表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空白  作者: 西川 笑里
PR
5/8

違和感

 ドアを激しく叩く音で目が覚めた。枕元に置いた目覚まし時計を見ると、午後十一時を少し回ったところだった。

 木原が寝ぼけ眼でドアを開けると、当番の先輩が立っていた。

「署から電話だ」

 先輩はそれだけ言うと、さっと背を向けた。

 その頃木原は、玉川にある警察の独身寮に住んでいた。

 刑事になって二年目、二十六歳のときだ。

 パジャマがわりのジャージのまま、一階にある共同電話へ向かう。まだ頭がうまく回ってない。

「はい、木原です」

 共同電話の外してあった受話器を取る。

「おう、すぐ××大学に行ってくれ。生活安全課の連中がいるはずだ」

 当時の係長、浅井警部補の声だった。名乗らなくてもわかるだろう、という前提で話してくる。「どなたですか」なんて聞くものなら、後でこっぴどい目にあうのが当たり前の時代だった。

「川沿いのあそこですよね。何があったんですか」

「ああ。学生の飛び降りらしい」

「飛び降り? それって強行犯の出番、あるんですか」

「そう言うな。あいつらも人手が足らねえんだ。応援だよ」

 その頃、一月に起きた阪神淡路の震災で、警視庁からも多くの警察官が関西へ応援に出ていた。その影響で所轄も人手不足は当たり前のようになっていた。

 木原自身も前日からの張り込みで、寮に戻ったのは夕方だった。ようやく泥のように眠っていたところだ。

 正直、行きたくない。

 それでも、浅井に行けと言われて、行かないという選択肢はなかった。

 着替えて原チャリで現場に向かう。まだ三月の夜中の風は激しく冷たい。革の手袋をしていても指が悴んでくる。吐いた息が口の周りで固まる。


 大学が近づくと、パトカーの赤いランプが見えた。近くの適当なところへバイクを止め、入り口で警備する制服警官に軽く手を上げて、木原は規制線をくぐった。

 遺体はすでに担架に乗せられ、搬出されるところだった。

「ちょっとだけ、いいですか」

 応援とはいえ、現場に入る以上、木原も一応は遺体を確認しておきたかった。

 掛けられた布をめくる。頭部からの出血はあるものの、思ったよりも顔はきれいだった。

「少し、背中を見てもいいですか」

「ああ。もう確認は済んでます」

 鑑識係に手伝ってもらい、遺体をわずかに傾ける。

 冬物のジャンパーの背中に、赤茶けた錆のような汚れが筋になってついていた。ほかに、大きな損傷は見当たらない。

「おう、熱心だな」

 そこへ、生活安全課のベテラン、坂元が声をかけてきた。

 坂元は階級こそ巡査部長だったが、現場一筋で、上からの信頼も厚い男だった。

「あ、お疲れ様です」

「悪いな、こんな夜中に。人が足りなくてよ」

「いえ、大丈夫です」

「それに、たぶん結果は動かないとは思うが、事件性が薄いところでも、一応は強行犯にも見といてもらおうと思ってな」

「つまり……」

「ああ、間違いない。自殺だよ。あそこから飛び降りた」

 坂元が懐中電灯で照らしたのは、五階建ての校舎に取り付けられた非常階段だった。

 光は、その四階の踊り場で止まった。

 高さは何メートルあるだろう。十五メートル、いや、もう少しあるか。

 そのまま視線を下に動かすと、コンクリートの地面に、人型に貼られたテープが見えた。

 木原はそのすぐ脇に立ち、非常階段を見上げた。

 かすかな違和感を覚えた。

「坂元先輩、ちょっと近すぎ、ませんか」

「あ?」

「あ、いえ。もしあそこから勢いをつけて飛び降りたのなら、もう少し離れたところに落ちそうな気がするんですよね」

 木原がそう言うと、坂元はしばらく上を見ていたが、鼻で小さく息を吐いた。

「人の落ち方なんて、わかんねえもんよ。俺はいろんなところに落ちた人間を見てきた。こんなの珍しくもねえ」

「そんなもんですか」

「ああ。死のうってやつが、みんな勢いよく飛ぶわけじゃねえ。手すりを越えたところで足がすくむやつもいる。そういうのは案外、壁際に落ちる。落ちた場所だけでどうこうは言えねえよ」

 坂元が、木原の肩をぽんと叩いた。

 刑事になって二年目の木原には、場数を踏んでいる坂元に反論する術はなかった。

 そこへ、

「巡査部長、これももう持って行っていいですか」

と声がした。

 木原が振り向くと、少し離れたところで、鑑識係のひとりがビニール袋を掲げていた。

「おう、頼むわ」

 坂元が手を上げて返事をする。

「先輩、あれは?」

「仏さんのポケットに入ってたもんだ」

「見てきていいですか」

「熱心だな。好きにしろ」

 坂元は、ふん、と鼻で笑った。

 ビニール袋には、学生証と運転免許証、財布、学生生協のカード。それに、開封されていない缶コーヒーが入っていた。

 袋越しにも、まだ温かいのがわかった。

 そのとき、何かがふっと気になって、木原はもう一度、非常階段を見上げた。

 それは、違和感と言えばいいのだろうか。妙な胸騒ぎがした。

「学生証、見てもいいですか」

「どうぞ」

 木原は手袋をした指で学生証を開いた。

 柊雄太。

 この大学の法学部法律学科、二回生。おそらく来月から三回生だ。

 運転免許証の住所は九州だった。ここが実家なのだろう。財布の中身も、ざっと見た限りでは荒らされた様子はなかった。

「ありがとう」

 鑑識にそう言って、木原は坂元のところへ戻った。

「気が済んだか」

 坂元がニヤリと笑った。

「家族への連絡とかは?」

「今、照会をかけているところだ」

「九州みたいですね」

「まあ、わかったら向こうの警察から連絡してもらうことになってる。さて、一旦署に帰るか」

 そう言って坂元が背を向けた。どうやら彼の中ではすでに結論が出ているようだ。

 だが木原は、少し感じた違和感の正体がわからず、坂元を引き止めることもできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ