07 シェアハウス3日目①
シェアハウス三日目。
昨日と同じような朝が訪れた。
今日も少し早起きして、コーヒーを飲みながら台本を睨めっこしている。
集中していると、テーブルに淹れたてのコーヒーが置かれた。
顔を上げると、織川が俺の分のコーヒーを淹れ直してくれたようだ。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
彼のさりげない気遣いに、また、どんな顔をしていいのか……わからなくなる。
(だって、あまりにも……先輩だから……)
五年前、自分が惚れた先輩もこうやって気遣って、優しくしてくれる人だったから。
惹かれてしまいそうな自分に気づいて、頭をブンブンと振った。
目の前のコーヒーを一気飲みして、台本に目を落とす。
(ダメだ。騙されるな。コイツは……この人はっ! 惚れた相手を酷い形で振るような男だ!)
思い出せ、あの絶望を。
思い出せ、あの辛かった日々を。
俺はぶつぶつと呟きながら、またセリフの暗記を再開し始めた。
そんな俺のことを、紫色の瞳が見つめてくる。
彼の視線に、なんとなくムズムズとしたものを感じたけど、台本に集中しているうちに、それも気にならなくなった。
**
「──カット!!」
監督から『止めろ!』の声がかかる。
今日の俺は、何度も何度もNGを出していた。
その度に、すみません、すみません、と頭を下げて回る。
今日は、ドラマの主人公が、相手のことを好きだと自覚するシーンを撮っていた。
織川の顔を見上げて、いざ「好きだな……」と思うところに差しかかると、どんな顔をしたらいいのか、わからなくなってしまったんだ。
過去のトラウマが呼び起こされて、顔が固まってしまう。
目の前にいる男は、織川──先輩。
俺を酷い形で振った男。
現場の重い空気と深いため息が、俺の肩にのしかかる。
このシーンは後回しにして、他のシーンから撮ろうという流れになった。
あまりの悔しさに涙が滲みそうになる。
唇を噛みしめたい。
でも、それをやると今度はメイクさんに迷惑をかけてしまう。
「……ッ!」
耐えろ。体の外に出すな。
奥歯をギリギリと噛むようにして、ひたすら耐えた。
その後で、ゆっくりと息を吐く。
「藍沢君ー! 配置についてー!」
「はいっ! わかりました!」
スタッフに呼ばれて、俺は位置につき、別シーンを撮り始めた。
なんとか挽回しようと頑張るものの、見事なまでの空回り。
──この日の俺の演技は最悪のまま終わった。
**
「すみませんでした……」
撮影所からシェアハウスへと戻る車の中、俺は明日香さんに頭を下げる。
現場では、俺も頭を下げたが、それ以上にマネージャーが頭を下げて回っていた。
色んな人に迷惑をかけて、自己嫌悪が止まらない。
「やぁね~そんな日もあるわよ。終わったことは、もう気にしない!」
「……はい」
今日は、なにやっても上手く行かない。
そんな日でも、配信はしなければならない。
失言でもしないだろうか? と心の中を不安が埋め尽くす。
マンションに着いてからも、ずっとテンションは下がったままで、俺は自室に籠っていた。
メンタルが回復しない。そんな状態でも、配信の時間は一刻一刻と近づいてくる。
「…………はぁ」
俺は大きなため息を吐いて、部屋を出た。そして、隣りの部屋の前で立ち尽くす。
ドアを叩こうとして止めて、もう一度叩こうとして止めた。
はーっと息を吐きだして、それから思いっきり吸って、気合いを入れる。
(……よし!!)
──コンコン。
ドアを叩いて、少しすると目の前のものが、ガチャリと開いた。
そこにいる男の顔を見て、俺は口を開く。
「あのさ、ちょっと話あるんだけど……いい、かな?」
「……ああ」
シェアハウス開始時の『配信以外喋りかけるな』を、自ら破っていく。
あれだけ思いっきり啖呵《たんか》切っておいて、それをもう何度も破って……グズグズじゃないか。
ああ、なんてカッコ悪い。カッコ悪いが、背は腹に代えられない。
「じゃあ、今日の配信のことなんだけど──」
「ちょっと待て。リビングに行って話そう」
「あ、うん」
織川に提案され、俺達は一度、リビングに移動した。
そして、いつも配信しているソファーに座る。
俺はまた口を開こうとしたのだが、彼に待ったをかけられた。
織川は立ち上がってキッチンへ向かったと思ったら、飲み物を持ってきてくれて、目の前のローテーブルにコトッと置いた。
「ありがとう……」
「……ああ」
せっかく淹れてくれたんだ。
マグカップに手を伸ばし、コクリと一口飲んだ。
自分で作るよりも、少し甘いカフェオレに、ちょっとだけ幸せを感じる。
俺はマグカップをテーブルに置くと、隣に座っている織川の方を見る。
そして、口を開いた。
「今日の現場では、NGばかり出してごめんなさい。本当にご迷惑をおかけしました」
頭をぺこりと下げる。
本当に、本当に、申し訳なかった。
「いや……それはもう終わったことだし、気にするな。お前のマネージャーも言っていただろう?」
「それはそうなんだけど、でも、ちゃんと謝らないと……俺の気が済まないっていうか」
「謝ることよりも、次は成功させることを考えてくれるほうが、俺はいい」
「そ、それはもちろん!」
勢いよくガバッと頭を上げる。
『次はできる』と言わんばかりに反応してしまった。
具体的にどうやってそれをできるようになるのか、それはまだしっかりとした考えは浮かんでいない。
「藍沢は、俺のこと嫌いかもしれないけど、ドラマを一緒に作り上げていくパートナーだろ? もし、なにか抱えているものがあって、それが今日の演技を邪魔しているのなら教えて欲しい。一緒に解決策を考えないか?」
うっと息が詰まった。
演技を邪魔しているもの、その原因ともいえる人物に……言えるか?
でも……そうだよな……これは仕事なんだ。
俺個人の感情を優先しちゃいけない。
これ以上迷惑をかけるわけには、いかないんだ……!
ふぅと息を吐いて、またマグカップに手を伸ばす。
一口飲んで、そのカップを両手に挟んだまま、俺は織川に話をすることにした。
「実は、俺……ちょっと恋愛にトラウマがあるんだよね」




