂みの向こうへ移動していくところであった。
「へ、へびさん、こわい!」
覚が思わず母へしがみつくと、母はクスクス笑って覚を抱きあげて、茂みから遠ざけてくれた。
「そうねえ、蛇さんは毒……痛いいたいの元を持ってることもあるから、気をつけなくちゃね」
「いたいの、こわいぃ……」
ぐすんぐすんと目に涙を溜めた覚へ、母は悪戯を思いついた子供のごとき笑顔を浮かべて言った。
「でもね、覚。蛇さんをあんまり嫌わないであげて」
「どうしてぇ……?」
「蛇さんは神様に嫌われているけれど、人に神様の正しい愛以外のものを教えてくれたのよ」
「……?」
覚はまったくもって母が何を言っているのか分からず、首を傾げたが、母は覚の涙が止まったのを見て、それでよしとしたらしい。
母は細い手に似合わぬ力強さで覚を抱いたまま、ハイキングコースへ戻る。
「いつか貴方にも分かるかもしれないわ。正しくなくても、祝福されなくても、どうしても手放せない愛があるのだって」
そう言った母は、覚に何の答えも求めないで、木の上の小鳥などを指差し、覚を喜ばせた。
その日はハイキングコースの終点で、母の作ったお弁当を2人で食べて、半分くらい母に抱っこされながら山を降りた、ような記憶がある。
翌年、覚が野苺を食べることは無かった。
母が交通事故で、覚を庇って死んだからだ。




