ある日、家で鍋をした。
異世界にお邪魔したあの日から、何かが変わることもなく日々を過ごしている。
その日常が、お土産に買い込んだ大量のお菓子や消耗品で彩られたくらいか。
そして真冬が近づき、太陽の出る時間も短くなってきた休日のこと。
皇帝さまと夕ご飯を一緒に食べよう、という話になった。
外食もいいけれど、今日は鍋が食べたすぎる。
こんな寒い日には鍋だと相場が決まっているのだ。
幸いなことに、冷蔵庫には十分な食材がある。
冬はほとんど毎日一人鍋をしているせいだ。
切って煮るだけ。味にもバリエーションが出せるし、簡単で美味しい。
正直、鍋を盲信している。
「ということなので、今日はうちで鍋です」
「ナベ…?調理器具の?」
「この国では、その鍋に食材を適当に入れて煮たもの全般を鍋と言います」
「そんな馬鹿な…」
正式には種類があるが割愛する。
買い溜めしている鍋の素を棚から取り出した。最近はポーションタイプのものが手軽でお気に入りだ。
あるのは寄せ鍋、キムチ鍋、味噌鍋の素の3種。何味にしようかな。
「んー…、辛いものお好きですか?」
「うむ。度を越したものでなければ」
苦手ではないなら、是非これを食べて貰おう。
「では本日はキムチ鍋とします」
鍋の中でも一番好きな味を選ぶ。
冷蔵庫の中身を思い返してみても、丁度いいだろう。
「マユミが作るのか。それは楽しみだ」
「といっても、切って入れて煮るだけなので…期待していただけるほどのものでは」
「ほう。ならば余もやろう」
「えっ」
「切って入れるだけなのだろう?」
それはそうなのだけど。
あまりにも恐れ多すぎるのではないだろうか。
「…刃物は危ないのでは?」
そう言ってみれば、鼻で笑われた。
「余を誰だと思っている」
皇帝さまだと思っている。
うーん、と少し考える。
包丁とまな板は一組しかないし、2人で並べるほど広いキッチンでもない。
なら、効率を考えたら私が切って皇帝さまが入れる、これでいいだろう。
「この鍋は食卓で煮ながら食べるんです。具材を入れるのをお願いしてもいいですか?」
「それも調理なのか?」
「鍋においては、たぶん一番大事なところです」
「ふむ。ならば引き受けよう」
なんとか言いくるめて、切る係は渡さずに済んだ。
「そういえば、部屋着を買ってあるんです。調理もするので、着替えては?」
「なに?余の服か!」
「はい。家の中用の服なので、ゆったりしていて着心地いいはずですよ」
以前買った服を随分と気に入っていたし、こうも頻繁に遊びに来るのなら、寛ぐための服もあっていいだろうと、買っておいたのだ。
置いていた通販の箱から服を取り出し、皇帝さまへ渡す。
前に採寸したサイズを参考にしたし、おそらく問題ないはず。
「着方はわかります?」
「一度教わったのでな」
「では、こっちの部屋で着替えてください」
皇帝さまにリビングを明け渡し、キッチンと繋がる扉を閉めた。
今のうちに下ごしらえをしてしまおう。
鍋に水と鍋の素を入れて、火に掛けておく。少し小さいが土鍋なので、温まるまで時間がかかる。ガスボンベの節約だ。
白菜と豆腐を食べやすい大きさに切り、いい感じに平皿に盛っておく。エノキも手でほぐして乗せる。
お肉は豚こまなのでそのまま。格好つけるならこれもお皿に盛ったほうがいいけれど…面倒が勝った。
「終わったぞ」
開かれた扉とともにかけられた声に振り返る。
濃紺のスウェットに、グレーのゆったりしたパンツ。サイズには余裕を持たせたはずなのに、肩幅のせいか上半身は思ったよりもしっかり形が出ていた。
「どうだ?」
「よくお似合いです。気になるところありますか?」
「いや。まるで何も着ていないようで落ち着かんが…」
「それは慣れですね」
普段あんなに何枚も布を重ねた服を着ているのだから、それはそうだろう。
それにしてもただの部屋着を堂々と着こなしている。
皇帝さまだなあ。
カセットコンロとガスボンベを用意して、リビングのコタツの上に設置する。
食器と、切った食材とお肉も持ってきてもらって、横に並べた。
土鍋をちらっと確認するとぷつぷつと気泡が出ていたので、火を止める。
鍋掴みなんて上等なものはないので、タオルで挟んでカセットコンロへと持っていく。
「あ、手を洗ってもらえますか」
「わかった」
鍋のフタを開ければ、キムチスープの刺激的な香りが漂う。
危ないし、火を止めたまま具を入れてもらおうかな。
「さあ、出番ですよ」
「ふ、任せておけ」
皇帝さまに菜箸を手渡す。
「なんだ?長い箸だな」
「菜箸という調理用の箸です。長いので火元から手が遠くなるんですよ。扱いづらい場合はトングもありますので」
「なるほど。使ってみよう」
たどたどしく菜箸を使う皇帝さまを微笑ましく思いながら説明をする。
「じゃあ、まずは白菜からお願いします」
「これか?わかった」
指を差しながら入れる食材を指定する。
といっても、私は1人であれば全部手で一気にぶち込んで煮るタイプの人間なので順番なんかどうでもいいのだが、大事なところと伝えたからには丁寧にやってもらおう。
皇帝さまは菜箸に苦戦しながらも、白菜を一つずつ鍋へ入れていく。
「…これでいいのか?スープに浮かんでしまうが…」
「大丈夫です。見た目は、まあ…味は変わらないんで。あ、もう白菜は一旦いいので次はこの、エノキと、こっちの豆腐もお願いします」
ちまちまと具材を入れていく姿に思わず口元が緩む。
スープが跳ねないよう慎重にエノキを入れ、次の豆腐に箸をのばした。
「っ!」
儚くも、木綿豆腐はもろり、とその姿を崩した。
「な、なんだこれは…崩れるぞ!」
「ああ、すみません。豆腐は柔らかいので、難しいかもしれないですね。それはこっちのトングで…」
「いや!できる」
皇帝さまは向上心の塊である。
チャレンジしたいのならば止めるつもりはない。私はトングから手を離した。
…そして、用意していた豆腐は、全てその姿を崩壊させたのだった。
「…これはもう、こうしましょう」
私は皿を鍋の上に傾け、崩れた豆腐を菜箸で流し入れた。食感は変われど味は同じである。
「くっ…手強い…」
「まあまあ、豆腐を箸で掴むのは日本人でも難しいですから。じゃ、次お肉入れましょうか」
菜箸を手放すつもりはないらしいので、そのまま豚こまを入れてもらう。
これならそこまで難しくないだろう。
「…『焼肉』よりも更に肉が薄いな。切るのに手間がかかるだろう」
「短時間煮る場合はこれくらいがちょうどいいんですよ。切るのは機械だと思いますけど」
豚こまを不思議そうに見ていたが、こちらは菜箸でも難なく入れ終わる。
「で、これでしばらく煮ます。あ、火をつけるので少し離れててくださいね」
カチ、カチとカセットコンロのつまみを回して火を点ける。
皇帝さまは目を見張った。
「すごいな。こちらの世界は魔法がない分、誰にでも使える道具が山ほどある」
「魔法のほうが便利そうと思っちゃいますけどねえ」
中火に調節して、鍋にフタをした。
「マユミ、コーラを出してもいいか?」
「ああ、どうぞ」
律儀に一声かけてウキウキと冷蔵庫に向かう皇帝さま。どうせ彼のためにストックしているのだから、好きに飲んで構わないのに。
しかし、キムチ鍋にコーラは合うのだろうか。
「次は何をする?」
「もうしばらく待てば出来上がりです」
「なに?味付けは?」
「最初の赤いスープに味がついているので、それだけで良い感じになるんですよ」
「なるほど…あの液体を混ぜるだけで誰でも同じ味を再現できるということか…」
そう、それが鍋のいいところなのである。
煮えるまでTVをつけて時間を潰す。
特に気になる番組もなさそうなので、ニュースにチャンネルを合わせる。
いい加減、映画が見れるようなサブスクに入ろうか。
とはいえうちのTVは古いので、何かしらのガジェットを買わないと映せないけれど。
「これはなんの祭りだ?」
思考を飛ばしていると、皇帝さまからそう質問され、慌ててTVに視線を向けた。
そこに流れているのは、クリスマスの特集だった。
「ああ…お祭りというか、なんというか…」
元は外国の宗教行事だしなぁ。
頭で内容を整理して、言葉を選びながらこのクリスマスというものについてざっくりと説明した。
「…というわけで、この国では宗教的な意味合いはなくて家族や恋人と過ごすイベントって感じになってます。特に前日の夜は恋人同士で過ごすことが多いですね」
「ほう…面白い文化形成だな」
「そういうの多いんですよねえ。バレンタインとかハロウィンとか」
そうこう話している間に鍋はぐつぐつ煮立ち、フタの穴から白い湯気が立っている。
「そろそろかな」
タオルを乗せて蓋を掴み、パカリと開ける。
むわっと蒸気が逃げていった。
中の具をお玉でかき分けて見てみれば、火もきちんと通っていそうだ。
「大丈夫そうですね」
保温になるくらいに、火を弱める。
食材をバランスよくお椀に取り、最後にスープを少しかけて皇帝さまに差し出した。
もちろん、崩れた豆腐も混ぜて。
「どうぞ。熱いので気をつけてください」
フーフーして…と言いかけたが、流石に子ども扱いがすぎると思い、口をつぐんだ。
短い箸では慣れたように白菜を掴んで少し眺め、ある程度冷ましたあと口に入れる。
「…うまい!確かに少し辛味があるが…旨味もあるな。味もよく染み込んでいる」
高評価だ。よかった。
ホッと胸を撫でおろし、自分用にもよそう。
「まさか個人の家でも卓上調理ができるとは。焼肉のように後から食材を足す事もできるのだろう?」
「その通りです」
「ん、この薄切り肉も、薄いのに脂の甘みがしっかりわかるな」
「このスープに合いますよねえ」
熱々の白菜を箸で取り、少し息を吹いて冷ましてから、恐る恐る噛む。
じゅわっと染み込んだスープと野菜の旨味が口に広がった。
ピリ辛で少し酸味のあるスープ。これこれ。これが好きなのだ。
食べすすめていると段々と身体がぽかぽかしてきた。
「冬にぴったりでしょう?」
「これは…その通りだな」
皇帝さまは、お椀の底に残った崩れた豆腐をスープと一緒に口へ運び、ぺろりと平らげた。
早速自分でお玉を使っておかわりをするようだ。
「あ、袖、気をつけてください。少しまくったほうがいいですよ」
「ああ…」
そう注意喚起をしたものの、お玉を離そうとしない。
仕方なくちゃぶ台越しにまくってあげた。
まったく、皇帝さまだから許せるんだぞ。
TVでは、キラキラとしたイルミネーションが映し出されている。
「それで、その『イブ』とやらにマユミは何か予定はあるのか?」
「ないですねぇ。平日ですし、普通に仕事です」
恋人とクリスマスデートなんて、学生の頃には憧れたものだが、社会人となってからはなんだかどこか別の世界の話のように思える。
というか、土日でもない限り年末なので普通に仕事が忙しい。
「忙しいから残業するかも、くらいですね」
「余のために空ける気はないか?」
え、と間の抜けた声が出た。
心の中の自分がとてつもなく動揺する。
手にしていた箸が止まった。
「く、クリスマスイブにですか?」
結局ちゃんと声にも動揺が出た。
先ほどしっかりこの国においてのクリスマスというイベントを説明したばかりのはず。
そのうえで、私と?
え、それって。
「『イルミネーション』とやらを見てみたい」
…それ以外ないに決まってる。
顔にカッと熱が集まった。自意識過剰で恥ずかしい。
「……なるべく、早く帰れるように頑張ります」
「そうか」
皇帝さまは嬉しそうにもう一度おかわりをした。
私は鍋のせいで暑いですね、とわざとらしく言い訳をして、エアコンを止めた。
物足りなそうな顔をしていた皇帝さまに、〆のうどんは大変気に入ってもらえた。
冷凍のうどんって美味しいよなあ。
もう一玉くらい食べるだろうか。
冷凍庫を開けながら声を掛ける。
「ハルバードさん、もう一玉食べますか?」
「……」
返事がない。
振り返ると、じっと私を見つめる緑の瞳とかち合う。
「いらないですか?」
「ハル、だろう?」
真っ直ぐにこちらを見る目は、どこか不満そうに細められていた。
「……ハルさん」
圧に負けて呼び直せば、すぐに目元が和らいだ。
「ええと、もう一玉食べますか?」
「もらおう」
お祭りの間だけの呼び名だと思っていたけれど、どうやら今後も呼べということらしい。
いいのかな。皇帝に気安い口をきいている庶民なんて、本来なら打首ものだろうに。
…私としては、距離がまた少しだけ近づいた気がして嬉しいけれど。
鍋に取り出した冷凍うどんを一玉放り込んでフタをする。
「他の味も楽しみだ」
この冬は、一人鍋をする日が少し減りそうだ。




