第6話 皮肉
第6話 皮肉
アレックは、いくつもの色を吐き始めた。
叔父がよく送ってきた古いミームを思い出した。
とはいえ、気分は最悪だった。喉はひりつき、胃はねじれるように痛い。ひどく疲れていた。
『大丈夫です。吐き出せばいいだけです』
マノロがそう言っていた。
ユルはただ、茂みの中に吐き続ける彼を支えていた。
アレックの虹色の吐瀉物は、飛び、泳ぎ、跳ねる形になり、それから風にさらわれる色の露のように消えていった。
止まらなかった。
寒かった。
「アレック、体が熱いです。カルダックの宿まで運ばないと」
永遠にも思える時間のあと、ようやく吐き気が止まった。
アレックは立ち上がろうとしてユルに寄りかかったが、脚に力が入らず、そのまま彼女の上に倒れ込んだ。
いつもなら、こんな美しい女性の上に乗っていることを、アレックはありがたがっただろう。
今は、セメント袋になった気分に近かった。
アレックは、自分の体が完全に彼女の上に乗っているのを感じた。
彼女の体はしっかりしていた。
ユルは彼をそっとどかし、草の上に寝かせた。
「ごめんなさい、アレック。これは私よりあなたのほうが恥ずかしくなると思います」
ユルはしゃがみ込み、何の前触れもなくアレックを肩に担ぐと、しっかりした足取りで町へ歩き始めた。
「強いな」
こんなに強い女性に会ったことはなかった。
アレックは冬休みを思い出した。
母は父を訪ねに行き、アレックはフアンの家族に預けられた。本当は叔父のところにいたかったが、祖母が亡くなってから、叔父は昔の叔父ではなくなっていたらしい。
フアンの家族はレストランをやっていて、母親はよくアレックにライムや玉ねぎの袋を運ばせた。
ある日、その人は自分ひとりで袋を持ち上げようとして、結局、床に倒れ込んだ。その日は痛みがひどくて、料理を最後まで作れなかった。
あまりいい光景ではなかった。
アレックは彼女の代わりに立ち、その日のメニューの半分を作った。
結局、アレックは一週間ほど、厨房の大半を任されることになった。彼女は何をすればいいか指示するだけで、その過程で、彼はフアンと長い時間を過ごした。
フアンの母親は、アレックが料理上手なことに驚いていた。
その何日かは、ジョエルも合流し、ダンジョンズ&ドラゴンズのキャンペーンでゲームマスターを務めた。
アレックはそれまで一度も遊んだことがなかった。
だが、すっかり気に入った。
その間、一度だけ、夜通し遊んだこともある。
全部、フアンのせいで、二人だけでオークの部族と戦う羽目になったからだ。
最後には、チームワークでどうにかした。
フアンが彼らを湖まで誘導して足止めし、その上からアレックが電撃の呪文を落とした。
ユルは彼を担いだまま話し始めた。
「休んでください、アレック。話す時間はあとで取れます」
すべてが突然だった。
ついさっきまでユルと笑っていて、ラウラを候補から消せたことに満足していた。
その一秒後、前触れもなく、色とりどりの小動物を吐き始めたのだ。
「マノロ?」
『どうしました、アレック?』
気のせいだろうか。
マノロの話し方が、だんだんメキシコ人みたいになってきている気がする。
『気のせいではありません、アレック。古い映画が詰まった箱を見つけまして。同じ俳優の映画ばかりです。踊れて、歌えて、しかも喜劇もうまい。ヘルマン・バルデスという人ですね』
アレックはティン・タンを思い出した。
彼は舞台人として、とても完成された芸術家だと思っていたからだ。
それに、叔父が恋しくなると、彼の映画の一場面をインターネットで探して見ていた。
アビが亡くなってから、叔父はもう同じではなかった。
そして、彼自身も。
『大変感動的なお話ですね。映画に戻ってもよろしいですか。それとも何かご用でしたか?』
「俺に何が起きてやがるんだ?」
『何のことをおっしゃっているのか、わかりませんが』
マノロの声は、頭の中でいつもと違う響きをしていた。
「しらばっくれるな。何のことかわかってるだろ。これが魔法を使ったせいなのは明らかだ。ただ、何が起きたのか説明してほしいだけだ」
マノロはしばらく黙った。
「心配しないで、アレック。耐えてください。もうすぐ着きます」
ユルが励ますように言った。
アレックは頭を動かせないまま、ユルの尻を見ていた。
ミシェルは気に入らないだろう。
特に、それを見てよかったと思ったと正直に認めたら。
もっとも、アレックにほかを見ることはできなかった。
叔父はよく言っていた。
ダイエット中でも、メニューを見るくらい悪いことではない。
「町は見えてる?」
アレックは、答えを知りながら聞いた。
「いいえ。でも近づいています」
アレックは嘘でもいいから欲しかった。
体には、もう本当に力がなかった。
不思議なのは、頭がぼんやりしているわけではないことだった。
体の疲労と不快感を除けば、意識はかなりはっきりしていた。
そのせいで、余計に役立たずになった気がした。
気絶していれば、少なくとも言い訳にはなったのに。
『考えれば明らかでしょう』
マノロが会話を続けた。
「ライムのときは、こうならなかった」
『もちろんです。干し肉にライムをかけるのと、ドラゴンとハイタッチするのが同じくらい狂っているわけありませんから』
マノロは皮肉っぽい声で答えた。
「今ここで外せるなら、外してる」
『お願いです、アレック。それだけはやめてください』
マノロの声は、本物の懇願のように聞こえた。
「なんで外しちゃだめなんだよ」
『暗闇に戻ってしまいます』
アレックは黙った。
マノロの声色に、泣きたくなった。
「あの箱がお前の家みたいなものだと思ってた。そこで見つけたんだから」
『あれは違います、アレック』
マノロは苛立っているようだった。
「何が違うのかわからない」
マノロは黙った。
ユルの呼吸が荒くなり、アレックは彼女の歩みが遅くなるのを感じた。
「アレック、少し……下ろします……」
ユルはほとんど息もできない様子で、木のそばへ近づき、彼を下ろしてそこにもたせかけた。
それからしゃがみ込み、まだ息を切らしながら、彼の額の汗を拭き始めた。
アレックは、彼女の汗ばんだ胸元を見ずにはいられなかった。
弁護しておくなら、それは見る価値のある胸元だった。
たぶん、ホアナがユルに会ったら口説こうとする。
いや、間違いなくする。
あの女は、いつも彼の人生に割り込んでくるようだった。
すでにフアンを奪っていた。
フアンは彼女に気があって、どこへでもついて回るようになった。シリアルキラーが好きなふりまでしていた。
「暴力も芸術の一形態よ」
ホアナはそう言っていた。
そしてフアンは、子羊のような目で彼女を見ながら、うなずくのだった。
「気分はどうですか?」
ユルはまだアレックの上にかがみ込んだまま尋ねた。
「体は最悪。でも頭はかなりはっきりしてる」
それを聞いたユルは少し赤くなり、ブラウスを引き上げた。
「何が起きているんですか?」
「国家機密だ、ユル」
それを聞いたユルは書類の中を探り、一枚取り出して記入を始めた。
「何してるんだ?」
「あなたが私に話せるよう、正式な許可を申請しています」
ユルは書き続けながら言った。
「どっちにしろ話すつもりだったけど」
ユルは彼を見て、眉をひそめ、それから片手でアレックの頬をつかんだ。
「だめです、旦那様。あなたが変わっていても、プロトコルには従わなければなりません」
アレックはぽかんとして、何を言えばいいのかわからなかった。
『明らかに気づいていますね、アレック』
マノロが、あまりにも明白なことを指摘した。
アレックはユルを見つめ、彼女を理解しようとしていた。
その間も、彼女は書式を埋めていた。
書き終えると、印を押し、封筒に入れ、蝋で封をした。
「できました、アレック。もう話せます」
「最高位の魔法は、混沌のエネルギーを使う」
その瞬間、ユルは横に唾を吐き、息を止め、両手でブラウスを握りしめた。
「アレック、それはとても危険です。混沌は秩序を乱します。そのエネルギーがあなたの中に入ったら、どんな影響が出るかわかりません」
「それは身をもって感じ始めてる」
ユルはまた少し頬をふくらませ、片眉を上げて、書式に記入し始めた。
「どうした?」
彼女の顔を見て、アレックは聞いた。
ユルは書式に印を押して折りたたんだ。
それから、別の紙に小さな地図を描き始めた。
「その言い方です。何かを言っているのに、本当に言いたいことは別にあるみたいです。混乱します」
アレックは胸の奥に、心地よい熱を感じた。
どうやらユルは皮肉を見ていた。
ただ、理解していなかっただけだ。
「ええと、意図によって、アイロニーとか皮肉とか呼ばれる。要するに、言いたいこととは違うことを言うんだ」
「違いは何ですか?」
「皮肉は、聞いた相手を刺すために使う。あるいは、少なくとも親しみを込めてからかうために」
「何の役に立つのですか?」
アレックは少し考えた。
「たいてい、人を笑わせる」
「私は笑いませんでした」
アレックは黙った。
「それで?」
ユルは引き下がらなかった。
「ごめん。やらないようにする。君は好きじゃなさそうだし」
ユルは少し赤くなった。
一秒ほど彼を見つめ、それから近づいて、彼の頬にキスをした。
アレックは頬に熱を感じた。
ユルの唇は柔らかかった。
もっと長く感じていたかった。
それに、彼女が近づいたとき、コバルトブルーの瞳をずっと近くで見ることができた。
すごい色だった。
「申し訳ありません、旦那様。失礼をするつもりはありませんでした」
ユルは離れながら言った。
息を止め、目はアレックに向けたままだった。
アレックの顔は、もう寒くなかった。
「そういうことされても、失礼だなんて思わない」
そう言ったとたん、アレックは頭の中までぼんやりしてくるのを感じた。
「ユル?」
アレックは声に出して聞いた。
「何が必要ですか?」
「ありがとう」
そして、世界が真っ黒になった。




