18 運命的決裂
また! また更新忘れてた!!
新年祭前日、メルカはロマリウス公爵家タウンハウスのクローゼットルームにて、ああでもないこうでもない、と布の山と宝飾品の山を前に獣のように唸っていた。
これには付き添いの侍女もドン引き、無論公爵家に勤める者ともなるとそんな感情を表に出しはしないけれども、メルカも他人からドン引かれ慣れているものなので、何となくその辺りの空気は読み取れる。
明日の新年祭は、トールとのデートだ、もっと言うならば初デートだ、今までのデートは所詮デートもどき、メルカがトールの行き先へ付きまとっていただけだったため。
トールの趣味を思えば華美ではいけない、というかそれ故にメルカのクローゼットルームに華美過ぎる服は存在しない。
しかし初デートにいつもと印象の変わらない服装で臨むのは舐めプ、メルカの女子としての矜持(クリスが聞けばそんなものがあったのかと感心しただろう)が許さない。
その上、前提条件として王都の街を歩ける程度の恰好、という縛りがつく。
水色の小花柄のワンピースはあざといだろうか? いやそこにこの黒い外套をダボっと着ることで甘すぎず……でも歩きづらいか?
レース、レース足そう、清楚に見えるから。
確か裾に繊細なレースが出る長さの二重のベル型ワンピースがあったはずだ、パニエでボリュームを盛る前提の、でも下にレースがあるなら上にも欲しいな、手袋はもちろんレース刺繍入りのものを選ぶとして、模様に統一感のあるものを……。
侍女から促されて食事と睡眠は辛うじてとったものの、結局メルカのコーデチェックは当日まで続いた。
新年祭当日に必要な家政指示すら、大筋以外は執事長へぶん投げて、ようやっと13時の10分前にメルカの身なりは整ったのだ。
いつもはサイドを編みこんでハーフアップにしているだけの髪は、3倍くらい複雑な、耳の上ほどに小さなお団子を作り、そこから細い三つ編みを円を描くように付け足して三つ編みの毛先はまたお団子の中へ隠した髪型、前世風に言うならば若干中華風だろうか、お団子は黒いレースで包んでまとめている。
上半分はそれでボリュームを出して、下半分はシンプルに両サイドから垂らすおさげの三つ編みに。
無論、三つ編みはすこし毛束を出してルーズ感を足すのを忘れない、また三つ編みの先はきちんとトール色の深い紺の絹のリボンで留めている。
服は街を歩くこともあってまず足元から、歩きやすい5cmほどのポインテッドトゥであるけれど、紺に染めた皮が滑らかな光沢を持って、編み上げる青い紐を浮かせない造りとなっていた。
髪型が中華風ということもあって、服はむしろボリュームを控えめに、チャイナドレスでこそないものの詰襟の、コルセットを締めた腹から腰回りの細いラインがしっかり見える艶やかな青い生地のスレンダーラインのドレス。
左側だけに深くスリットが入っており、豪奢に重ねられた黒いレース生地がたっぷりと見える仕様である。
寒さ対策には黒く長い毛足の毛皮が珍しく、主に王室用で取引される、ブラックヌークリンなる魔物の毛皮の、丈短めのファーコートを羽織っている。
指輪はレースに引っ掛けそうなので無し、代わりにファーコートの前を留めるストールクリップに、美しく澄んだ大振りのサファイアが輝いている。
イヤリングも夜会の時とは違うデザインのブルートパーズが冬らしい色でチラリと光り、暗めの服の印象を持ち上げていた。
そんな街歩きには気合が入り過ぎだが高位貴族の服飾としては軽めの衣装をまとったメルカが、邸の玄関ホールでそわそわと素数を数えながら待っていると、フットマンが正門前への馬車の到着を知らせに来た。
メルカが護衛につく騎士数人を連れて外へ出たとき、いつもと変わらないシンプルな装いに飾り気ゼロの外套を羽織ったトールが馬車から降りてくる。
どこかぼんやりとしている様子が気にかかるも、メルカを見るといつもの眉間にしわの寄った険しい顔になったので、メルカは少しだけ緊張がほどけた。
今日の新年祭では、トールを宰相と会わせない、そしてトールの真意を知り、メルカの愛をありったけ伝え、ついでに初デートを楽しむ!
メルカはもう一度目標を胸に刻み、意気込んで足を踏み出した。
街歩きとは言っても、王都においてメルカやトールのような高位貴族が歩ける範囲は貴族街の外周にある職人街までである。
その外側の平民街は街の端にスラムもあり、普段でさえ近づくことは許されないし、その上今日は祭りである、とてもではないが、高位貴族が出歩ける治安はしていない。
貴族街というのは貴族のタウンハウスが立ち並んでいるだけの前世日本で言う閑静な住宅街であるため、強盗犯か貴族の邸の門を見物する趣味を持った変人でもない限りは、面白いものはないだろう。
よって高位貴族の街歩きはイコール職人街の見学ということになる。
とはいえ、今日は新年祭だ。
職人街ではそれぞれの分野の職人たちが日頃磨いた技術の粋、集大成を露店や店の中の目立つ場所へ並べ、それを目当てに街中には下位貴族や裕福な平民、ごくたまに佇まいから高位貴族だろうと分かる夫婦、などがそれなりの人の行き来を作っていた。
貴族の外歩きには当然護衛がつく、メルカには6人の護衛騎士がついているし、トールには4人の護衛騎士がついてきている。
気のいい主人であれば護衛も共に作品を見物することが許されるとあって、下位貴族にもそれなりの人数がついており、職人街を行き交う人の多さに寄与している。
ちなみにメルカの護衛は間違っても護衛以外のことに意識を向けることなど出来ない、メルカに何かあれば、文字通り物理的に首が飛ぶため。
メルカは晴れ晴れとした顔でトールの腕をとり、トールの歩調に合わせて店や露店を見て回っていた。
心なしか、トールの歩調はいつもよりゆったりしている気がしなくもなくもない。
「トール様、あちらのブローチは石の数は少ないですけれど、土台の彫金が見事ですわ! トール様が今お召しの外套へ付けても浮かないのではないでしょうか?」
「トール様、あちらのガラスペン、ペン先だけ付け替えられるタイプですが、軸が遊牧民の信仰するみちしるべ石で出来ていて、とても縁起がよろしいかと!」
「トール様、あの店の手帳革は飛竜の皮を鞣したもののようです、飛竜の皮は染めやすく、使うほどに柔らかくなって色にも深みが出るそうですから、長く使うものに適していると聞きますわ!」
「トール様、あちらの店の懐中時計は見事な細工です、象嵌に金と銀を使って、様々の動物を精緻に表現しているようです、あれはドラゴンかしら?」
店を1つ見るたび、メルカははしゃいだ声でトールへ話しかける。
トールはメルカの指す方向へ目線だけ向けるのだが、いつも通り特に何もコメントしない。
そこにあるのはメルカが延々と話しかけ、トールが無視するという、昔から続いて来たいつもの構図であった。
けれど初デートともなるとメルカの気合の入り方も常ならざるものである、目線を向けただけのトールの顔色の微々たる違いを見分け、トールが興味関心を持ったらしい品は見逃すことなく、護衛の騎士を遣いにやってコッソリと購入し、ケムエルン侯爵家側の護衛へ預けていた。
トールの方は本当に何も言わない、女性向けの細工を置いている店を見て「あれはきっと君に似合うね。」などと言っているカップルが居る横を完全に素通りし、ただメルカを腕にぶら下げる形で職人街を歩いているだけだ。
メルカが話題に出す品は全てトールに似合うもの、すなわち男性向けの品々だけであるので、今この職人街で最も煌びやかな品の似合う美少女であるというのに、女性向けの店には見向きもしないで通り去っていく。
ロマリウス公爵家及びケムエルン侯爵家の護衛騎士たちは、「このお嬢様はこれで楽しんでいるんだろうか?」と虚無過ぎるデートに大いに疑問を抱いていた。
無論、高位貴族に仕える騎士として、そんな素振りはチラとも見せないし、主人たちが何も言わない以上、彼らへ女性向けの店を勧めるなど、おこがましいお節介を焼くことはあり得ないけれども。
実際のところ、メルカはかなり楽しんでいた。
何せ初デートであり、メルカが遠慮なくトールの腕にすり寄っていてもトールが不愉快以上の感情を出すことはなく、いい加減にしろと振りほどかれることもない。
メルカが声をあげるとトールがそちらへ目を向けてくれるし、その際のトールの微細過ぎる反応の差を見て、彼の最近の好みを理解出来ることの楽しさといったらこの上ない。
すごい! これはデートだ! 前世から通算38年、初めてデートというものを楽しんでいる!
護衛騎士たちの憐れみをよそに、メルカは1人で内心はしゃぎまわっていた。
珍しくトールが「疲れたから帰る。」とメルカを放り出して帰ることもなく、2人はまるで一般的なカップルのように、夜の国王陛下の祝辞を待つ時間まで共に過ごすことが出来た。
合間に喫茶店なるものへ寄って(メルカにとっては17年ぶりである)、お茶と軽食を護衛の毒見後いただくことも出来た、つまりトールと食事を共にしたことになる。
小一時間程度の短いお茶会で渋々とお茶を口にするトールなら正面から何度も見たけれども、一緒に食事をとったのはこれが初めてではないだろうか。
メルカは有頂天で、ニコニコとトールのスープなどを飲む様を眺めていた。
思わず「トール様、愛しておりますわ。」などと心の声がまろび出た際も、トールはピクリと眉を動かす程度で、何も言わなかった。
これは初デート、大成功なのでは?
ここまでの間、宰相がトールへコンタクトを取った気配は無く、トールはいつもよりメルカに優しくて、メルカはトールへ想いをありったけ伝えているつもりだ。
何となく何もかもが上手くいくような全能感を持って、メルカは王宮前の大広場の貴族席にトールと共に座り、国王陛下の祝辞を待つ身となった。
王宮前の大広場は、場所としては貴族街に位置するのだけれども、新年祭や新国王の戴冠式などの際、特別に庶民も出入りすることが出来るよう、貴族街と職人街、平民街とを区切る門とは別の門で区切られている。
広場には段差がいくつかあり、貴族でも高位の家向けには国王陛下の登壇する台の近くへ席が作られており、高位貴族たちはそこで座って待つのが通例であった。
メルカが椅子からちょいと振り返れば、下段の中でごく普通の平民を含めた多くの人々が犇めいているのが見える。
既に酒が入った人も多いようで、声が大きくて騒がしい、けれど前世の祭りを知るメルカにとっては、嫌なうるささではなかった。
一応酔っ払いによる乱闘などが起こらないよう、兵士が一定の間隔で配置されており、貴族の待つ上段には王国立騎士団の騎士たちが目を光らせている。
国王陛下の立つ台の周囲を固めているのは王立騎士団の中でもエリートである近衛騎士たちだが、1人だけ違う鎧の男性が……あれは歴史資料で見た覚えのある、聖騎士の鎧である。
聖騎士というのは、聖人が国に仕えることを選んだ際にのみ用意される役職である。
よく見れば、その聖騎士はミカエルであった、まあ聖騎士なんだからそうでなかったら大問題なのだが。
メルカもミカエルもお互いの存在に気が付いたものの、敢えて気づかなかった風に振舞った。
メルカはトールとデート中♡であるし、ミカエルは、ミカエルは……何故聖騎士の恰好をしているのだろう、クリスを経由して国王陛下の護衛としてねじ込んでもらったのだろうか。
その辺り、休み明けに機会があれば訊いておこう。
メルカは隣に座るトールの顔を見上げた。
トールはメルカの視線に気づいているだろうに、全くメルカの方を見ない。
国王陛下の登壇する台の近くに、誰かを探しているように――おそらく父親である宰相だろう、メルカが見る限りでは、宰相はこの場には出てきていないようだ。
『聖ヒロ』原作ゲーム通りなら、今この瞬間、貴族街に持つ隠された邸で魔王復活の儀式を行っているはずである……メルカは少し顔を強張らせる。
大丈夫、トールはここにいる、メルカの隣で、いつも通り……国王陛下が大広場の最も高い所へと上がり、民衆へ姿を見せると、メルカたちの背後からは大きな歓声が上がった。
メルカは緊張に、そっと隣のトールの手を握る。
いつもならすぐに振りほどかれるのに、今日のトールは何故かされるがままにしている。
「諸君、身分を問わず、我がアムドゥシア王国を支えてくれている我が国の宝よ、今年もまた、暮れる時が来た」
メルカの伯父である国王陛下は、メルカと接するときとは全く違う威厳ある声で朗々と演説を始める。
トールの様子に異変はない。
国王陛下の周囲でも、騒ぎは起きていない。
国王陛下は3分ほどの演説を終え、「では、新たなる年と、新たなるアムドゥシア王国の歴史に祝福あれ!」と結んで、台から降りていく。
国王の言葉に応えるように、民衆、そして座っていた貴族までもが立ち上がり、拍手喝采を贈った。
――終わった、魔王は復活することなく、無事新年が始まったのだ。
メルカは台を降りていく伯父ではなく、隣のトールを見上げて、泣きそうなほどの安堵に涙を堪えていた。
トールがやっとメルカを見返す、そして目に鋭い険を宿して、演説中はそのままにしていたメルカの手を振り払った。
そのトールの瞳は、いつもの澄んだ冬空色をしていて、変質魔力の気配はどこにもない。
メルカは手を振り払われながらも、満面の笑みでトールを見つめていた。
貴族はこの後、ほとんどそれぞれ翌日のために邸へ帰る者ばかりだが、庶民にとって新年祭はこれからである。
平民街の方角の空に、大きな花火が何発も打ち上げられた。
この世界における花火というのは前世日本とは違い、魔法を再現する魔道具の一種なのだが、そんな野暮な解説は夜空を彩る大輪の花々の美しさの前には無意味だろう。
花火が打ちあがる度、大広場の下段に詰めかけた人々が大きな歓声を上げ、祭りの最高潮とばかりに盛り上がっている。
メルカも今日で一番華やいだ気分になって、水色の花火が打ちあがったのを指してトールへ笑いかけた。
「見てください、トール様。とっても綺麗ですよ!」
花火の光に照らされたトールの顔は、空ではなくメルカへ向けられていた。
射貫くような瞳に、メルカはパチリと瞬きする。
トールは冷たい無表情で、それでも抑えきれない苛立ちのようなものを雰囲気に滲ませて、口を開いた。
「お前は醜いな。醜悪で、汚らわしくて、浅ましい」
花火のドンという破裂音は、ちょうどよくトールの声を掻き消してはくれなかった。
「僕はお前が大嫌いだ」
唐突過ぎる面罵に対し、今日のトールが少しでも心を開いてくれていたのではないかと錯覚していたメルカは、咄嗟に反応を返せない。
そして口元を嘲りの形に歪ませたトールは、剥き出しの悪意を声にこめて嗤った。
「あの男も同じ、結局、お前の地位と血統が欲しくて近づいているだけの、俗物だ。卑しいことこの上ない」
その言葉がミカエルを指しているとわかったとき、メルカは自分でも驚くくらい大きく、この17年で初めてトールに対して声を荒らげた。
「私の親友を馬鹿にしないで!」
この悲鳴に似た叫びがメルカ・ロマリウスではなく、祇園寺覚の言葉だと、理解出来たのはメルカだけである。
「その野卑な口調はあの男から移ったのか? 公爵閣下が聞けば大いに嘆かれるだろう」
トールはミカエルを汚らわしいものとして扱う姿勢を崩さず、冷めた口調で言い放った。
「……品に欠けた物言いをしたことは申し訳ありません。ですが、ミカは……」
メルカが声を荒らげたことへ謝罪するも、ミカエルをついいつも通りの愛称で呼んでしまった、その瞬間、トールの顔が怒りに歪む。
「その呼び方をやめろ!」
花火の破裂音と被って、メルカ以外の周囲の人々はトールの怒声に気づいていない。
けれどメルカはビクリと肩を竦ませた。
メルカの席の近くに待機していた護衛騎士が、何事かと少し前へ出ようとしているのも、メルカの目には入らない。
「王太子ならばまだしも、あのような下賤の生まれの、国に何の恩恵ももたらさない、称号だけ立派な、お飾りの、低俗な男に心を許して、あまつさえ体まで触らせるなど……恥知らずが!」
怒りに任せて吐き捨てられたトールの言葉の端々が、ミカエルの教科書に書かれていた落書きを思い出させた。
メルカは呆然として呟く。
「ミカ、ミカエルへの嫌がらせは、まさか、本当にトール様が……?」
トールは少しも悪びれた様子なく、蔑んだ目で答えた。
「分不相応な輩に身の程を知らしめるのは、貴族としての務めだ」
メルカは頭が真っ白になるような衝撃を受ける。
遠い昔、メルカとトールがお互いに幼かった頃――あれは確か、ケムエルン侯爵家の別荘でのことだっただろうか。
別荘に来てまで書斎に閉じこもるトールと、トールを追って押しかけて来たメルカが2人、机に座って、大人用の椅子の高さに足を浮かせていた。
メルカは基本的にトールが勉強や考え事に集中しているときは声をかけずトールを見ているだけだった、だから多分、あれは1冊の本を読み終えたタイミングだったと思う。
「トール様は、誰よりも勉強に熱心でいらっしゃいますわ。わたくし、尊敬しております」
そう言ったメルカに、珍しくトールが返事をしたのだ。
別荘といういつもと違う環境だったから、話す気になったのだろうか、トールは首を横に振って言った。
「誰よりもじゃない」
メルカは2重に驚いて、「まあ、ではどなたが一番ですの?」と問うた。
トールは無表情を装っていたが、自慢げな気持ちを隠しきれていない声をしていた。
「父上だ。父上は誰より勉強なさって、その知識を国を回すためお使いになって、とてもお忙しいんだ。国を回すというのは、全ての民が心やすく暮らせるようにする、ということだ。僕はそんな父上の子に生まれて、誇らしい」
原作ゲームの記憶も鮮明だった頃のメルカは、その純粋でひたむきな父への敬慕に胸が痛み、少しだけ黙ってしまったが、出来るだけ柔らかい声で返事をするように努めた覚えがある。
「宰相閣下のご苦労を理解なさって、そのお仕事を尊敬出来るトール様のお心も、わたくしにとっては何より誇らしいです」
やはり珍しく、その時のトールはメルカの気持ちを拒絶する言葉を返さなかった。
そんな小さな、幼い頃の透明な思い出が、目の前の悪意に侵されていく。
「トール様……トール様は、変わってしまわれましたわ」
愕然とした顔で、目に涙を浮かべて呟くメルカを、トールは憎々し気に睨みつけた。
「心変わりをしたのはお前だ! 僕を裏切ったのも、あの男の手を取ったのも、お前が……! 全て、お前のせいのくせに!」
メルカは心変わりなどしていない、トールを裏切るつもりもない、けれどトールを傷つけたのは事実だった。
メルカは、どうしたら良いのか分からない。
どうしたらメルカの心が、好意がトールに届くのか分からなくて、迷子の気持ちで力無く尋ねる。
「貴方はわたくしをどうしたいのですか……わたくしには、貴方しか」
いないのに、と言おうとして口が止まる。
討伐演習の日のミカエルの「卒業したらさ、2人で逃げちゃわない?」「俺は本気だから。」という真剣な声が脳裏を過ったからだ。
メルカのほんの数秒の沈黙で、トールはそれをハッキリと理解してしまったようだった。
怒りに歪めた顔を、侮蔑と、氷に触れたときのような痛みの表情へ変え、そしてそのまま、メルカへ背を向けた。
「……トール様……!」
メルカの呼びかけにトールが答えることはない、この12年間ずっとそうだった。
困惑している様子のケムエルン侯爵家の護衛騎士を連れて、トールが大広場から去っていく。
騎士の後ろ姿に隠されて、メルカはトールの姿を見失ってしまった。




