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08 シェアハウス3日目②


「──実は、俺……ちょっと恋愛にトラウマがあるんだよね」


「……トラウマ?」

「うん。相手は高校の先輩なんだけどさ。学校に入学してしばらく経ったある日、迷子になったところを助けてもらってさ……そこで一目惚れしたんだ」


 話の内容を少し変えようかとも思ったが、あんな酷い振り方をしたんだし、きっと俺との出会いなんてことも覚えてないだろう。

 だったら、もうそのまま伝えていいかと思って語った。


 そこから交流があって、惹かれて、好きという気持ちが溢れて、手紙を書いたこと。

 勇気を出して綴った手紙は、その人の友人の手によって、目の前で破られたこと。


「──……」

「面と向かって振るような価値もないって言われたようで、正直キツかったよ。それが引き金になって、一時期不登校にもなったんだ」

「そう……だったのか」


 心の深い傷を思い出して、泣きそうだ。

 そんな自分をヘラッと笑って誤魔化す。

 

「その経験もあって、撮影で『好き』って言おうとしたら、手紙を破られてしまったときのことが頭に出てきちゃって……どんな顔したらいいのか、わからなくなったんだ」

「なるほど……そうだったのか。言いにくいことを言わせてしまったな……すまない」


 優しい言葉が身に染みる。

 思わず目が潤みそうになって、慌ててカフェオレを飲んだ。


 「でも、そのことがなければ、俺はこの世界にはいなかった。だから、うーん……良かったと言えば、良かったのかなぁ?」

 

 酷い振られ方をしてなければ、きっと今も自分はボサボサとした髪のまま、特に努力もしない若者へと進んでいたかもしれない。

 容姿に関しては、昔よりも明らかに、今の自分の方が好きと言える。


「藍沢はそのことを糧にしたんだな。それは凄いことだと俺は思う」

「あ、ああ……うん」

「しかし……そうだな」


 織川が顎を右手で摘まむ。

 少し考え込んで、なにかを思いついたように顔を上げた。


「藍沢、これ……配信リスナーに相談するのもいいんじゃないか?」

「……え?」


 今日の配信は、実は織川に任せて、俺は引っ込んでいようと思っていたんだ。

 それを今から提案しようとしてたんだけど、想定外の発言が飛んできて、驚きを隠せないでいる。


「リスナーに相談……? どういうこと?」

「俺達の配信を見ている層は、ほぼ女性だ。友達に相談された、ということにして、どんな風にしたらそのトラウマを超えられるのかを聞いてみるのもいいんじゃないか?」

「それ、リスキーすぎない? 友達の相談なんて、自分のことですって言ってるようなものじゃないの?」

「配信を見ている人間しか知らない『藍沢愁』の悩みを共有できるんだ。ファンにとって嬉しいことだと思う。それに、同じような経験をした人たちから、アドバイスをもらえたら、克服する糸口が見えるかもしれない」


 織川は眉を下げて、ふ、と笑う。


「俺がなにか良いことでも言えたら良かったんだが……すまん。思いつかなかった。でも、俺もリスナーと一緒に考えるから」

「あ、いや、その気持ちだけで嬉しいよ……?」


 トラウマを作った人間が、トラウマを克服する術を考えてくれるという。

 俺は複雑な気持ちで答えた。


(でも、これ以上、現場で迷惑はかけられないし! 優先すべきはドラマだ!)


 さっきも思ったことだけど、俺の個人的な感情は捨てよう。


「……わかった。今日の配信で皆に聞いてみることにする」


 時計を確認すると配信開始まで残り一時間だった。

 俺はノートパソコンを立ち上げて、設定の確認をする。

 

 洗面所に行き、髪をセット。

 首に小さなアクセサリーをつける。


 リビングに戻ると、織川がカフェオレを淹れ直してくれていた。

 ペアのマグカップを並べて、ノートパソコンのカーソルを配信開始ボタンに合わせて押す。


『愁ちゃんやっほー! 来たよー!』

『和也君こんばんは~』


 日に日に増えていくリスナー。

 今のところ、このシェアハウス企画は上手くいっていると言ってもいいだろう。


 ほどほどに人が集まってきたところで、俺は口を開く。


「実は、今日は……皆に俺の相談に乗ってもらいたいんだけど、いいかな?」


『愁君の悩み? なんだろう?』

『いいよー! 私達に答えられることなら!』


「俺の友達の話なんだけど──」


 そう前置きをして、リスナー達に向かって、過去のトラウマのことを話した。


『なるほど……愁君のトモダチね。完全に理解した』

『うわぁ……それ、酷すぎない?』

『酷いヤツもいたもんだね。世の中そんなヤツばかりじゃないよ!』


「それで、似たようなことを経験したことある人いるかな? もし、こうやって乗り越えたよ~なんてアドバイスがあれば、その『友達』に伝えようと思うんだけど」


 カメラに向かって、にこりと笑顔を見せてみるけど、実際には心臓がバクバクしている。

 小刻みに震える手を、テーブルの下でぎゅっと抑えた。


 配信コメント欄では、あーでもない、こうでもないと議論が繰り広げられている。

 

『例えばなんだけどさ……その過去のことをもう一度トレースしてみるってのは、どうかな?』

『え? なに? どういうこと?』

『例えば、和也君にその先輩役をやってもらって、手紙を渡すの。そこで、一度受け入れてもらう体験をして、上書きしてみるってのはどうかな?』

『なんか、良さそうだね……それ』


 そのコメントを見た織川も「それ、いいかもしれない」なんて言い始めた。

 コメ主は自分の案を彼に褒められて、喜びを溢れさせている。

 そんなやり取りを見ながら、俺は考えてもみなかったことに頭を抱えそうになっていた。


(待って、待って……待って!? も、もう一度、手紙を渡す!?)


 横にいる織川の顔をチラッと見る。

 本当に……? もう一度、手紙を……?


「お、俺、ちょっと離席するね! お手洗い!」


 配信中なのに禁じ手を使って逃げた。

 トイレに駆け込み、そのドアを閉めて、ズルズルと座り込む。


「もう一度、先輩に手紙を渡す……ちょっと、それは、本当に待って……」


 それは諸刃の剣のように思えるのは気のせいだろうか。

 もし、もしも、そこで受け入れてくれる体験なんてしたら、あのときの恋心が復活したりしないだろうか?

 

(ああ、でも、これは仕事のためなんだし……)


 グルグルと回る思考の中で、なぜこんな相談をしたのか、という根本を思い出す。

 仕事、仕事、そう……仕事のためだ。


 俺はトイレから出ると、洗面所へ行き、顔を洗った。

 両手で頬をパンッと叩く。


「──よしっ!」


 気合を入れてリビングに戻り、「さっきの案、『友達』に伝えてみるよ」と返事をする。

 こうして俺達は三日目の配信を終えたのだった。

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