011 セオドア・アルヴェイン
第二弾のリボンの作成を待っている間、手持ち無沙汰になったので常設市場で店を開くことにした。
宝石市も終盤にさしかかり、市場は次第に普段の賑わいを取り戻しているかのように見える。
おしゃべりな客に捕まり世間話に付き合わされていた時、突然それは起こった。
『ニナ...』
体を震わせながら、ピピがこちらを見ている。
逃げろと言いたいのは伝わった。
(...でも今は品物を広げていてすぐに動けない)
女性二人組は、エルセイに興味を持ってくれたようであれこれ聞いてくれる。
普段ならありがたく思うのだが、いかんせん間が悪い。
相槌を打ちながらも頭の中では高速でどう動けばいいのか思考する。
ひとしきり話して満足したのか、二人は干し肉だけ買って去っていった。
これでようやく店を閉められる。
商品をまとめ鞄に入れようとしたそのとき、よく通る声が耳に入った。
「やあ、素敵な店だね。この後少し話せるかな?」
話しかけてきたのは黒髪の青年だった。
青とも灰色ともつかない瞳は珍しく、わずかな間、目を奪われる。
返事に窮していると思われたのだろうか、青年は笑みを絶やさぬまま首を傾げる。
そのままなめらかな動きで、指先を私の肩に向けた。
やたらと優雅な仕草。
「その子、大丈夫?」
ピピは肩の上で目を瞑ったまま動かない。
優しく揺り動かすが、すっかり硬直している。
気絶か息絶えた振りか、どちらにしても起き上がるつもりはないらしい。
(この彼が、危険と関わっているの?)
確かに、彼の仕草や身なりは整っていて、このあたりの人ではないように思う。
しかしそれも、貴族のお忍びだと言われれば納得する程度の違和感だ。
ピピに尋ねることもできず、逃げもできない最悪な状況。
自分の力で切り抜けるしかない。
ひとまずピピを上着のポケットにそっと入れて、彼から隠す。
「少し静かなところにいたら落ち着くと思います。失礼しました」
内心を悟られないように、意識してゆっくりと話す。
背中を冷や汗が伝う。
「そう、それならよかった。それで、少し君と話したいんだけど時間をもらえるかな?」
「それは、お取引の話でしょうか?」
「そんなところだね」
どうとでも捉えられる答え。
詳しく話す気はないということらしい。
「あいにく、今は手持ちの品物しかご用意がありません。ここでお見せすることができますがいかがですか?」
「君の守護獣について少し聞きたいんだが、ここでも構わないならいいよ」
暗に人目のあるところでと言った私に、脅しをかけた男。
ピピの存在をあえて喧伝したことはないが、一体どこで見聞きしたのか。
(初対面...だよね?ピピを狙っているの?)
ここまで調べられているのだ。
逃がさないという強い意思を感じる。
私にできるのは、少しでも有利な環境を選ぶことだけだった。
僕がご馳走するからレストランで、と言ってくれたので、遠慮なく高級そうな店を指定して一番高い肉を頼んだ。
先日、美味しいものを食べ逃したのがこの男のせいなら、今が意趣返しのときだと思ったのだ。
もちろん警戒は怠っていない。
「そういえばこの近くで君を見かけたことがあるんだ。話しかけようとしたんだが、気づいたら消えていてね。驚いたよ」
驚いたとは言うが声は単調だ。
まったく本心ではないだろう。
「そうですか。それで一体何のご用でしょうか?」
目をわずかに細め、微笑みとも挑発とも取れる顔をする男。
顔がいいからこそ胡散臭い。
「珍しい石に集めていると聞いてね。珍しいというのは言葉通りの意味ではなくて...つまり他の商人があまり興味を持たないわけありの石のことだ。これは本当かな?」
廃棄石のことだとすぐにぴんときた。
この男は、一体どこでそれを知ったのだろう?
質問したところで答えてくれるとは思えない。
話の意図は全く読めないが、嘘をつく理由はない。
素直に認めるのもなんだか癪ではあるが。
「はい、おっしゃる通りです。でもそれがなんなのでしょうか?」
「君はどうしてそれに目をつけたのか、教えてもらえないだろうか?」
お願いの体をとっているが、拒否は許されなさそうだ。
何と答えようか、目線を反らして考えていると、しびれを切らしたのか男は口を開く。
「僕はセオドア・アルヴェイン。これでも外交官をしている」
「商人の仕事を調べるのが外交官の仕事なんですか?」
「少し調べ物をしていてね。関係があるかないかを知りたいだけなんだ」
私のとげとげしい声に、眉根を寄せて困った表情をしてみせるセオドア。
その様子を見ると嘘ではない...ように感じるが、まだ信用はできない。
「なにか外交官だという印はないんですか?」
「残念ながらそういったものはないんだが...代わりにこれではどうかな?」
そう言って彼は、左の中指から指輪を外して、私の手の届く距離に置いた。
中央に嵌っている石は深い青色。
光の筋が縦に走っている。
銀色の土台にも細かな装飾が施されていて、石と土台のバランスがいい。
(似たような石を市場で見かけた気がする。なんて名前だったか...)
「綺麗な石ですね。タイガーアイですか?」
「よく知っているね。でも惜しい。これはホークスアイと呼ばれているんだ」
似たような石でも名前が違うらしい。
一つ勉強になった。
ミネルヴァの元で散々宝石を見せてもらった今では、この指輪が非常に手間をかけて作られた品だとわかる。
「これである程度信用できるのはわかってもらえたかな?」
「まあ...はい。そうですね」
遠慮なく頭からじろじろと見させてもらうが、シャツもベストもきちんと肩の幅とあっているし、素材もよさそう。
こういった店での振る舞いも板についている。
完全に信用はできないが、話してもいいだろう。
まもなく宝石市も終わる。
仮にリボンを真似しようとて、私たちの販売よりはずっと遅くなるはずだ。
「傷がついていたり輝きが弱い石は捨てられることが多かったそうなのですが、勿体無いと思いまして...どうにか再利用できないかと集めていました。既に庶民向けのアクセサリーとしていくつか販売しています」
「実物を見てみたいね」
「ありがたいことに手持ちは全て売り切れてしまいました。次の品を鋭意製作中です」
頷きながら聞いてくれたけれど、瞳の奥は終始笑っていない。
私が本当のことを言っているのか確かめているようだ。
その後も何度か質問があったが、適度にぼかしつつも疑問を解決できるように返事をしていく。
「長々とありがとう。だいたいわかったよ」
結局、最後まで彼が何を聞きたいのかはわからなかった。
それでも私の答えはセオドアにとって好ましいものだったらしい。
こちらとしても面倒ごとに巻き込まれないのならば何よりだ。
「最後に教えて欲しいんだけれど、僕は何度か君に話しかけようとしたがうまくいかなかった。それは君の守護獣の能力だね?」
話を聞いていたピピがテーブルの上にすばやく出てくる。
高級店でテーブルの上に乗って大丈夫か心配になったが、なにかあってもセオドアのせいにしてしまえばいいか。
「ピピ、もう大丈夫なの?」
『うん、へいきー。なんだったんだろーな?』
頭をポリポリと掻きながら、お尻をぺたんとつけて座る。
ピピはすっかりいつもの調子に戻っている。
もうセオドアの存在は脅威ではないのだろう。
「その子はピピと言うんだね。君の名前も聞いていなかった。今更だが教えてもらえるかな?」
「私はニナです。ピピは守護獣で、危険を感じとることができます。実は、街にいる間何度かピピが危険を知らせてくれていたんです」
皆まで言わずとも、それが自分のことだと察したらしい。
お詫びのつもりか、セオドアはパンをちぎってピピに与えた。
頬いっぱいにパンを詰め込んでいるのに、その上さらにセオドアの手の中からパンをぶんどる。
流石に全てもらっては申し訳ないと、パンを分けようとしたところで、セオドアは立ち上がった。
「急だったが、時間をとってくれてありがとう。私はもう行くが、ゆっくりしていくといい。ここの肉は美味しいから」
笑顔で言ってはいるが、ここまで話したからこそ、それが社交用に訓練されたものだとわかる。
(外交官には綺麗な顔も必要なのかな。顔がよければ女性の警戒も緩みそうだし)
結局何もなかったから良かったが、ピピが反応しては逃げ出すという生活は精神的につらかった。
ピピは、『奢りだー!わーい!』と呑気に喜んでいるが、全く労力と見合っていないと思う。
「ニナさんの商売がうまくいくよう、祈っているよ」
去っていくセオドアの後ろ姿を、念を込めて睨みつけておく。
呪うつもりなどない。
ちょっと数日、お腹を壊せばいいと思うくらいだ。
ピピが喜んでいる姿を見ると急に食欲が出てきた。
給仕係が見計らったように肉を運んでくる。
いつもの癖で力一杯ナイフを入れると、皿と金属が擦れる嫌な音がした。
『ニナー!ボクのぶんも!』
「今切るから待ってて」
どこを切っても均一なピンク色が出てくる。
熟練の料理人が仕上げたに違いない。
端が焦げ焦げの屋台とは大違いだ。
高級店で食べる高級そうな肉。
これで彼の財布に少しでも負担をかけられたなら、今回のことは水に流してやろうじゃないか。
もう会うことがなければいいなと心から思いながら、フォークを口に運んだ。
ジョレッツォから少し離れた街道にて。
上空に大きな鳥が一羽。
闇夜の中ではうごめく影に気づく者はいない。
大きく旋回したかと思うと、ばさりと音を立てて急降下を始める。
黒い装束に身を包んだ男が左腕を高く上げると、鳥は迷わずそこへ降り立った。
『どうだったの?』
「例の件とは無関係でいいだろう」
『あんなに逃げておいて?』
「守護獣がいたからな」
鳥は面白くなさそうに左右の足を何度か踏み替えた。
『ふーん?なにか後ろめたいことがあるんじゃないの?』
「だとしてもこの任務には関係ないと判断した」
鳥はまだなにか言いたげだったが、男は無視して歩き出す。
小さな木立に分け入ると、男がなにか鳥に命令した。
次に草むらが揺れ動いた時、木立から出てきたのは男一人だった。




