2023年後半 福祉系フリーター編
Biography_20231004_何もできる気がしない.txt
会社を辞めて4日目。
なんとか何件かの求人に応募して、明日から面接がスタートする。
いやはや、退職が確定する前は、辞める意思が上がるほど、やる気に満たされたというのに、いざ辞めてみると、毎日が「疲れた」「ダメ人間だ」と思ってばかりだ。
求人に応募するにもなかなか手が動かなかった。
これは間違いなく、ニートに堕ちる前兆だろう。
不満退職するとこういう現象が人間に起こるというのは、一つ学びだな...
(ただ、会社を辞めたことに悔いはない)
ひと昔前の自分の履歴書を見た。我ながら、まあ真面目なことを書いていると思った。
あの時の自己肯定感は、今の俺にはない。
自己PR?、長所?困難を乗り越えた経験?業務に生かせる経験?
そんな大層な言葉を言えるほど今は元気じゃないんだ。。。
面接など、大学の推薦入試のときに完全克服したと思っていたけど、今はその面接を乗り切れるのか。。。
まあ、会社に生気を奪われました~と言って許される世界じゃないからさ、一応グレードは下がれども準備はしていくつもりだ。けど、このまま面接に落ちまくる未来も案外ありそうで怖い。
その時は、、、
Biography_20231014_つらい時に寄り添う方法.txt
つらい時に寄り添う方法は一つではない
例えば、自分の過去を語りだして、自分の経験を元に勇気づけようとする人
とにかく受け入れて、自分の奥底にある心を引き出してくれる人
無言でくっそくだらない動画を見せて笑わせてくれる人
明るい曲を聞かせて、笑顔にさせてくれる人
下手な人は、明るくなってる自分に言い聞かせてる行動をする
中間の人は、暗くなってる時に自分が明るくなれる行動をする。
上手い人は、相手が明るくなったきっかけや出来事をしっていて、それをさり気なく再現してくれる。
Biography_20231014_生活の軸がないこと.txt
今日から絶賛無職。そして求職活動で4社めの面接を受けてきた。
心の中では、受かって安心したいという気持ちと、受からないほうが良いかもと思う気持ちがある。
こんなんで、仕事が見つかるのだろうか。
というかそもそも、引っ越したままの県でやっていくという判断が過ちだったのではとすら思ってしまう。
この都心には、人がたくさんいる。仕事もたくさんあるけど、人も沢山。
人手不足で誰でもこいやって感じの職業がないような気がする。。
生き方が定まらない。迷走中だ。
大学時代は、学部が常に自分の軸になっていた。
それを囲うように学習支援ボランティアや社会貢献団体や地域おこし、アルバイト先、ゼミなんかがあって、今振り返ると本当に色々な居場所があったと思う。
当時は不満ありきではあったけど、今振り返ると良かったな。昔が良かったと振り返るのは小学生時代ぶりじゃないだろうか。
でも大学時代に育ててきた人脈は、学生時代しか通用しないものばかりで、、
なんだか凄く勿体ない。
その気になれば地元に戻って、弁当屋や事務の会社に頭を下げてみるのも手だと思うけ
ど、それはまたちょっと違う気がする。
あれらはサブとしては好きだけど、自分の「主軸」にはなり得ない。
今の生活には生活の軸がない。言い換えると居場所がない。サブの軸として食べ物カフェや塾講師が湧いてきているのみだ。
次の軸。何であるべきだろう?
大学は出た。
情報系としての志は絶えた。
生活の拠点ですら、ここで良いとは思っていない。
引っ越したこっちは思ったより俺のやりたい仕事があるわけではない。というか、全体的に人手不足な場所がないので普通に居づらい。
そのうち大学の近くか、実家か、四国あたりに行くべき気がしている。
まずは、軸にしたいものを探す必要があるか。
改めて自分が欲しいもの、それを実現するもの、自分にできるものを考え直すべきだろう。
Biography_20231030_心のレッド信号.txt
ついに始まった第二の職業。就労継続支援のスタッフ。障害のある利用者さんに仕事を教えながら管理するお仕事らしい。学習支援の経験はあるから、教えることには慣れているし、PC関係の仕事もあるのでSEほどじゃない程度にPC知識を活かせてちょうどよいという算段だ。
朝から遅刻ギリギリで出社。これはしゃーない。全然巻き返せる
初見なので知らないことが沢山出てくる。
わからないことだらけだ〜
まあそれは織り込み済み。
初日だし、学びで終わってなんぼだ。と、大学4年だった頃の自分なら軽く流しただろう。
今日も、家に帰って飯を食うまでは正常だった。
だが、ご飯を終えてから急に無気力になる。
twitterで鬱ツイートを覗く。
うつ病診断をして案の定なにもないことを確認する。
明日から4日続く労働?
すでに前向きな心腐ってる?
普通に自分が鬱なんじゃね?
なんかすごい疲れたんだけど。
ちょっと急に頭痛と、体が暑くなる感覚と、胸が押さえつけられる症状が。
8月,9月もこんな感じだったよな。
ああ忘れていたよ。この本当にすべてがどうでも良いと思えてくる感じ。誰か俺を殺せってね。
この感情は大事にしたい。
だが俺の正の人格が赤い信号を点滅させた。これ以上感傷に浸ったら本当にやばい、と。
負の感情を大事にする自分ですが、本当に負の感情に支配されたらヤバいことは知っている。
だからちゃんと一歩手前にまで戻ってくるんだけど、今日はなんか本当に危険を感じた。
俺は前職でどこまで失ったんだ。。
労働初日でこれって大丈夫?
いや、やめよう。考えることを。
Biography_20231105_フリーターとしての今後.txt
1. 身軽になる 半年かけて冬物の装備を選別する
2. 同居する 一人ぼっちは寂しい
3. 脱毛する
4. 臨床心理学OR中国語を勉強
5. 仕事 履歴書で真っ当な経歴とみなせる3年間は勤務したい。
6. 次の仕事 中国か関西地方に引っ越すことだけ考えている
Biography_20231121_久々の病気.txt
月曜日の朝、なぜか吐き気を感じて起きた。なぜこうなったのか、色々心当たりはあった。皿の洗い方が雑だったり、脂肪食べていたり、、。去年よりも布団の数を2枚も減らしたのに部屋は寒かったり。
夜に体温を測った際には38.6度まであった。
明日のしごとをどうするべきか、、悩まずにはいられない。
明日も自分の担当があるから、下手に休みたくない。けど感染症なら伝染させるわけにもいかない。結局今日になるまで会社には連絡できていない。
朝でも体温が37度はある。体はだいぶ楽になったけど、出勤して良いのか、微妙だ。。
とはいえ、今回の事象から得られる教訓は大きい。
衛生管理と栄養管理が怠けていたこと
それから、食欲がないときの感覚を久々に実感した。ここ半年は毎食のたびに食べすぎてしまいそうになるくらいで悩んでいたのに、病気になるとなにも食べたくないと思う。
食欲が湧かないこの感覚は、できればこの先も覚えていたい。
Biography_20231203_死期を感じる。.txt
食欲というものは本当に厄介な欲求だ。
飯は腹八分までといわれるように、食欲には忠実になりすぎてはいけない決まりがある。毎回10割食べてしまっては満腹に苦しむことになるから。ゆえに我々はこの欲を制御しなければならない。
ここ最近で2回も吐いてしまった。今週は先週の食欲不振が嘘だったみたいにお腹が空いていた。ゆえにかなり食べた。それが多すぎたのか、適量だったのかすらわからないのだが。体は悲鳴を上げる
ただ食欲がないだけではない。全身がとても怠い。胃が疲れているのを筆頭に、全身に力が入らない。頭も痛い。発熱がある。すぐにベットに横になってしまう。
病院に行きたいと思うが、死にたがりである自分にとっては、いつか病死するのが筋なのだろうと思うと診察する気が幾分か失せる。ここで死ぬのが運命なら受け入れたいと思ってしまうから。ただ、やはり、苦しいのは嫌なもんだ
人の心は状況次第ですぐ変わってしまう。先週胃腸炎に苦しんだときは、今後の食生活を見直すことを心に決めたのに、健康に戻るとほぼもとの生活にまで戻ってしまった…
今度こそ食のあり方を肝に銘じるべきだろう。日持ちする粉物を中心にした食生活。青汁や液体ヨーグルトなど健康的でかつ食欲の増減にたいおうできるやつ。あとは備蓄品を大幅に減らす。そう遠くないうちに死ぬことを思えば、備蓄は食材の無駄になる。何なら餓死こそ自分に相応しい最後ではないかとすら思う。
Biography_20231205_胃に穴が開くのは不安症から.txt
前職は機械音痴を自覚し、二度とSEにならないつもりで退職した。
しかし今、おおむねシステム担当の道を進んでいるように見える。
こっちの職場では褒めてもらえるし、求めてもらえる。期待もされるし、厳しくない。
おなじシステム担当なら絶対こっちの方が良い
けど、不安は同じだ。
むしろ、褒められるからこそ油断しがちになる。
今日も、無断でスクリプトを実行し、exeファイルをクリックした。
「仕様書を読んだから大丈夫」、「向こうもそのつもりでお願いしている」なんてかってな妄想を膨らませて行うこれは非常に危険な心理だ。
やることは簡単。ただひとこと
「これって実行しちゃっていいんすか?」と聞けば良い。
或いは「私には怖くて操れません」と言えば良い。
周りから承認を頂いているとつい期待に応えたくなって、やらかしのルートに舵を切ろうとする。
危ない行為には、仕様書に注意書きがあるはず→そんな保証はない
普通危険なことをしようとしていて野放しにはしないだろう→ここは危険なことを想定するほどの高度な組織じゃないだけだ。
何より、危険な行為を試みようとする自分を野放しにするな。
そうはいっても、現場ではなかなか冷静になれないのが俺の悪い癖だ。
向こうは忙しそうだし、今の自分なら自力でもいけるはずだ~と思ってしまうことが多々ある。そのたびに胃を苦しめる。自滅だ。。
生きていてはいけない存在に感じる..
Biography_20231222_ミスに弱いというか愚痴に弱い.txt
ついに新しい職場でやらかしといえるミスをしてしまった。
毎日天に祈っていたとしても、避けられない悲劇はある。全くミスをしないというのも注意すべきことが見えなくなってしまうので良くないし、たまには仕方ないと自分では思って片付ける。
幸いなことに、というか正直言うと自分の非はそんなにないだろうと言いたくもなる。
電話番号と住所の桁数がおかしいということに初見で気が付かなければならなかったというだけのこと。事前にチェックリストがあるわけでもないのだから、普通に見逃す人間なんていくらでもいるだろう。
ただ今の職場は少しだけ愚痴が多い。利用者に対して、客先に対して、べつに普通の人間的な性質だと思うので普段は聞き流すけど、自分に関わることとなれば胃を痛めながら聞かざるを得ない。
きっと上司は、俺のことを常識のない欠けたヤツだと思ったのだろうな。まあそれくらいで解雇されることもないだろうし、1週間もしないうちに話題から消えるとは思う。だから気にすることではないと思いたいのだけど、あ〜あって無気力になりそうになる。
Biography_20231222_歩合の影.txt
歩合制度。成果を出した分だけ報酬が増える。
お金がほしいなら頑張るし、それ以上求めないならほどほどに働けば良い。
報酬は成果で出されるのだから、極論、仕事ができなくても文句は最小限で済む。理論上は。
ただ歩合制度はモチベーションアップを期待して導入される。
歩合制自体は全然良い制度だと思う。できない人間から見ても、できる人間から見ても、不公平が正されるから。
上司からすると、もっと働いてくれるだろうと期待して歩合制度を入れてくるのだ。
だから歩合だから程々で良いや〜と思われてしまったら上司の反感を買ってしまう。この点は十分注意する必要がある。
直近、上司に歩合制を打診されたときには違和感を感じた。
作り笑顔こそやったが、なんか不本意だった。
無論、お金はほしい。けど今以上に求める理由はまったくない。故にモチベーションには1mmも貢献しないだろう。むしろここで頑張ったら「お金が増えれば頑張る人」という判定を受けかねない。
...それが問題かと言われればそんなこともないはずなんだけど。
どちらかというと先行きへの不安だと思う。給与が上がるという打診はつまり、責任と期待が増えるということを意味する。俺はまず時給相応の働きくらいはしたいと思って頑張っているわけだが、もう時給以上の期待をされるのは心が追いつかない。
(というか時給以上に働きをするつもりはなくて、時給以上のことができるようになったら体を緩めたい。何なら業績に繋がらない細かいことに目を向けていきたい(=やりたいことを優先する)タイプ)
光栄なのか不本意なのか、上司からアルバイトを超える立場を求められる日が近いのではないかと思うと怖い。給与は据え置きで無問題。労働時間と責任が増えるのは勘弁。
やっぱ働きたくない。もしも正規雇用の打診なんかきたとき、俺はどうやって雇用契約を回避しようか...
この話は、自分が自惚れていただけだということにしよう。
Biography_20231223_己のやりたいことの本質を再考察.txt
やりたいことを仕事にしてはいけない。
前職を辞めた理由を一言でまとめるとこうなる。あくまで対外的に言うための控えめな言葉だったつもりだが、改めて思うと、ほとんどの本質を突いている。
俺が「やりたいこと」を実践するには条件があった。
1つは、責任がないこと。
2つは、損益勘定がないこと。
これらがないからこそ、やりたいと思える。
個人でシステムを作る分にはまさにこれらがない。お絵描きにしろピアノにしろ同じだ。別に変な失敗をしても誰からも責められないし、責めを感じることもない。損失を出して酷く後悔することもほぼない(データが消えた時だけは後悔する)
でも仕事においては責任があるし、損益が伴う。
そうすると何が怖いかというと、自分のやりたい想い以上の努力や成果が求められる。勿論自分の好きと相違する部分の作業も伴う。
本質を言うと、俺が好きなことは、本当は好きではないと思う。
ただ、これが趣味なんだと自分で言い聞かせてきただけだ。そして一般に言われているプログラミングの楽しい部分を感じて、「好きかも」と思っているに過ぎない。ほかにやることもないし、やるか。くらいの気持ちだ。
「あれのために生まれてきた」「あれのためなら命をかけられる」「あれへの愛なら誰にも負けない」
そんな感情がない。
だから、他人から求められれば、それは「好きなことを仕事でできる」ではなくただの仕事になる。
いやもっと悪い。自分で好きだと思っていたものに苦しめられるのだから。
8,9月の頃には、家でプログラムを見ることが嫌になった。自分が好きだと思っていたものが敵になったような気がした。
元々機械音痴だし、新しい領域に行くたびに大量に失敗を重ねている。常識を疑うようなミスなどいくらでもやっただろう。でも個人でやってきたからノーダメージで経験値を積んできて、一応SEでない一般人よりはできることが多いのかもしれない。
だからまあ、今現在でできることの範疇でシステム関係の能力を求められる内は問題ない。できるレベルで求められる程度ならむしろ楽しいくらいだ。
でもできるレベルを超えたらその瞬間から嫌いな仕事に早変わりする。
成長は、責任とプレッシャーのないところで行いたいものだ。
仕事で自分の全力を出してはいけない。自分を守るために。趣味が仕事になったら、趣味に責任を上乗せしたら、それは避けるべき敵になってしまうから。
Biography_20231231_夢はあるかもしれないできないだけ.txt
たまにだけど、夢の中で知らない曲が流れることがある。とても良い音色、居心地が良い。寝ているからそう感じるだけかもしれないけど。。
もし自分が音楽家だったなら、夢から覚めたらすかさず、その曲を忘れないうちに楽譜に書き起こすだろう。
お絵描き、小説、画面設計、システム設計と色々な分野に手を突っ込んできた。ゲーム開発で言えば、あとは作曲さえできれば、完全なオリジナル作品(著作権的にすべて自作といえる)を作ることができるでしょう。
もっとも、一つ一つの分野の能力は小さいし、そんな状況で別分野に手を伸ばすのは悪手だと思う。
ただやっぱり曲を作りたかったという想いはある。夢はあったが、実現できるだけの実力がなかった。
もし一緒に音楽を奏でられる恋人がいたら、泣くほど幸せだっただろう




