012 友との別れ
宝石市も今日でおしまい。
一日の営業を終えて、ふと気が向いて川沿いの目抜き通りに向かう。
毎日が慌ただしくて、ほんの数日前にも訪れたはずなのにずいぶん懐かしい。
初日は見えなかった運河はヴィヴィエンのものよりずっと広い。
二人乗りの小さなボートがいくつか浮いていて、仲睦まじい男女が楽しそうに揺られている。
長かった祭が終わってしまうことに物寂しさを覚えていたが、職人街まで戻るとそんな思いはどこかへ吹き飛んだ。
『わあ!たのしそー!』
道沿いに松明が焚かれ、その近くには各々の家から引っ張り出したであろう机と椅子。
人々は酒や肉を片手にくつろいでいる。
子供たちも建物の陰を使いながらかくれんぼをしたりと、めいめいに楽しんでいるようだ。
炎のせいか、人々の体温か、川沿いよりもぐっと暖かい。
このあたりの道は狭いので、体を縮こめて食べ物の置かれたテーブルの横を通ろうとすると、そばにいたおじさんが私たちに気づき、皿を差し出した。
「あんたミネルヴァちゃんのとこのだろ?ほら、食ってけ!」
まっすぐ帰ろうと思っていたが、黄金色の揚げ芋で誘われては断れない。
ぎざぎざにスライスされた芋を一枚口に含むと、塩気が舌を直撃する。
サクサクした食感のせいで、何枚でも食べられてしまいそう。
「もうちょい足してやるから持っていきな!」
「ありがとうございます!」
「いいってことよ!」
おじさんは建物の中から両手で抱えるほどの大きなボウルを持ってくると、ひとつかみ、ふたつかみと芋を入れてくれた。
ミネルヴァ工房の前まで戻ると、ナタリーが店の前にダイニングを用意しているところだった。
「二人ともおかえり。もうすぐで準備が終わるから座って待ってて」
手伝いたい気持ちはあるが、勝手のわからない人がうろちょろしても邪魔かもしれない。
お言葉に甘えて少し休ませてもらう。
一度座ってしまうと脚は急に重くなって、動くのが億劫になってくる。
感覚以上に疲れていたようだ。
ナタリーはテーブルクロスを皺のないように伸ばしたあと、蝋燭を手に取った。
近くの松明に近づくと、そこから火をもらい明かりを灯す。
間もなくミネルヴァも料理を持って外に出てきた。
カットボードの上にはチーズ、オリーブ漬け、ハムが揃って彩がよい。
先ほどの芋も合わせれば完璧な夕食だ。
ピピは我慢できないようで、こっそり芋に手を伸ばしている。
「あー!抜け駆けするなよ!俺だってお腹減った!」
『...レオン!!べ、べつにまだ食べてないしー』
周囲の工房を回ってきたのか、レオンの手には食べ物や飲み物がてんこ盛りだ。
あちらこちらで可愛がられて持たされたのだろう。
今にもこぼれそうなので慌てていくつか引き取る。
「これ、うちの爺さんからです」
「まあ、ワイン?ありがとう。寄ってくださればよかったのに...」
感情の波の少ないミネルヴァにしては珍しく落胆している。
レオンの祖父はミネルヴァとナタリーの師という話だったか。
興味本位でしかないが、私も会ってみたかった。
「何か言伝はあるか聞いたんですが、何も言うことはないと」
「...わかったわ。レオン、ありがとう」
細く息を吐いたあと、ミネルヴァはかすかに笑う。
いつもはしなやかで強かな後ろ姿を見せる彼女も、この時ばかりは年相応の女の子のようだった。
「では、契約のとおり、利益の半分は私たちが受け取っていいのかしら?」
「はい。石の用意や穴あけはほとんど無料にしていただきましたし、なによりナタリーにたくさん売ってもらえたからこそです。ありがとうございます」
疲れが一周回り、妙に頭が冴えてきた。
ミネルヴァはどれだけ飲んでも酔わないようで、私のお金の話に付き合ってくれる。
レオンは机に突っ伏してうとうとしていたので、なんとか起こして工房内のソファに横たわらせた。
周囲はまだまだ盛り上がっていて鐘の音は聞こえない。
けれども、たまに瞼が落ちてくる感覚があるからいい時間なのだろう。
「ニナ、私からもありがとう。なかなか言えなかったんだけどさ、私が廃棄石の話をしたから考えてくれたんだよね?」
向かいに座っていたはずのナタリーは、レオンの席が空いたのをいいことに椅子ごと距離を縮めた。
頬がのぼせたように赤くなっているので相当に酔っている。
肩にもたれて甘えてくるが、村には同世代の女の子はいなかったからどう接したらいいのかわからない。
私も甘えてみたらいいのか?どうやって?
とりあえずナタリーが倒れないよう、下腹部にぐっと力を込める。
「うん。やっぱり商人として見逃すなんてできないから」
硬く、硬くと心の中で唱えていたせいで、発言も無駄に硬いものになった。
かっこつけたようで恥ずかしい。
『ボクはー?』
「もちろんピピもだよ!わたし、ふたりとあえてよかった」
ピピを両手ですくいあげ、ほおずりをするナタリー。
「ナタリーはね、ちょうど今年成人したのよ。初めてのお酒がこれなら美味しいでしょうね」
ということは今年18歳。同い年だ。
ここまで密接にやりとりしてきたのに、年齢も知らなかった。
それでもいい仕事はできるのだから、商売は面白い。
「さあ、これで最後の一杯。みんな、おつかれさま」
ミネルヴァが残っていたワインをそれぞれのグラスに注ぐ。
誰からともなく陶器のグラスを持ち上げ、小気味いい音を鳴らした。
宿を引き払い、いつもより重くなった鞄を背負う。
清算とリボンの受け取りに工房にやってきたが、ここに来るのもこれが最後だ。
このあとジョレッツォを出る。
行先はまだ決めていない。
南へ進めば王都、西へずっと進めばジェンバイグ。
ジェンバイグは遠いけれど、道中には街がいくつもあったはず。
最近、貴重な地下資源が見つかったと話題になっているので、多くの商人が向かっているようだ。
これを好機と見るか、競争激化と見るか。
「そうだ、ニナに相談しておきたいことがあるの」
「なんでしょう?」
改まった物言いに、急いで手元のお金をポケットにしまう。
鞄とポケットといくつかに分けて持ち歩いているせいで、お金を出し入れするときはいつもバタバタしてしまう。
「大きな作品の制作を頼まれたわ。工房へ直接依頼しにきてね。これまでとは話が違うから、受ける前にニナの意見を聞きたいの」
依頼者は新進気鋭の画家。
自身の代表作を宝石で作ってほしい。
納期は半年。
報酬は500万アウロ。
「リボンは布の一部だけに宝石を縫い付けていたけれど、今回の依頼は違う。ぎっしりと石をならべて、絵にしてほしいんですって。石の加工や色合わせはできるけれど...」
今思いつくだけでも問題はいろいろある。
ミネルヴァたち職人も針子も、長い期間拘束される。
他の仕事が受けにくくなる上、針子についてはそもそも引き受けてくれるかわからない。
これだけの大金を用意できる依頼者なら布の質にもこだわりがあるだろう。
今からヴィヴィエンに行ったとしてすぐに手に入るかどうか...。
「いただいたお話は受けたいのですが...今回は少し難しいと思います」
報酬は悪くない。
しかし、あまりにも不安要素が多い。
自分にもっと経験があれば受けられた依頼だっただろうか?
力不足がもどかしい。
「私も同意見よ。こちらから断りの連絡を入れておくわ」
ミネルヴァがほっとしたように言う。
戸棚から手紙を取り出すと、奥の机に向かいペンを取った。
この選択が正しいのか、自信はない。
けれど無理をして受けた仕事がうまくいく想像ができなかった。
「ニナ、おまたせ。仕上がっているリボンはこれで全部。心をこめて作ったからお願いね」
入れ替わりでやってきたのはナタリー。
腕には何本ものリボンがかけられている。
事前に聞いていた量より多いので、少し無理をして作ってくれたようだ。
「はい、預かりました。布はまだ足りてる?」
「いっぱいあるから平気。必要になったらジョゼに相談してみるね」
街を発つにあたり、出来上がったリボンはすべて持って行っていいと言われていた。
代わりに私は布を置いていく。
今後作るリボンについては、工房のもの、工房の利益となる。
私たちの取引はこれで終了だ。
「それで、次はどこに行くの?」
「うーん...悩んでるんだよね。王都はいつか行ってみたいんだけどさ」
村にいた時は話に聞くだけだった王都。
高い城壁の内側には、さらに高い建物がそびえ立っているらしい。
想像するだけで自分が場違いに思える。
「行ってみなよ!きっとリボンを買ってくれる人もたくさんいるよ」
「でも、私、自分のことをまだ駆け出し商人だと思っていて。そんな自分が、王都でうまくできるか心配なんだよね」
言い訳だ。
ここまでうまくいったからこそ、失敗するのが怖くなっている。
俯いて狭くなっていた視界に、ナタリーの手が入ってきた。
「ニナ、私あなたに本当に感謝しているの。もうあなたは立派な商人だよ。大丈夫、自信を持って!」
手で頬を、言葉で心を優しく包まれる。
ただでさえ今日が別れの日だと覚悟していたのに、こんなの涙がでてしまうではないか。
「...ありがとう」
ぐっとこらえて礼を言ったが、声の震えには気づかれているだろう。
「私も目標があってね。次の宝石市が終わったら独立しようと思うの。ニナのおかげで自分のやり肩をた」
「ナタリー...」
『えっ!』
これまで空気を読んでいたピピも、流石に黙っていられなかったか。
突然の告白に動揺する私たちをよそに、ナタリーはいたずらっぽい顔で笑った。
「だから、次会うときには私も一人前。離れていても応援してるから!」
一歩踏み出す友の姿に感化され、次の行き先を王都に決めた。
不安はあるが、もう迷いはない。
「じゃあそろそろ行くね!」
これで、本当にお別れだ。
ミネルヴァとレオンも揃って見送りに出てきてくれた。
込み上げる思いはあるが、言葉にしなくても伝わっていることはみんなの顔を見ればわかる。
「では、また!」
『まったなー!』
背を向けて一歩一歩地面を踏みしめる。
振り返りたくなったけれど、自分は一人じゃないと思い直してなんとか踏ん張る。
ピピがいるし、みんなと作ったリボンがある。
ただひたすら、前を向いて王都を目指した。
ジョレッツォ編、終了です!
王都に向かう前に寄り道しちゃいます。




