18、聖龍レナーテ
『さすがに我が子らが危機に陥れば、出ざるを得まいよ』
その巨大な喉の奥から響いてくる声は低く腹の底まで響き、辺りの空気を打楽器のごとく振るわせる。
「クククッ」
こいつが聖龍レナーテか。笑いがこみ上げてくるな。
『魔法付加鎧と言ったか。なかなかヒトの性能を上げるように思われるな。まさか剣聖が敗れ、賢者も倒れ勇者も窮地に落ちるとはの』
「お褒めに預かり恐悦至極に存じます、聖龍陛下」
オレは冗談めかして、胸に手を当て頭を下げる。
『しかし、たったその程度の数で、私に敵う気か、愚かな。愚かなり悪魔の国』
「敵う? バカが。蹂躙するんだよ、オレが。このオレが。ヴィート・シュタクがな」
『ハーッハッハッハッハッ、面白い、やってみるが良い、ヴィート・シュタクとやら』
トカゲごときがまるでヒト様のように笑い声を上げる。
カンに障る、シャクに障る。
オレは人差し指で自分の頭を指し示す。
「ちなみにな、オレは最初から気づいてたんだよ、最初からだ、バカトカゲ」
『む?』
龍はその瞼を半分閉じ、訝しげに睨む。
「レクターシリーズに刻まれた、無駄にも思える召喚陣。勇者のEAから漏れた魔素に帰る前の魔力、そして竜の鱗を使った装甲。バカみたいに一つの方向しか示していねえ」
『ほう?』
「それは竜の召喚。聖白竜なんてものじゃない。本物の聖龍レナーテを呼び出すため。だったら良かったんだが、今回はヴラシチミルの解答が正解か」
『ハハハッ、貴様の言う通り、これは魔力で編まれた仮初めの体、いにしえの魔法よ。しかして、どうかの。我は古代より永く生きた竜。その辺りの子竜などと同じと思われては、あっという間に終わるぞ』
「どうだろうな。どちらにしても、我々が蹂躙して終わる。しかしこのような申し出、ありがたくて涙が出ますな、レナーテ陛下」
『ヴィート・シュタクよ。何を囀っておるか』
「いや、予行演習が行えるというわけだ。貴様の本体をやるときに対する演習さ」
ちらりと横を見る。リリアナが腰を落とし呆然としていた。装甲に細かいひび割れが見える。触媒として使用され、龍鱗の装甲が劣化したようだ。
『リリアナよ、下がっておれ。このレナーテがこやつらの相手をする』
トカゲが優しげな声をかける。途端にリリアナのEAが宙に浮かび、レナーテの遥か後方へと優しく下ろされた。魔力消費が膨大な浮遊魔法を、こうも易々と……。
未だ何が起きたか把握しきれないのか、そのままへたり込み、呆けた顔でこちらを眺めている。
あそこなら戦闘に巻き込まれることはなさそうだ。
そこだけはトカゲに感謝してやっても良い。
僅かな間、瞼を閉じる。
さあ、楽しい予行演習を始めようか。こいつを倒しても本体に影響はないらしいが、実力の一端を計ることぐらいはできるだろう。
背中越しに、帝国軍のEAたちを見る。
EAの兜に仕込まれた拡声の付与魔法陣を最大出力で回す。
「さあ諸君、楽しい楽しい復讐の予行演習だ。どうも聖龍レナーテ様は我々を舐めきっておられる。屈辱を思い出せ諸君。このようなトカゲ風情が我ら帝国の土を踏みにじったのだ。ではどうする? 諸君、声を上げよ!」
突然の事態に戸惑っていた連中だが、ミレナ・ビーノヴァーが真っ先に、
『殺します!!』
と叫んだ。
『そうだ、そいつは敵の首領だ!』
彼女に続き、他の兵士たちも声を上げ始める。
『蹂躙された領土の民の無念、晴らしてみせる!』
『そいつさえ倒せば戦争は終わるんだ!』
『オレの妹は竜騎士に焼かれて死んだんだ!』
『殺してやる!』
『殺せ』
『殺せ!』
『殺せ!!』
『殺せ!!!』
『殺せえ!!!』
怨嗟は殺意に変わり集団で醸成され、蹂躙の決意となる。
「よろしい。では全EA、魔力砲撃、構えよ」
聖龍レナーテの方へと視線を戻し、剣を振り上げた。
「帝国の精鋭たちよ、かかれ!」
号令に従い、EAたちが左手から魔力砲撃を放ち始めた。
『うおおおおお!!』
『皇帝陛下万歳! エリク皇太子殿下万歳!!」
『しねえ、真竜国!!!」
『下等なトカゲに操られる蛮族どもめええ!!』
『くそったれがああ!』
巨大な竜は光る障壁を前面に張り、自分の体を守る。
『ほほぅ、これほどの砲撃、この千年で味わったことなどないの。悪魔以来じゃ』
余裕のある声が頭の上から降ってくる。
さすがは伝説の竜ってところか。
ヤツは長い首をもたげ、長い口を開いた。
そこに魔力の反応が集まっていき、一つの光源となる。
「全員、砲撃やめろ!! 魔力障壁!! 正面にいるヤツは逃げろ!!」
咄嗟に声を上げるが、その瞬間にレナーテの大口から熱線が放たれた。
轟音が鳴り響き、地表が割られ舞い上がる。熱は土を溶かし、射線上にいたEA一機が蒸発して消えた。
『ほほっ、久しぶりに放ったの』
弾んだ調子で楽しそうにトカゲ野郎が語る。
「怯むな諸君! この程度とは想定よりかなり下だぞ! 全員、槍を構えろ!」
ボウレたちが槍を構え、前方へと突き出す。
『今度は何をしてくれるかの、ヴィート・シュタクよ』
「長槍突撃! かましてやれ!」
長い円錐状の先端をレナーテに向けて、近い場所のEAから順番に突撃を始める。
ぶつかるたびに障壁が揺れ、その厚みが減っていくのがわかる。
『なるほどなるほど、これほど近づかれては、確かに砲撃は放てん。じゃが』
レナーテは地面についていたシッポを振り回し、突撃してくるボウレたちを薙ぎ払おうとした。
「バカが!」
そこへオレが走る。
剣を縦に構え左手を当て、その尾の先端を受け止めた。
重い。確かに重い。踵が地面に埋まる。
だが、このバルヴレヴォを弾き飛ばすほどではない。
『何!?』
「この鎧が何のために開発されたと思ってるんだ、トカゲ」
『ぐっ、この!』
勢いを付けて振り回した尾を弾かれたレナーテは、短い手を付き首を地面スレスレまで落とし、上顎を開く。その喉の奥にはEAを溶かす業火がたゆたっていた。
「広範囲に来るぞ、全員、正面に立つな、回避!」
EAには内部の人間の身体能力を高める魔法がかけてある。熟練の魔法剣士の増産と呼ばれる理由の一つだ。
ゆえに、そんな予備動作が長い攻撃など当たりはしない。
レナーテの口から、轟と空気を揺らし燃焼させる音が周囲に響くが、EAたちに被弾はない。
「いいぞ、さすが左軍のEAたちだ!」
掛け値無しの褒め言葉を送る。
帝国軍は対外敵のための右軍と、国内の治安維持を司る左軍に分かれている。
今回の部隊は左軍が主だ。
そして、治安維持任務には、魔物退治も含まれているのだ。EAより遥かに大きな生物だって相手にすることがあるのだ。
『ぬぅ、やるな、さすが悪魔の国よ!』
悔しげに叫ぶ聖龍レナーテ。
「ははっ、トカゲ様は大したことないなぁ」
『ぐぬ、本来はこんなものではないと言えるが、説得力がないかの……』
一度、全てのボウレたちが距離を取り、再び槍を構え突撃の準備に入る。
『じゃがの』
レナーテの巨躯が首をもたげ足をつき、天へ向けて口を開いた。
「……何だ?」
『永きを生きるとは、こういうことじゃ』
龍が直上に向けて熱線を放つ。
何の意味があるのか、オレたちが計りかねているときだった。
百ユルほど昇った熱線が、そこで傘のように分かれ、拡散された高熱の煌めきが地表に降り注ぐ。
「全機、魔力障壁、上だ!!」
腕に仕込まれた障壁増強の付与魔法を走らせ、自分の周囲を守るように魔法を防ぐ盾を作り上げる。
「ぐっ、これは……!」
『散るが良い』
岩さえ溶かす膨大な熱量の攻撃が、オレたち目がけて襲いかかったのだった。
地響きと破裂音、そして岩を砕く音が続いた。
土煙が高く舞い上がり、着弾点は溶け落ち、周囲の岩盤が砕け散る。
オレのバルヴレヴォにも、相手の攻撃が直撃したようだ。しかし、この装甲に傷はついていないようだ。
辺りを見回す。
舞い上がった砂の向こう、右前方から巨大な影が迫ってきた。
「おっと!?」
咄嗟に反対側に飛び、その攻撃を回避する。
『ほほぅ、かわしたか』
すぐ近くに鎌首をもたげたレナーテがいたようだ。
オレを噛み潰そうとしたようだ。
「なかなかに手強いな、トカゲ」
『私を見てトカゲなどと嘯くものなど、貴様ぐらいしかおらぬわ、ヴィート・シュタク』
「所詮はデカいトカゲに知恵が付いたようなものだろう? 聖龍レナーテなどと大層な名前で呼ぶまでもないわ、バカが」
『ふふふ、はははっ、良い、実に良いわ、その不敵さ、さすが悪魔の国の先兵じゃ』
「お褒めにいただき光栄至極……だが死ね」
『できるかの? たかだか付与魔法をつけた鎧ごときに』
鎧の中の拡張された視界で状況を確認する。
ボウレたちはほぼ半数が戦闘不能、これで二十機足らずか。レクター三機は残っているが、魔力砲撃が強力なテオドアの緑色以外は、有効な攻撃がない。
さて、ではどうするか。
「しばし、オレ一人でお付き合いしようか!! 大トカゲ!!」
『誠に勇ましき者よ、かかってくるが良い!』
敵の大きさは四十ユル近く。
振り回す巨躯は動かすだけで凶器となり、その高度な知性と膨大な魔力で強力な攻撃魔法を操る。
神世から生きる、生物としてはおよそ最強の存在だ。
「EA部隊、飛行船『ルドグヴィンスト』まで全機撤退しろ、エリク殿下の指示に従え」
『た、隊長はどうされるんです?』
強奪任務からの部下であるミレナが心配げに問いかけてくる。
「こいつを殺すに決まってんだろ」
魔力で編まれた仮初めの肉体のようだが、予行演習としては丁度良い。
『私も!』
「邪魔だから下がってろと言っている。では、エリク殿下の指示に従えよ、必ずな!」
オレは長剣を右手に持ち、悠然と待ち構える巨大な龍へと向かって行った。
■■■
帝国は狂っている。
オトマル・アーデルハイトはそう思わざるを得なかった。
人など遥かに超える巨躯に勇者であるリリアナや賢者セラフィーナすら軽々と超える魔力、長命種ならではの多岐に渡り深い知識。
そんな存在に、EAで襲いかかる?
正気ではない。
やはり帝国は狂っているのだ。あのとき、逃げ出した自分は間違いでは無かった。
ペトルーという天才付与魔法士に出会い、それしかなかった自信は崩された。
勇者の末裔たる自分が、その辺の凡俗に見下され、それならば一族の子であるリリアナが勇者であると聖龍レナーテの元に向かった。
あのような狂人たちを揃えた軍など、自分のような勇者の末裔がいるべきところではなかった。正解だった。
汗をかきながら竜を走らせ、さっさと戦場を離れよう。戦う手段がないのだ。逃げて当たり前だ。
言い訳ばかりを繰り返し、息を荒げひ弱な足で逃げようとした。
「オトマル」
そこに響いたのは女性の声。
「え?」
次の瞬間に、腹部に痛みが走る。誰かに殴られたことに気づきながらも、彼の意識は遠のいていく。
「こ……んな」
倒れ込んだ彼の周りに、数人の男が現れた。いずれも帝国軍の服装ではない。
こうして彼は、この戦場から強制的に離脱することができたのだった。
今更ですが、「バカが」はヴィート・シュタクの口癖です。
『』は魔法がかけられた音声の表現(EA内部から聞こえてくる声やレナーテの声)ですが、ちょっと多すぎるので変更するかもしれません。




