第15話:エンカウンター
奥の方から、悲鳴とともに、獣のうなり声が響いてくる。
私は素早く周囲を見回しながら、鞄からバックラーと警棒を取り出して装着していった。試作兵器がこぼれ落ちたので、慌ててポケットに突っ込む。確認から装備まで、約三十秒。その間にも、被害は拡大していく。
周囲では、アラートが鳴り響き続け、それに重なるように悲鳴と怒号が上がっていた。逃げようとする群衆が動くせいで、集団パニックになっている。その中でも、特に悲鳴の大きい方へ、人込みを避けて進んでいく。そして目に入ったのは、複数の人の死体と、それをむさぼる三体の獣の姿だった。
狼型のユーン。手足の先と口の周りが赤い毛並みで覆われているが、それが自毛なのか、返り血なのか、もう分からなくなっている。ブラットウルフ。たしか、Cランク下位のユーンだったはずだ。習性は、とにかく血の臭いに敏感なこと。こいつがいるダンジョンで出血すれば、常に追い回されることになる、とかなんとか。
私は、その光景を見て、一瞬顔を歪めた。なぜ、厳重に管理されているはずのCランクダンジョンで、スタンピードなんて。しかも、市街戦では、いちばん面倒なブラットウルフか……。
そこまで考えて、私は、死体にそれほど強い嫌悪感を覚えていないことに気づいて、愕然とした。
しかし、私の戦慄にかまわず、状況は動いていく。一通り死体をむさぼったブラットウルフが、次の標的に目をつけた。その視線を追って、私は、自分が人の死に何も感じていないこと以上の恐怖を覚えた。
「……お父さん」
そこには、腰を抜かした父の姿があった。ブラットウルフは、飛びかかる体勢に入っている。
「っ……やめろぉーー!」
私は、常に意識して付けていた心臓へのリミッターを外し、全力の身体強化をして、常の二倍以上の魔力を警棒に纏わせ、ブラットウルフに殴りかかった。
ひと跳びで十メートル近く突き進み、今にも飛びかかろうとしているブラットウルフの脳天に、警棒を叩き込む。いつもより分厚く纏った水晶は、重量のある鈍器となって、頭蓋を陥没させた。瞬時に警棒を振り上げ、もう一体の顎を叩き砕き、怯んだ隙に、常よりだいぶ力強くなった前蹴りを横顔に入れて、首を折る。蹴った勢いで最後の一体に飛びかかり、バックラーごと体当たりして抑え込み、警棒を捨てて、腰のポーチから取り出したナイフで、首を掻き切った。
素早く離れると、三体のブラットウルフは、光の粒子に変わっていった。私は警戒しながらナイフをポーチに……いや、緊急事態だ。ここでベルトの鞘にしまっておこう。そして警棒を拾い、振り返ると、目を丸くしている父の姿があった。
「何してんの?」
私が冷たい声で言うと、父は、呆けた表情のまま「へ?」と言う。
「早く逃げろってんの!!」
私が怒鳴ると、父だけでなく、周囲で逃げ遅れていた人たちも、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。ようやく、危機感が働いたらしい。別種のパニックが起こっているが、誰も戦場には近づきたくないのか、こちらへ来る者はいない。私まで化物扱いされているのは、あれだが、逃げ出さないよりましなので、見逃す。それよりも。
「……あぁ、もう。次から次へと」
また、ブラットウルフが二体、こちらへ迫ってきていた。ポケットに入れたあれを抜くか迷うが、あれは、どの程度の力があるか分かったものではない。今は慣れている警棒とバックラーで……。そこまで瞬時に思考を回し、心臓から聞こえる異音を無視して、再びブラットウルフと戦おうとした、そのとき、そいつは現れた。
空から、巨大な影が降ってくる。それは右側のブラットウルフを踏みつぶし、もう一体の首をわしづかみにして、その胴体を食いちぎって捨てた。
そいつは、分かりやすく言えば、人狼だった。二メートルの長身。がりがりにやせ細った体に、どす黒い刻印が刻まれている。右手には刃渡り一メートルの鉈、左手は、ぶらりと垂れ下がっている。しかし、やせ衰えた体とは裏腹に、感じるプレッシャーはすさまじく、その瞳はギラギラと飢えに輝いていた。
ワーウルフ。欧州に伝わる、人に化けて人を食らう狼。
「グオオオオオオオオオオン!!」
周囲で逃げ回る人々をぐるりと見渡して、歓喜の雄叫びを上げた。奴には、周囲の人間たちが、ビュッフェにでも見えているのだろう。
私は、これは死んだな、と思った。ただでさえ、ワーウルフはCランクのボス。場所によっては、Bランクダンジョンにいてもおかしくない存在だ。その体には、黒いタトゥーがある。私たちが討伐したタトゥーゴブリンと、よく似たタトゥーが。それはつまり、奴が、ランク以上の能力を持っていることを示していて。
「!!」
私は、全力で身体強化をして、全体重をかけて警棒を振り下ろした。心臓がミシミシときしむが、かまっていられない。爆発的に増えた魔力を一気に使って、身体強化を行う。周囲の人たちには、消えたように見えたのではないだろうか。たぶん、Cランク冒険者と同等以上の速度は出ていたはずだ。
しかし、タトゥーワーウルフには、対応された。力強い踏み込みで鉈を横に振り、私の警棒に合わせてきたのだ。空中にいた私は、踏ん張ることもできず、ものすごい勢いで吹き飛ばされた。周囲の風景がすさまじい速度で切り替わり、大きな破砕音と悲鳴が鳴り響く。一瞬遅れて、背中に焼けるような痛みが襲ってきた。気がつくと、私は近くのビルの壁にめり込んでいた。しかし、ここで気を失っている場合じゃない!
「っ!……うぅああああ!」
気合なのか悲鳴なのか分からない声を上げて、瓦礫を破壊して飛び出す。今にも近くの人に襲いかかりそうなタトゥーワーウルフの肩に、折れかけの警棒を叩き込んだ。
「グルッ……」
奴は、うっとうしそうにこちらを振り返る。私は、その顔面に、折れて鋭利な断面を見せる警棒を投げつけ、大きく飛び退った。
「ぐるう」
タトゥーワーウルフは、私を、明確な邪魔者と認識してくれたらしい。ただ、ちらちらと周囲を見ていて、まだヘイトが足りていないらしい。ここでこれ以上戦うのはまずい。周囲に人が多すぎる。さっき吹き飛ばされたときも、気づかなかっただけで、何人か巻き込んでいたかもしれない。
しかも、下手に攻撃されてもだめだ。今、私の背中から、透明な結晶がパラパラと落ちる音がする。きっと、さっきの傷を治すために、心臓がその皮膚を再生した後遺症だ。一気に魔力も、半分近く減っている。さすがの心臓アビリティ。魔力は一気に回復していくが、精神的疲労が抜けるわけではない。長期戦はだめ、だが決定打がない。
私は、とある決意をして、空いている右手をポケットに突っ込んだ。偶然そこに入れていた物を取り出す。今は、これが有効かもしれない。
分かっている。本当は、すぐにでも全部見捨てて逃げた方がいいと。そして、ギルドへ行って、高ランク冒険者を呼んだ方が、最終的な被害者を減らせると。それでも、今、彼らを見捨てることはできない。もしかしたら、父が混雑に巻き込まれて、まだ逃げられていないかもしれない。避難所へ逃げた母のもとに、こいつが向かうかもしれない。そういうとき、誰も助けられないかもしれない。それで、私は耐えられる? 人間性を保てる?
昔、中学時代の先輩に言われたことを思い出す。人間不信になっていたあのとき、先輩は、私にこう言い放った。
「他者なんて部品の一つよ。親でさえもそう。でも、それであなたという人間はできている。だからね、ちゃんと見極めなさいな。それが自分にとって必要かどうか」
本当にひどくて……強い先輩だった。人でなしでもあったが。
だから、私は、
――あの化物を、引きつけることにした。




