檻の中の王と、血塗られた剣鬼
「……さて、お喋りは終わりだ」
ローガンが不快な音を立てて椅子から立ち上がった。牢の向こうから、部下の傭兵たちの卑俗な笑い声と、酒を煽る騒がしい音が聞こえてくる。
「頭領! 宴の準備が整いましたぜ。オークどもから巻き上げた極上の酒、開けちまいましょう!」
「おう、今行く」
ローガンは吐き捨てるように言い、背を向けた。
「……待ってくれ! ローガン!」
彰人は震える手で鉄格子を掴み、叫んだ。
「話し合おう。あんたたちの要求はなんだ? 金か? 領土か? ……命を奪い合わなくても、もっと効率の良いやり方があるはずだ。頼む、場を設けてくれ……!」
ローガンが、足を止めた。
ゆっくりと振り返ったその瞳には、感情の欠片もなかった。ただ、数千、数万の命を屠ってきた者だけが放つ、物理的な質量を伴う「殺意」がそこにあった。
「…………っ」
言葉が、喉の奥に凍りついた。
警察官の息子として、どんな凶悪犯にも怯まない精神を叩き込まれてきたはずだった。けれど、目の前の男が放つのは「法」が通じる人間のそれではない。ただの、剥き出しの暴力だ。
その一瞥だけで、彰人の膝はガクガクと震え、声は掠れ、呼吸の仕方さえ忘れてしまった。
「……話し合い、だと?」
ローガンは鼻で笑った。
「ガキ、勘違いするな。交渉ってのはな、対等な力を持つ者同士がやるもんだ。……お前には、何がある?」
そう言い残し、ローガンは地下室を去った。
重い鉄の扉が閉まる音が、彰人の「無力」を宣告する葬送曲のように響いた。
(……何もない。俺には、言葉以外、何もないんだ……)
情けなさに涙がこぼれそうになったその時。
天井の通気口から、音もなく「影」が滑り込んできた。
「……魔王様」
低い、だが鋼のような芯のある声。
現れたのは、引き締まった体躯を持つ若きオークの雄だった。
「……誰だ?」
「レジスタンスをまとめております、モスと申します。……今の、見ておりました。あの剣鬼に言葉を投げかけようとしたのは、あなた様が初めてだ。……皆、湧き立っております。ついに、我らの王が降臨されたと」
【信仰値:355 → 480】
視界に踊る数値。
恐怖で震えていた彰人の指先が、その数値の輝きに照らされるように熱を帯びた。
たった数人。だが、その数人がこの絶望の中で、無力な自分を「王」と呼んで命を懸けている。
「……モス、言っておくが俺に戦う力はないぞ。さっき見たろ、あいつの一瞥で腰を抜かすような情けない男だ」
「力など、後からついてくるものです。何より、あなた様には『心』がある。……さあ、今のうちに。酒盛りの隙を突いて脱出します」
モスは短剣を抜き放ち、見事な手際で牢の鍵をこじ開けた。
眠り続けるウルティマをモスが背負い、二人は暗い通路を駆け抜ける。地上からは、レジスタンスたちが放火した食糧庫の煙と、傭兵たちの怒号が響いていた。
「……行こう。俺が、こいつらを……帰る場所のない奴らを、守るんだ」
それは神託への従属ではない。彰人が初めて、自らの意志で「王」という重荷を背負った瞬間だった。
だが、脱出路の出口。
赤く燃える炎を背に、ゆらりと巨大な影が立ち塞がった。
「……宴の途中に火遊びか。オークのブタどもめ、いい度胸だ」
そこには、大剣を肩に担ぎ、酒の匂いと殺気を漂わせたローガンが立っていた。
火の粉が舞う中、彰人の「覚悟」が、この世界で最強の暴力と正面から衝突する。
「……逃がさねえぞ、魔王。お前のその震える足が、どこまで保つか見せてみろ」




