第10話:激情と合理
電車から愛原が居なくなっても、澪は肩を震わせたまま黙り込んでいた。
私は最寄り駅に着くまでずっと彼女の背中をなで続けていた。
澪をそのまま一人で帰らせるのも忍びなくて、私はそのまま彼女の家までついて行くことにした。
さすがに電車を降りる頃には澪も歩ける程度に回復していて、私たちは夜の町を歩いていた。しかし、澪の道案内にしたがって行くと、一軒ごとの敷地が広い、いわゆる高級住宅街に入っていった。
「……こっちで道あってます?ここ高級住宅街だと思うんですけど。」
そう聞けば、澪はどこか不機嫌そうに答えた。
「……うん。あそこが私の家。」
そこはひときわ大きな屋敷で、庭も広くガレージも立派だった。
ただ、室内に灯が付いておらず、親は留守にしているらしい。
澪は帰宅の挨拶もせずに黙って鍵を開けると、私の手を引いて2階の自室らしき部屋へ一直線に進んでいった。
部屋の中は言ってはあれだが、普通の女の子の部屋という感じだった。明るいパステルカラーの壁紙に青色のカーテン。そこら中にぬいぐるみが適当に並べられ、ファッション雑誌や漫画が角の方に集められている。
別に何かおかしな部屋を想像していたわけではないのだが、自分の部屋と比較してしまうとこう普通の女の子だなと感じてしまうのだ。
ちなみに私の部屋にはパソコンデスクとちょっといい本棚、パイプベッドに部屋の構造に組みこまれた小さな箪笥しかない簡素な部屋である。中学時代の友達からは「何にもない」と評されていた。
そうして、部屋に入った澪はそのままベッドに倒れこみ、耐えきれなかったように泣き始めてしまった。
「うぅ、うううううぅ…………。」
枕に顔を押し付け、うなりながらシーツを握りこむ。私は何を言うでもなく椅子を見つけて座ると、彼女が落ち着くのを待った。
そうして数十分。ようやく泣き止んだ澪は目元を赤くしながら顔を上げた。
「ごめんなさい。何も言わずに泣きだしたりして。」
「いえ。ただ、好きなんですね。火野さんのこと。」
「……そうね。好き……なんだと思う。」
そう言って澪は懐かしむように中空を見上げた。
「実は、私の親っていわゆる政略結婚でね。家に帰ってくることなんてほとんどなかったの。だからってわけじゃないと思うけど学校でいじめられちゃって。そこで助けてくれたのがあいつだった。」
そう言って、ベッドに座りなおして続ける。その声色はなつかしさと同時にどこかやるせなさを含んでいた。
「そこから交流が始まって、あいつの家で遊ぶことも多かった。そうこうしてたらあいつの父親が事故で死んじゃって。当時は見てられなくて、でも何もできなくて。お小遣いの中からあいつのお菓子買ってあげたりするのが精一杯だったわね。なのにあいつ、そのお菓子兄弟に分けてたのよ。自分は食べずに。」
どこか泣きそうにも見える表情のまま、淡々と語り続ける。
「中卒で働くって言ってたこともあったわね。それは私とあいつのお母さんで止めたけど、あいつムキになって学費は自分で払うって聞かないの。そうこうあるうちに神話回帰が起こって、あいつは冒険者を目指し出した。だって稼げるって早い段階で判明してたから。」
そこまで言って我に返ったように顔をこちらに向ける。
「ご、ごめんなさい。こんなこと言っても晶にはわけわかんないよね。ごめんなさい。」
「別にいいですよ。こういう時は言葉にした方が発散できますし。」
「ありがと……。でも、言ってて思ったんだ。火野には私よりもあっちの方がいいんじゃないかなって。」
少しだけ息を吸って、震える声を整えようとする。
「だって今の時代、広告収入ってすごいし。ダンジョンに無茶して潜るより安全で、ちゃんとお金も入るし……」
そこまで言って、一瞬だけ言葉が止まる。
「……私、何やってるんだろ。あいつの隣にいるだけで、何も出来てないのに。」
その声がわずかに歪む。
「なのにさ、あの子は……かわいくて、ちゃんと稼げて……隣に立っても恥ずかしくないじゃん……」
澪の呼吸が乱れる。
「私なんか居なくてもいいじゃん……」
ただ、そこで耐えきれないというように顔をクシャリと歪めて、悲嘆の言葉が口から漏れ出していく。
「やだよ……っ」
拳がシーツを掴む。
「ごめん……ごめん、無理……っ。いや、やだ……あいつと離れるなんて……っ」
私はそっと立ち上がると、音をたてないように澪へと近づいて行く。
「いやだ。消えればいいのに……。あの女も、私も、消えちゃえばいいのに。死んじゃえば……。」
「だめですよ。それは。」
そう言って澪の頭を抱えるように抱きしめる。そして、彼女の髪をすくようにゆっくりとなでて落ち着かせていく。
「う、うぅ……。」
また、泣きそうにうなる澪に話を続ける。
「今はだめです。まだ状況が悪いんですから。ああいう相手は暴走するのを待って、尻尾が出てからそれを逃さないようにして、私たちが加害者にならないように、被害者に見えるようにしてからやらないと。」
その瞬間、澪のからだが強張った。
「……え?」
恐る恐るというように顔を上げる澪。きっとそこには、優し気で、でもどこか無機質な顔をした私が映っているに違いない。
私が違う理由で精神を病んだときに見せた、先輩と似て、でもより感情のない表情。
だって、今の言葉は先輩にかけられた言葉をそのまま言っているだけなのだ。
私の言葉ではない。でも、私はこれ以上に現実的で、彼女の心に寄り添った気の利いた言葉なんて思いつけなかった。
その後は二人とも何を言うこともなく、気が付くとその場で二人して眠ってしまっていた。




