その日は、この国の祭りだった。
4年に1度の祭り。
それは地獄だった。
当然何ヶ月も前から準備を進めていたにも関わらず、問題があちこちで起きる。
「式典のスケジュールですが!」
「発注していた布が足りないみたいで!」
「来賓の座席配置ってどれが一番新しいですか!?」
現皇帝陛下の治世になってからもう何回目にはなるが、こればかりはどうしようもない。
我らが皇帝陛下も共に深夜まで準備に追われ、なんとか無事初日を終えた。
「あとは任せる」
「いってらっしゃいませ」
今回の祭りも、儀式が終わったら皇帝陛下は街へと降りるつもりらしい。最後の式典には戻って来ると。
疲れ切った顔を見てしまえば、文句は言えない。1日くらいこちらでどうにかするのも私の仕事だろう。
準備期間にいつもの宿に加えて緊急時用の借家も手配したのだが、何故か主が自室に運び込ませていた古いワードローブをそこへ置けと命じられた。
要らなくなったからといって借家に置くのは如何なものかと進言したら、3日目には回収しろとのことだった。
意味がわからない。
丁重に、と厳命されたので、それを荷夫たちにも伝えた。皆、疑問を抱きながらもこわごわと運んでいた。大変申し訳なかった。
ともあれ、なんとか祝福も降り、祭りは成功した。
私はずっと城にいて帰れてもいないが、成功した、らしい。死ぬかと思った。
「グレイブ、調香師を呼べ」
やたらと上機嫌な主がそう命じる。
また急に何を言い出したのか。面倒ごとの雰囲気を感じる。
「は、調香師…ですか?」
「花の香りに強い奴がいい」
「はあ…畏まりました。暫くは大きな夜会もございませんので、暇をしていることでしょう」
問題はこちらのスケジュールであるが。
手帳を開いて直近の予定を確認する。
「そうですね…3日後にリーファ様とのお茶会があります。その前の1時間にお呼びできれば…」
「ああ、丁度いいな。その日にしよう」
…となると、またリーファ様との時間が過ごせるな。
少し邪な気持ちで追加の予定を書き記す。
「それでは、連絡しておきます。それと、報告書が溜まっておりますのでこちら昼食までにご確認お願いします」
「宰相に回せ」
「回せるものは回しました」
「…はぁ。仕方がないな」
そう言いながらも、主はいつもより機嫌よく机に向かった。
少し気味が悪いが、その時は首を傾げるだけで終わったのだった。
3日後。
呼びつけた調香師を応接室に案内した後、主にも声を掛ける。
「調香師の方がお見えです」
「来たか。すぐ行く。ああ、リーファ嬢も直に来るだろうからな。お前はその相手をしろ」
「は、畏まりました」
元よりそのつもりであったが、わざわざ席を外すように言われるとは。
訝しむが、どうせこの方の考えていることはわからない。
早々に諦め、第一応接室まで付き従った後、そのまま部屋を辞した。
…ああ、早く癒されたい。
「本日はようこそお出でくださいました」
「こちらこそ、お招き頂きありがとうございます」
本日も第三応接室へと案内をして、リーファ様と挨拶を交わす。
今日も大変麗しい。金色の輝く瞳が眩しくて、何かが浄化されていく気分だ。同じ金でも、どこかの皇帝陛下の髪とは大違いである。
「お祭り、大変だったのでしょう?もう落ち着いたのかしら」
気遣うように声をかけられる。なんて優しいのだろう。
「ええ。当日はずっと城に泊まり込みでしたが、今はなんとか」
「まあ。…どなたかとお約束は?」
「いえ。そんな余裕は全くありませんでしたので」
そう答えれば、獣人特有の彼女の耳がピンと立った。いけない、つまらない話をしてしまった。
「リーファ様は祭りには行かれたのですか」
「ええ。姉夫婦と少しだけ。けれど、人が多くて…ゆっくりとは見られなかったわ」
「左様でしたか。何か楽しいものはございましたか?」
「ええ!それが…」
それから、楽しそうに祭りのことを話すリーファ様の声に耳を傾ける。
彼女が楽しんでくれたのなら、頑張った甲斐があるというものだ。
嬉しそうに揺れる耳も、弾んだ声も可愛らしい。
「あの、それで、ミルレット通りに、その…良いものがあってね」
言い淀む彼女に、後ろに控えていた侍女が小さく耳打ちし、小箱を差し出した。
それを受け取り、意を決したように机の上に置いた。
「こちらなのだけど」
彼女が箱を開けると、その中には精霊の羽根を模した、金属製のブックマーカーが現れた。
その細かな意匠は見事で、金色の本体に朱色の紐が映えている。
「…こちらは?」
「その、お祭りの気分だけでもと思って…受け取ってくれる?」
内心、天井まで飛び上がるような気持ちだった。
まさか。いや、自惚れではなく、本当に?
「私に…頂けるのですか」
「これなら書類や手帳にも使えるし、邪魔にはならないと思うの」
金色の羽根に赤の紐。それはまるで彼女の色だ。
本来ならば恐れ多いが、彼女本人が寄越したのだ。何の問題がある?
気付かなかったフリをして受け取ってしまおう。早々に自分の手帳に挟み込んだ。
「お気遣いありがとうございます。嬉しいです。大切に使わせていただきますね」
どうにか表情を整えて、にこりと微笑んだ。
毎日使う。私は大事なものはずっと目に入れていたい人種なのだ。
「……本当は、グレイブ様もいらっしゃると思っていたのだけれど」
「私ですか?」
「街の様子をご覧になることもあるのかと思って。お姿を見かけなかったものだから」
彼女の耳が、へにょりと垂れる。
なるほど、皇帝陛下の目印としてか。
「皇帝陛下とは別行動だったのです。お役に立てず申し訳ありません」
「いいえ、そういう意味では……」
彼女は何かを言いかけたが、結局、困ったように耳を伏せた。
「働き通しで、お疲れでしょう。あまり無理をなさらないで」
「たった今元気になりました」
「…ふふ、お上手ね」
手帳から覗く朱色の紐を見るだけで、頬が緩みそうになる。
リーファ様の耳も満足そうにパタパタと動いて大変癒される。
「グレイブ様」
城のメイドが、タイミングを見計らって声をかける。
ああ、時間が来てしまった。
「…リーファ様、皇帝陛下のご用事が終わったようですので、名残惜しいですが…私はここで失礼致します」
「あ…もうそんな時間なのね。いつもありがとう」
「こちらこそ、大変良いものを頂きありがとうございました」
本当に心からの笑顔でそう伝えれば、リーファ様は少し照れたようにはにかんだ。
可愛すぎる。
だらしない顔をみられないよう、深く丁寧に頭を下げて部屋を辞した。
メイドに茶会の準備を指示し、主を第一応接室まで迎えに行く。
扉をノックして開けると、甘い香りが残っており思わず顔を顰めた。
「グレイブ、次に調香師から連絡がきたら優先して予定を空けるように」
「は、またお呼びになるので?」
「ああ」
一体何をする気なのだろう。
宰相に怒られないとよいのだが。
「さて。リーファ嬢は第三応接室だったな。ああ、グレイブ、お前は来なくていい」
「…左様ですか」
「執務室に面倒な書類を残してきた。やっておけ」
わざわざ面倒なものを残しておくだなんて、なんて意地の悪い。
不満が顔に出ていたらしい。
「命令だ」
「…承知いたしました」
渋々頭を下げ、主とはそこで別れた。
執務室へ戻れば、机の上には主の言葉どおり、面倒そうな書類が積み上がっていた。
ため息をつきながら席に着き、手帳を開く。
先ほど挟んだばかりの金色の羽根が目に入り、自然と頬が緩んだ。
まあ、いい。
今日はこれだけで、いくらでも働けそうだ。
そうして書類を片づけることに集中していると、しばらくして扉が叩かれた。
「グレイブ様。リーファ様がお帰りになります」
「すぐに行く」
手にしていた書類を置き、手帳を閉じて胸元にしまう。
私はすぐに立ち上がった。
第三応接室へ続く廊下の角を曲がろうとしたところで、ちょうど部屋の扉が開いた。
廊下に姿を現す皇帝陛下とリーファ様。
リーファ様は、幸せそうに笑っていた。
主もまた、普段は滅多に見せない穏やかな表情を浮かべている。
思わず足が止まった。
何を話しているのかまでは聞こえない。けれど、二人の間に流れる空気が、いつもの茶会を終えたときとは明らかに違って見えた。
その場に出ていくことが憚られて、咄嗟に角の陰へ身を引く。
……何をしているのだ、私は。
見送りに来ただけなのだから、堂々と声をかければいい。
そう思うのに、足が動かなかった。
ふと、先ほどの応接室に残っていた甘い香りを思い出す。
『ああ、丁度いいな。その日にしよう』
もしかしてあれは、誰かへのプレゼントだったのではないか。
胸元にしまった手帳が、酷く重く感じた。
…彼女が幸せならば、それでいいと言っただろう。
無能が何を一丁前に感傷に浸っているのだ。
顔を見られるだけでも十分だろうが。
一度息を深く吐き、顔を上げる。
いつもと変わらない顔を作って、足を踏み出した。
「皇帝陛下、リーファ様」
声をかければ、私の声に気づいたリーファ様の耳が、嬉しそうにぴんと立った。
「グレイブ様」
ぱっと花の咲いた様な笑顔を見せてくれる。可憐だ。
「お見送りいたします」
「わざわざ、ありがとうございます」
2人の前に立ち、先導して城の門へと向かう。
まっすぐ背筋を伸ばして、前を向いた。
せめて後ろ姿だけでも、少しはマシに見られるように。




