0の境界、聖なる逆流
「あばよ、ブタ野郎。お前ら魔族にふさわしい、泥まみれの死だ」
黄金に輝くローガンの拳が、モスの頭上に振り下ろされようとしていた。
震える足。動かない腕。彰人の視界は、恐怖と絶望で歪んでいく。
(……ああ、やっぱり無理だったんだ。俺みたいな、損得ばっかり考えてる人間が、王様なんて……)
その瞬間。
死の間際の走馬灯のように、古い記憶が彰人の脳裏を駆け抜けた。
まだ小学生の頃。昼休みの静かな廊下。
トイレに行こうとした彰人は、5人の上級生が1人の下級生を囲んでいるのを見かけた。
(勝てるわけない。先生を呼びに行くのが『正解』だ)
そう思って背を向けようとした時、聞き慣れた声が響いた。
『やめろよ! そんなの、かっこ悪いぞ!』
痩せていて、クラスで一番背が低かった勇太だった。案の定、勇太は逆に囲まれ、突き飛ばされた。
(バカだ、あいつは。2人で行ったってボコられるだけなのに)
彰人はため息をつき、割って入った。どちらの面子も潰さない、一番『丸い』妥協案を提示しようとした。
だが、泥だらけになった勇太の目は、妥協なんて微塵も考えていなかった。
『彰人、こいつら、間違ってる。……一緒に戦ってくれ!』
(……ああ、そうだったな。お前はいつもそうだった。どれだけ不利でも、自分が正しいと思ったら絶対に引かなかった)
「勇太……。お前なら、こんな時、どうするかな」
彰人は、かつての親友の「折れない心」を、自分の中の空っぽな器に注ぎ込んだ。
その瞬間。
【エラー:信仰値が負の値を計測】
【警告:システム外のエネルギー流入を確認】
【勇者の残照:解放】
「……なっ……なんだ、この光は……!?」
ローガンの動きが止まった。
彰人の胸の奥から、闇を切り裂くような、純白で神々しい光が溢れ出した。それは魔族が持つ禍々しい魔力とは正反対の、温かく、けれどすべてを拒絶するほどに鋭い「聖なる輝き」だった。
「この光……。どっかで見たぞ。……そうだ、王国の出陣式だ。あの『勇者』とかいうガキが振りまいていた……聖神魔法か!?」
ローガンの黄金の肉体が、彰人の放つ光に触れただけで、ジリジリと音を立てて剥がれ落ちていく。
「……え、待って。何あれ? ちょっと、事務官!」
純白の空間で、ポップコーンを口に運んでいた神が、椅子から転げ落ちそうになりながらモニターに食いついた。
そこには、魔王の配役を与えたはずの彰人が、勇者専用のスキルである「聖なる光」を纏ってローガンを圧倒し始めている姿が映っていた。
「主様。……解析不能です。魔王の魂が、特定の個人――おそらくは『勇者』への強い共感と憧憬によって、システム上の境界線を突破。勇者側のサーバーから力を逆流させています」
事務官は、かつてない速さでホログラムのキーボードを叩いた。
「バグですね。本来、正反対の属性が共存することはありません。……介入して修正しますか? このままでは物語の整合性が崩壊します」
事務官が「削除」のボタンに指をかけ、神の返信を待つ。
神は、呆然とモニターを見つめていたが……。
「……あはは! あはははは! すごい、すごいよ彰人くん! 親友のことが好きすぎて、設定まで壊しちゃうなんて!」
神は腹を抱えて笑い出した。目に涙を浮かべ、無邪気に、そして最高潮の興奮とともに叫ぶ。
「いいよ、このままで! 修正なんていらない。魔王が勇者の力を使うなんて、予定調和より百万倍面白いじゃないか! 事務官、観測を続けて。……さあ、彰人くん! その『偽物の光』で、どこまでやれるか見せてよ!」
神の無邪気な狂気が、盤上の嵐をさらに加速させていく。




