17 たいせつなこと
寝過ごしました……
メルカ・ロマリウスはミカエル・アルマロスを選んだ。
夜会の後、この断定調の噂が確定事項として貴族学院の現在のトレンドになっていることについては、メルカも頭の痛い状況ではある。
流石に気まず過ぎて自分からトールへコンタクトをとることも出来ないでいるくらいだ、あのメルカがである。
しかし、ここ最近は別の問題が発生していることが、メルカの大きな悩みの種であった。
「またですの? ミカ」
「またなんだよ、メル」
昼休み、ふわふわとした陽に透ける美しい白金の髪を泥やゴミの引っかかった汚水塗れにして顔に貼り付かせたミカエルが苦笑した。
メルカは眉を顰めて、火魔法と水魔法を行使し、バランスボール大の温水の玉を作る。
その温水をミカエルの全身に纏わりつかせて、汚れを落として行く。
「ありがと~、メル」
温水のおかげで頭と顔が綺麗になったミカエルは、犬に似た動作で顔をブルブルと振って、メルカの全身温水洗浄が終わると自前の火魔法の応用で体と服を乾かしていく。
「これもあんまりやりたくないんだけどね~、服が傷むし。とはいえびしょ濡れで授業に出るわけにもいかないしさあ」
災難だとばかりにため息をつくミカエルは、火魔法で乾かした髪が跳ねているのをメルカから借りた櫛で梳かしてブツクサと零した。
ミカエルの服は貴族学院への入学に際して教会が急遽あつらえた聖人の略装であり、着回しているから目立たないけれどもそう多く持っているわけでもない。
頼めば教会も便宜は図ってくれる、というのが聖人という称号の権威だが、あまり借りを作り過ぎるとミカエル自身の自由が制限される結果となるだろう。
メルカが夜会の礼服発注をクリスへ頼んだのも、確実性以外ではそういった事情を勘案してのことである。
「あとまた教科書がやられてさ、学内購買のおばさまに怪訝な顔された」
気を付けてるんだけど、流石にいつも全部を持ち歩くわけにはいかないし、寮の部屋にまで手を出されるとな~……そう言ったミカエルがゴミ出し用にまとめた教科書だった数冊の冊子は、赤いインクで「恥知らず」「下賤な血」などと大きく落書きされ、中身も随分ボロボロに破かれているようだった。
ミカエルが今日のようにドブ水を頭から被って昼食の場に来るのは、これで5回目である。
『聖ヒロ』原作ゲーム内では、逆ハールートを選んで攻略を進めた際に発生する「嫌がらせイベント」というものがある。
高位貴族の令息たちへ無邪気に接して距離を詰めていくヒロインミシェルに嫉妬した令嬢たちが、ユリエラの名前を勝手に使い、教科書の棄損や水を浴びせるなどの嫌がらせを行うのだ。
ミカエルの現在の状況は、まさにそれである。
他にはヒロインを1人呼び出して集団で詰め寄って心理的圧をかけるタイプのいじめも『聖ヒロ』原作ゲームにはあった。
ただ、実技成績の高さでもってトールと首席を競っているバケモン戦闘能力を保持するミカエルという男を囲む度胸は嫌がらせを行う側には無かったようで、主に物的被害がかさむのみとなっている。
聖人という立場によって学院の学費は全額国持ちであり、冒険者時代にそれなり稼いでいたミカエルは服以外であればいくらでも買い直せる程度の財産を持っているけれども、だからといって難渋しないわけではない。
当たり前のことではあるが、ミカエルは逆ハールートのヒロインのような行動は一切とっていない。
むしろ攻略対象からの好感度はトールを筆頭に、マクスを除いては低いくらいであろう。
「一体誰がどうしてこんなことを……」
汚れ切った温水玉をガゼボの外で蒸発させ、残った泥やゴミを景観に障らない隅へ捨て、メルカが深々息を吐くと、ミカエルが呆れかえったという声で指摘する。
「いや、トール・ケムエルン以外に居ないでしょ普通に」
実際ミカエルが親しくしているのはメルカだけといって過言でないくらいだし、夜会での遭遇の後に嫌がらせが始まったことから状況証拠は充分と言える。
でも、とメルカは消極的に反駁した。
「教科書の落書きはトール様の筆跡ではありませんわ。それに、あのトール様に限って汚水の入ったバケツをわざわざミカの居る場所へ持ってきて落とすなんてこと、なさいません」
「じゃあ派閥の下の連中とかにやらせてるんじゃない? 原作でも実態はそうだったじゃん」
「…………」
ムムム、と口を噤むメルカ。
トールがドブ水バケツをよっこらせと持ち歩いているのは想像つかないが、トールが派閥内の令息へ嫌がらせを匂わせる言動をとる姿はまあまあ想像がついたからだ。
「その……汚水は避けたり出来ませんの? ミカなら容易かと思うのですけれど」
「そりゃ出来るけど、俺が避けると関係ない人にかかったりするしさ、男ならともかくご令嬢だったら悲惨でしょ」
そりゃそうだ、メルカはミカエルの気遣いに感服するばかりである。
しかも、これはミカエル本人が言わないのでメルカの想像であるが、ミカエルは友人が汚水の被害に遭うのを防ぐため、ここ最近は授業中以外1人で行動しているだろう。
ミカエル自身がそうしなくとも、友人たち側からは近づきづらくなっているはずだ。
夜会以前は休み時間も移動中に友人たちと会話することが多い、と聞いていたメルカは、本当は寂しがりの親友の孤立に心を沈ませる。
「トール様へ、わたくしから……」
「目に見えた地雷踏みに行くのやめよ~? 昔は魔物の血を浴びるのも普通だったし、寒いとか教科書の買い直しにお金かかるとか以外そんなに困ってないよ」
へらりと笑って手を振るミカエルへ、メルカは強いて出来ることもなく、体の前で組んだ手指を強く握った。
「メルがお湯出せる魔法使いで助かってるよ、この季節に冷水で体洗わなくて良いんだから」
ミカエルはメルカの無力感を軽くしようとそう言うが、それは被ったのがただの汚水だったから言えることだ。
交友会の時のように、また熱湯をかけられたら……メルカは水属性の派生形である氷魔法は使えないタイプの魔法使いである、手当はミカエル自身の聖属性魔法と、火魔法耐性に任せねばならない。
ミカエルは優しいから、メルカにトールを責めさせたくないと思って、こう言ってくれている。
メルカもメルカに出来ることを、考えなくてはならない。
「早くご飯にしよ~」
そう言って晩秋の花に囲まれたガゼボの椅子に腰かけ、メルカを呼ぶミカエルの笑顔を見て、メルカは決心を固めた。
波乱の秋が過ぎ去り、冬来たる。
今年初めての雪が降って2週間ほどで、アムドゥシア王国は年越し、この世界風に言うならば新年祭を迎える時期となった。
アムドゥシア王国において、明確な年明けの瞬間は時間に依拠しない。
12月31日、夜も早い時間に、王宮前の大広場において、国王陛下が祝辞を述べ、年明けを宣言すれば年が明けたことになる。
その後、庶民は新年を祝う名目で飲み食いして騒ぎ、貴族は翌日王宮で行われる新年を祝うパーティーのため早めに休む、新年祭の内容はそんなところだ。
ゲームのご都合としてきちんと現代日本と同じ基準で使える時計というアイテムはあるのに、そういうところは王権制を強調していて、アンバランスであった。
が、『聖ヒロ』の物語においてはこの設定にもきちんと意味がある。
トールのバッドエンドルート以外において、ミシェルが貴族学院に入学した年の新年祭では、宰相の手によってトールあるいはメルカが魔王の器として変質し、魔王が復活、祝辞を述べている只中で国王陛下が魔王に殺害されるという大事件が起こるのだ。
魔王の登場シーンとして中々インパクトがあり、その場に立ち会ったミシェルが聖属性魔法を使い魔王を王都から遠ざけることで、聖女への民衆の期待が否応なしに高まる、そういう物語上の必要がある。
当たり前だが、現国王陛下はメルカの伯父であり、人格者である、みすみす死なせるつもりはない。
ましてやトールの魔王化などメルカにとってはもっての他だ。
貴族学院は毎年、新年祭の2週間から年明け1週間後までの3週間、冬期休暇に入る。
冬期休暇前にミカエルから新年祭を一緒に過ごそう、と誘われたメルカだが、これには一片の迷いもなく首を横に振った。
「まだあの野郎のこと諦めてないの~?」
呆れ顔でミカエルは言うけれども、メルカにとっては転生してからの17年、ずっと恐れてきた最重要日である。
「トール様はもちろん、伯父様を失うわけにもいきませんもの。新年祭ではトール様を宰相閣下から引き離し、魔王化イベントを阻止します」
まあ原作がそうだからといって、この世界が原作通りに動くわけでないことは、目の前のミカエルの存在によっても明らかだ。
新年祭での魔王化を防いだところで、その後宰相がトールと会うことは物理的に避けられないし、トールのハッピーエンドルートにおいてメルカを代替としたように、器に成り得る他の人物がいないとも限らない。
ただ、メルカにとって一番重要なのはトールが死なないことである、正直申し訳はないが、宰相の考えが読めない以上他の犠牲者については諦めざるを得ない。
国王陛下については、クリスへ護衛を強化するよう進言してあることもあって、最悪でも魔王復活に気づいたミカエルが現場に到着するまでの間は持ちこたえられる見込みであった。
メルカの目的は、新年祭をトールと過ごしてトールの心と向き合い、真意を知り、何よりトールにメルカの愛を理解してもらうことにある。
それが叶えば、少なくともトールは魔王の器にはならない。
メルカの考えることなど、ミカエルにはお見通しのようで、仕方ないなあと呟いたミカエルは不承不承頷いた。
「じゃあ俺は俺で、陛下の護衛でもコッソリやってみるよ」
やっぱりトールが魔王化する前提なのは玉に瑕であるけれども。
そんな経緯で、冬期休暇に入る前日の夜、メルカは緊張した面持ちで男子生徒寮の前に立っていた。
これはいつものストーキング行為ではなく、男子生徒寮の寮監にトールへの取次ぎを頼んだ、正式な面会である。
正式とはいっても学院の寮であるので、異性の出入り出来る応接間などがあるわけでもなく、こうしてメルカは外の寒い夜風に身を曝していた。
まず、メルカが呼んだからといってトールが出て来てくれるか、次に話を聞いてくれるか、更に新年祭への誘いに乗ってくれるか。
ミカエルはこの3つの壁を想定し、無理筋じゃんと肩をすくめていた。
だがメルカは諦めない、新年祭当日まで、トールが誘いに頷くまでは通いつめる予定だ。
もし、最終的に、どうしてもトールがメルカと話さないようであったら、クリスを頼る他ない。
その手段は、出来れば取りたくない……トールの心と命、両方をメルカは守りたい。
メルカがそのように思い詰めた顔をして、冷え込む夜風に体を震わしたところで、寮の建物からトールが出てきた。
二度見したが、間違いなくトールである。
トールは上着も着ないで、寒空の下へ早足で出て来て、メルカの前に立ち、不愉快気に見下ろした。
「トール様、外套は……! お体が冷えてしまいますわ」
「冷えるほど長居する気は無い。何の用だ」
「あ……その」
予想外にスムーズにトールが出てきた上、メルカの話を聞く態勢をとったため、メルカは面食らって一瞬黙ってしまう。
言葉に詰まったメルカへ、トールは眉間の皺を深くした。
「用が無いなら戻る」
「いえ! あります、ありますの、ええと……新年祭! を、一緒に過ごしてほしいのです! 新年祭の王都を、ともに見て回りませんか、と……」
トールがあまりに大人しく話を聞いているものだから、メルカは逆に恐ろしくなってきて、言葉がドンドン尻すぼみになってくる。
覚悟は決めてきたものの、やはりザックリ「嫌だ。」「断る。」「失せろ。」「誰がお前なんかと。」などという短すぎる断り文句を聞くのも、乙女心としては辛いものがある。
萌えだとか解釈合致だとか言って12年誤魔化してはきたものの、傷つかないわけではない、というのは、ミカエルと再会して以降に自覚した感情だった。
「……分かった。当日の13時にロマリウス公爵家のタウンハウスに向かう」
「そこをなんとか……はい?」
「午前中は家政指示や翌日の準備がある。お前もそうだろう」
「え? ……あ、それはもちろん」
「話はそれだけか」
「は、はい」
トールはポカンと目と口を丸くしたメルカを気にする素振りもなく、そのまま寮へ戻っていった。
置き去られたメルカは寒さも忘れて、混乱する脳のうちを顔に出さないよう努めた。
いや誘っておいてなんだが、これは本当に魔王でも降るのではないか?
メルカは今生で初めて受けてもらえたデートの誘いについて、喜ぶどころか呆気にとられていた。




