吹雪の防衛線、アイズ城の怪光
ガタガタと揺れる馬車の窓から見える景色は、数週間前から一変していた。
温暖だった王都の面影はなく、灰色の雲が低く垂れ込め、窓の外には果てしない雪原が広がっている。グラウディア王国の北端、スラーデン州。そこは峻険な山々に囲まれ、その向こう側には未知の「暗黒大陸」が控える、人類の最前線だった。
「勇太様、寒くありませんか? これを」
王女カレンが、温かな魔力を帯びた毛布を勇太の肩にかけた。彼女の使う「聖神魔術」は、勇太のそれとは異なり、神への祈りを通じて奇跡を借り受けるものだ。その熱は優しく、凍える勇太の心をわずかに溶かす。
「……ありがとう、カレンさん」
「フン、アタイはこの寒さには慣れてるが……勇太、あんたは無理すんじゃねえぞ。ここは魔族の領域に近い。いつ何が飛び出してくるかわからねえからな」
ジャンヌは馬車の外を鋭い目で見張りながら、手にした剣の柄を握り直す。道中、何度か野良の魔物に襲われたが、ジャンヌの目にも止まらぬ剣技の前には敵ではなかった。
移動中の1ヶ月、勇太は二人からこの世界の「常識」を学び続けていた。
• 魔族: 暗黒大陸に住む、知能を持った邪悪な種族。魔術に長け、常に人間を滅ぼそうと画策している。
• 魔王: 魔族を束ねる絶対的な悪。
• 勇者の力: 聖神魔術。それは「自らの正義に仇なす悪意」を滅ぼすための、勇者にしか許されない唯一無二の力。
勇太は、その教えを素直に受け止めていた。だが、同時にどこか居心地の悪さも感じていた。
(……生まれた時から、みんな『魔族は悪い奴らだ』って知ってる。……じいちゃんはよく言ってたな。『みんなが言ってるからって、それが正しいとは限らないぞ』って。……でも、現にこうして、人々は怯えてるんだもんな)
そんな勇太の迷いをよそに、雪の中に巨大なシルエットが浮かび上がった。
アイズ城。
幾重にも張り巡らされた城壁は、暗黒大陸から吹き下ろす猛吹雪を遮るようにそびえ立っている。
「到着しましたね。……あそこが、今回の私たちの目的であるアイズ城です」
カレンの声に、勇太は覚悟を決めるように聖剣の鞘を強く握り締めた。
城門が開かれ、勇者一行を乗せた馬車が重厚な石畳を鳴らして入城する。
歓迎の喇叭が鳴り響く中、城の上層――猛吹雪に霞むテラスから、その光景を冷たく見下ろす瞳があった。
「……ククッ、来たか。待ちわびたぞ、勇者サマ」
アイズ城の主、アイズ三世。
彼は贅を尽くした毛皮の外套に身を包み、ワイングラスを傾けながら、小さく見える勇太たちの姿を眺めていた。その不敵な笑みには、人類を救う喜びなど微塵も含まれていない。
「……伝説の力がどれほどのものか。……この『アイズ城』という巨大な実験場で、じっくりと見せてもらおう」
アイズ三世の背後では、数人の魔術師たちが、不気味に明滅する黒い水晶を囲んで何かを書き留めていた。
勇太が城内に一歩足を踏み入れた瞬間。
彼の頭の中で、再び無機質な警告が響く。
【感知:広域にわたる不明な魔力干渉を検知】
【警告:この領域には、複数の『悪意』が混在しています】
(……なんだ? さっきから、胸がざわざわする。……ローガンの時とは違う、もっと、じっとりとした嫌な感じだ)
勇太は上層を見上げたが、そこにはただ、激しく舞う雪が壁を作っているだけだった。
魔族を滅ぼすための聖域で、勇太を待ち受けているのは、果たして「魔族」だけなのだろうか。
傍観者たちが設定したシステムの上で、勇太の正義が初めて試されようとしていた。




