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09 シェアハウス3日目③


 配信を終えて、俺は自室に籠る。

 手紙を書くためだ。


『過去の経験を上書きしてみる』


 その提案に乗ってみたのだが……筆が止まった。


(なんて書こう……)


 あくまで経験の上書きだから、手紙の中身までは織川も見ないだろう。

 白紙のままでもいいはずだ。


(……でも)


 あの日、破られてしまった恋心を、もう一度綴るチャンスが訪れた。

 読まれなくてもいい。

 受け取ってもらえたら、俺の中でなにか変わるんじゃないか?


「…………」


 俺は右手の中でクルクルと回していたペンをしっかりと握って書き始める。

 真っ白な便せんに、あの日の想いを乗せた。



 ──織川先輩へ。



 最初に名前を書いて、気持ちを込める。

 そして最後に『好きです』の一言を添えた。



 **



 自室を出て、隣の部屋のドアを叩く。

 顔を出した織川に、手紙ができたことを告げる。


 リビングに移動して、互いに向き合った。

 俺はといえば、さっきから織川の顔が見れないでいる。


(こ、これは、思った以上にドキドキする)


 頬が赤くなってきたのが自分でもわかる。

 ふーっと息を吐いて、軽く吸って、それから顔を上げて手紙を差し出した。


「あのっ! こ、これっ読んで下さいっ!」


 ああ、手が震える。それはきっと向こうにも伝わっているだろう。

 一秒をこんなに長く感じたことはない。


 白い手紙が俺の手からそっと離れた。

 織川が──織川先輩がそれを受け取って、小さく微笑む。


「……ありがとう」

「────ッ」


 ああ、そうか。

 そうだったんだ……やっとわかった。


 俺、こうやって受け止めて、そして「ありがとう」って言われるだけで良かったんだ。

 気持ちに応えてほしいとか、そんな高望みはしてなくて、ただ『好き』だったこの気持ちを受け取ってほしかっただけなんだ。


 頬を伝うものがある。

 それは次々とこぼれ落ちた。

 俺は慌てて服の袖で拭う。

 

「ご、ごめん……」

「大丈夫か? やはり、俺では代わりにならなかったんじゃ──」

「そんなことはない! そんなことは、ないから……ただ、ちょっと胸のつっかえが取れた感じがして、それが出てきただけだから」

「そうか。……明日の撮影は、大丈夫そうか?」

「うん。たぶん……だいじょうぶ、かも……イテッ!」


 目元を拭った袖が、目に入った。

 そのとき、ゴミが入ったみたいで、俺は慌てて洗面所に走る。

 急いでコンタクトを外して、ゴミを取り除いた。


 今日はもうお風呂に入って後は寝るだけだしな、と思った俺は、コンタクトから眼鏡に変える。

 そして、もう一度リビングに戻って、改めて織川にお礼を言うことにした。


「……さっきは本当にありがとう。じゃ、俺、風呂に入るから、おやすみ」

「あ、ああ……。おやすみ」


 俺はリビングを出て、自室に着替えを取りに行く。

 そして洗面所へ行き、服を脱いで浴室へ入って、シャワーを浴びた。


「……ふぅ」


 自分の中にあった憑き物のようなものが、剥がれ落ちた感覚がある。

 剥がれ落ちたソレは、シャワーと一緒になって流れていった気がした。


 スッキリして、清々しい気持ちになる。


 こうして、凹んでいたメンタルは復活を遂げた。

 それはいい。それはいいのだが、俺はひとつ大事なことを忘れていたんだ。


 ──織川に渡した告白の手紙。


 あれを回収するのを、すっかり忘れていた。

 中には思いっきり『織川先輩』と書いたし、優しくされて嬉しかったこととか、つらつらと書いてある。


 彼があの手紙を読んだかどうか、わからない。


 わからないけど──翌朝、洗面所で顔を合わせたとき、織川は俺の顔を見て、ふっと微笑んで名前を呼んできた。


「藍沢……愁」

「……なに?」

「ああ、いや……」

「??」


 俺は怪訝な顔をして、首を捻る。

 そして、まぁいいか、と顔を洗いはじめた。


 彼の視線が、首の後ろをチリチリと焦がす。

 洗い終わって、タオルで水気を拭き取っているときも、その視線が途切れることはなかった。


「ねえ、さっきから、なに? 視線がうざいんだけど」

「……偶然が三度重なれば、それは必然って、知ってる?」

「まぁ、よく聞く言葉だよね。それが……?」

「いや、なんでもない。すまん、忘れてくれ──いや、違うな」


 腕を強く引っ張られて、壁にドンッと押しつけられる。

 紫色の瞳が、俺の瞳を捉えた。


「──お前は俺を忘れるな」


 織川はそう言うと、唇を強く押し当ててきた。


「んぅ──ッ!?」


 突然のことに頭が追いつかない。

 柔らかい唇の感触が、俺をパンクさせる。


 押し当てられた唇がようやく離れ、俺の頭をぽんっと軽く叩いて、織川は洗面所を出て行った。

 俺はというと、足の力が抜けて、目を見開いた状態のまま、ズルズルとその場にしゃがみ込む。

 震える右手で、自分の唇をそっと触れた。


「な、にが、起きた……?」


 そう呟いたものの、わからない。

 なにも、わからない。


 ──顔が熱い。


「ちょっと、待ってよ。今日は、昨日の撮れなかったとこ、もう一回やるんですけど……この状態で、俺に演れっていうのかよ……あー! もうクソッ!」


 頭をぶんぶんと強く振る。

 そして立ち上がると、俺はもう一度、顔をバシャバシャと洗うのだった。



 ***



 ──都内某所。


 そこはオフィスの一角。

 広い机の上でノートパソコンを開いて、カタカタと仕事をしている男がいた。

 パソコン画面の右下に小さく表示された時刻は──『21:03』


 キリのよいところで手を止めた男は、グッと背伸びをすると、ポケットに入れていた自分のスマホに手を伸ばした。

 SNSを開いて、自社商品のリサーチをし始める。


 男は、定期的に消費者の生の声をチェックしており、今日もまたそれを行っていた。


「……ん?」


 ひとつのアカウントが目に入った。

 アイコンの写真の顔は、どこか見覚えのある気がする。

 プロフィールページを開いて、そうか、彼は芸能人だったんだな、と男は思った。


「アイドルグループ『ZERO』の藍沢君か……」


 彼の投稿を見てみると、『このシャンプーのおかげで自分の人生が変わりました!』と溢れんばかりの愛のメッセージがそこに並んでいた。

 こんなに絶賛されると、この商品を作って良かったなと純粋に嬉しくなる。


「……推してくれるなんて、嬉しいな」


 男は思わず笑みを浮かべた。

 そのとき、藍沢愁のアカウントから新しいメッセージが投稿される。

 それを見てみると、配信のお知らせだった。


 男はそこに貼ってあったURLをタップして、動画配信サイトへと飛ぶ。


 そこでは藍沢君が、友達の話としてリスナーに相談事をしていた。

 リスナー達は親身になって色んな意見を書き込んでいる。


「……いいな」


 憂いに帯びた藍沢君の顔は、とても魅力的に思える。


 今までの自社商品のシャンプーの広告はずっと女性の芸能人を使っていた。

 昨今は、性の垣根を越え、化粧品の広告でも男性の芸能人の起用が増えている。


 我が社もそろそろ、新しい風を入れてもいいのかもしれない。


「藍沢愁君、ね。覚えたよ」 


 男はスマホをポケットに戻すと、またパソコンをカタカタと打ち始めるのだった。

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