019 手ごわい相手
依頼者の邸宅におじゃまする前に、簡単に情報は集めた。
張り紙を用意したのはドラクロワ氏。
小太りで控えめな頭髪だというから、オークション会場で見た人物と特徴は一致する。
貿易商として一代で富を成した大物実業家。
同時に好事家としても有名で、欲しいものがあればどんな手を使ってでも手に入れる。
そのため、同業者からの評判はよくない。
…と、ここまで調べて相手が癖のある人物だとはわかっていたのに。
「では最終的な条件を整理しましょう。売却先に条件はなし、ただし金額は3千万アウロ以上とする、こちらでよろしいでしょうか?」
招かれた応接間には、薄暗い雰囲気の絵画や古めかしい人形があちらこちらに飾られている。
珍しくピピも私の膝の上におとなしく座り、小さな手で顔を隠している。
「だめだ!5千万アウロ!儂は5,500万アウロで買ったんだぞ?おまけしているだけありがたいと思え!!」
高すぎる。これじゃあ買い手なんて見つかるわけない。
ドラクロワ氏が眉を吊り上げて話す間、細身の男...おそらく秘書だろう。
秘書は後ろで微動だにしない。
損をしたくないと意地になっているのかもしれないが、少しは現実を見てほしい。
先ほどから何度か希望金額を下げるように交渉してはいるものの、膠着している。
「......では、値段はいったんその条件で探してみます。ティアラについては守護石つきですね。守護獣の能力について、もう一度お聞かせください」
「あれは...呪い......。そう、呪いとしかいいようがない。はじめはこの足だ。突然階段から突き落とされてこのざまだ!」
持ち上げた右足には包帯が幾重にも巻かれている。
右上から左下に巻かれたと思いきや、すぐその下では反対方向の巻きになり、めちゃめちゃだ。
「他にもある。妻と娘は、家を出て行った。商会だってめちゃめちゃだ!二十年付き合いのあった商会が急に取引をやめると言い出した。二十年だぞ!?」
怒りが蘇ってきたのか、語調は次第に荒くなる。
「すべてこれのせいだ!!」
忌々しそうにティアラを見つめ、真っ赤な顔で吐き捨てるように言った。
秘書はすぐさま水差しを手に取り、氏の前にたっぷりと水の入ったグラスを置く。
「儂から言えるのはそれだけだ。」
ソファに深く座り直して秘書に向かって顎をしゃくる。
秘書がかしこまりましたと胸に手を当てると、氏は目を閉じて頭を背もたれに預けた。
(なんというか、傲慢ね)
自分はいいたいことだけを言って、細かいところは秘書に丸投げか?
出会って短時間だがずいぶん一方的な関係なのは伝わってきた。
貴族...いや、氏は貴族ではないかもしれないが、有力者というのはこういうものなのだろうか?
この秘書も、よく付き従っているものだ。
「私が続きを説明します。オークションでティアラを落札したあの日、屋敷に戻ると旦那様のそばには真っ白な山羊がおりました。」
「山羊?それが守護獣?」
「さようでございます。山羊と契約したその夜、旦那様は階段から足をすべらせてこのような状態に...」
「ドラクロワ氏は突き落とされたとお考えのようでしたが?」
「すぐさま使用人たちに話を聞きましたが、怪しい人物を見つけることはできませんでした。今も調査中でございます」
本当に突き落とされたかの確証はない、ということか。
氏の面子を潰さない言葉選びをする秘書に好感を持つ。
「そうですか。では、そのほかは?」
「ご家族は、旦那様がお戻りになってすぐはいつも通りのご様子でした。夕食にお見えにならなかったので不思議に思っていたのですが、翌日になると奥様はお嬢様を連れて、突然ご実家に帰られてしまったのです」
もともと帰省の予定もなかった上、最低限の使用人にだけ伝えて家を出たというのは確かに不自然ではある。
ティアラが関係している可能性はあるが、今わかるのはそこまでだ。
「また、我々ドラクロワ商会は国内外様々な商会とお取引をしております。当会設立時からの仕入先のひとつが、突然取引の打ち切りをほのめかしてきたのです。現在は支払金額を上げることでなんとか商品を卸してもらっていますが、これもいつまでもつか...」
「新しく競合が現れたとかは?」
「私どもの耳には入っておりません」
秘書は目を伏せた。
一つ一つは大きな話ではなく、偶然が重なっただけと思う人もいるだろう。
どれも氏にとって手痛い出来事ではあるが、すべてが呪いと呼べるかは怪しい。
「守護獣やティアラを見せていただくことはできますか?」
「かしこまりました。ただ、守護獣なのですが...」
秘書は口をつぐむと、ドラクロワ氏を振り返る。
氏が動かないことを確認してから話を続けた。
「すでに契約を破棄しておりまして、姿をお見せすることはできないのです」
契約破棄。
守護獣との契約は破棄することができる?
巷にあふれる守護獣の噂でも、契約破棄については聞いたことがなかった。
秘書に当時の状況を詳しく教えてもらおうとすると、やはり秘書は氏の様子を確認してから口を開いた。
仕入先との関係が悪化したその日、氏は呪いをやめるように山羊に詰め寄ったという。
声を荒らげる氏に、山羊は呪いのことは何も言わなかったそうだ。
ただ、契約を終わらせたければできるとだけ氏に伝え、そのまま二人の契約は破棄された。
山羊の姿もそれからは見えなくなってしまった。
(山羊の守護獣...どんな子なんだろう)
喉の乾きを感じてティーカップを手に取ったが、中身はすでに空だ。
気が付かず申し訳ありませんと謝った秘書は、茶を注ぐと部屋を出て行った。
ここまでの話を聞く限りでは、山羊に悪意はないように感じる。
山羊の意思とは関係なく、能力が氏を貶めようとしている?
けれど、ピピの言うことを信じるなら、守護獣は人を傷つけられないわけで......こんがらがってきた。
秘書はすぐに小さな箱とともに戻ってきた。
金属製の重厚な鍵がかかっていて、秘書は手袋を着けた手で器用に鍵を外した。
「どうぞ、ご覧ください」
恭しく差し出された箱には、確かにオークションで見たあのティアラが入っていた。
遠目からでも豪奢なつくりであることはわかったが、間近で見るとまた雰囲気が変わる。
ピピもほうと息を漏らした。
左から中央を通り、右へとつながる一本の線は長い蔓。小さな花と、その横に生える葉も立体的。一つ一つ大きさも形も違うのはもちろん、葉脈まで丁寧に彫りこまれている。
石を留める爪は、輝きを損なわないように極限まで小さくなっていて職人の技術の高さがうかがえる。
「ありがとうございます。大変美しい品物ですね」
お金はもちろん、時間や技術までもを詰め込んだ逸品。
これを作らせた王は、さぞ王妃を大事にしていたのだろう。
後世にこのような形で残るとは、当時の誰も思っていなかったはずだ。
(呪いさえなければ、今も使われていてもおかしくないくらいなのに...)
「きゃっ!!!?」
思考をさえぎったのは、ふいに足元に触れた何か。
私にも呪いの影響が現れたのかとぞわりとするが、すぐにそれは杞憂だったと知る。
ゆっくりと足元を見やると、そこにいたのはぶちゃっとした黒猫。
ふてぶてしい様子は飼い主譲りに違いない。
安堵する私とは対照的に、ピピは一目散にポケットの中へ飛び込んだ。
『ひええええ!た、食べないでえええ!』
ピピってば怖がりなんだから。
猫はピピには目もくれず、のそのそと机の下をくぐって氏の手の中におさまった。
ドラクロワ氏はいつの間にか目を開けており、猫の頭を撫で始めた。
(悪そうな商人に黒猫なんて、いかにもって組み合わせ...)
「それで、いつまでに売るんだ?」
こちらに向けられた眼光は鋭く、思わずたじろぐ。
黒猫を見つめる目はあんなに慈しみにあふれていたのに。
もとはといえば、ピピのために話を聞いてみるくらいのつもりだったが、今ではやれるだけやろうと思い始めている。
もちろん氏のためではなく山羊のためだ。
ピピはこんなにおしゃべりなのに、山羊が氏と言葉を交わしたのは契約破棄のときだけ。
そういう性格ならばそれでいい。
けれども、ドラクロワ氏はどうも自分勝手な部分がある。
山羊をもっと大切にしてくれる場所があるならそこへ連れて行ってあげたい。
と、いい人ぶってみたが下心もある。
山羊は契約破棄のことを知っていたりと、ピピよりも守護獣について詳しいと見ている。
次の持ち主を見つければ、話せる機会があるかもしれない。
「...いつとは確約はできませんが、精一杯取り組みます」
嘘のないように答えるが、どうしても眉間に皺が寄ってしまう。
そんな私を見て、ドラクロワ氏は満足そうに鼻を鳴らした。




