第16話 結婚式
アレックは招待客たちへ挨拶していた。
式はすでに始まっている。
そして。
ウル王国のすべてと同じように。
そこにも従うべきプロトコルがあった。
最初の二時間は。
招待客との交流。
各地域の行政官。
その家族。
軍の指導者。
そして王国で高い地位に就く者たち。
あまりにも高い地位なので。
全員が首から金色の漆で仕上げられた印章を下げ。
プラチナ製のペン先に。
インクカートリッジまで内蔵された筆記具を持っていた。
王国最新の技術流行。
アレックは熱心に話を聞き。
必要なところでうなずいた。
「聖なる行政に祝福を」
だとか。
「プロトコルが我らを救わんことを」
だとか。
そんな言葉を聞くたび。
思わず笑顔になった。
この世界には。
まだまだ知らないことが多い。
特に笑ってしまった言葉があった。
「偉大なるカアシュに」
本人を知ったら。
どう思うだろう。
アレックは。
あの口うるさい老人が恋しかった。
特に。
こんなときは。
何を差し出してでも。
一緒にエンチラーダを食べに行きたかった。
各地の指導者たちは。
赤い衣服を贈ってきた。
帽子。
シャツ。
マフラー。
さらには。
片眼鏡のフレームらしきものまで。
贈り物は。
対応する書式の上へ。
次々と積み上げられていった。
この手続きが終わると。
アレックとしては。
もっと長引いてほしかったのだが。
行政ゲームが始まった。
中央の儀式前に行われる。
正式な娯楽だった。
最初の種目は。
書式記入競争。
行政手続きを模倣し。
最短時間で。
誰が最も多くの書式を完成させられるか競う。
最後には。
カルシとムルクが同点になった。
そのため。
追加手続きを含む最終戦が行われることになった。
今回は。
全工程を三通。
ムルクは。
印章を完全に押せなかったため敗北した。
印影の円の一部が紙の外へはみ出していた。
当然。
無効。
ムルクとカルシは抱き合った。
カルシには。
婚礼チャンピオン特別勲章が授与された。
アレックは。
自分の賭け券を破った。
ポケモンみたいな名前のほうへ賭けたところで。
勝てるとは限らないらしい。
一つ。
また一つと。
催しが終わるたび。
中央の儀式が近づいてくる。
婚姻の告知。
署名。
押印。
それが終われば。
正式に。
ミシェルと夫婦になる。
アレックには。
結婚式が。
できるだけ長く続いてくれる必要があった。
中央の儀式が近づくほど。
汗が増える。
手のひらも汗ばんでいた。
首を絞められているように感じる蝶ネクタイを。
何度も直した。
三つ目の催しは。
ウル五大地域の統治者による演説。
さらに。
軍最高司令官による演説もある。
最初の二人は。
短く。
簡潔で。
効率的な演説をした。
次の二人も。
同じ。
まともな演説を書ける奴はいないのか?
この調子では。
すぐに全部終わってしまう。
そして。
式が始まる。
アレックの手から。
また汗が出た。
最後の統治者は。
公式の場で初めて演説を行うため。
プロトコルに従い。
その地域が併合されて以降。
達成されたすべての成果を読み上げた。
アレックは。
一つ一つを味わった。
設置された税務署。
脱芸術化された区域。
許可のない食料の徴発まで。
祝福あれ。
官僚よ。
突然。
チョコレートが食べたくなった。
アレックは。
徴発品倉庫へ向かって歩き始めた。
だが。
途中で。
マシオサレに遭遇する。
「閣下、何かお入り用でしょうか?」
「マシオサレ。いたのか。徴発品管理所へ行って、何か甘いものを取ってこられないかと思ってたんだ」
「閣下は本日の主役でいらっしゃいます。プロトコル上、式が終了するまで中庭から出ることはできません」
アレックは。
ナクの耳をつかんで。
横へどかしたい衝動を抑えた。
代わりに。
ずっと気になっていた質問をする。
「お前の両親が、マシオサレって名付けたのか?」
「もちろん違います。この誉れ高き名は、ミシェルお嬢様より賜りました」
ぴったりだった。
遠くでは。
まだ演説が続いている。
「灰色に塗装した住宅は八十八軒。五十以上の図像を除去し、さらに地域内に存在したすべてのフィクション書籍を徴発いたしました」
「なるほど、マシオサレ。追加質問。徴発した本は、どんな手続きになる?」
「まず、保管庫に同じ書籍が保存されているか確認いたします。存在しない場合は一部複製し、その後、すべての書籍を再生処理し、行政用紙へ加工いたします」
アレックは。
恐怖を感じた。
この美しい世界の物語だった紙が。
今では書式になっている。
だが。
顔には出さなかった。
表情を隠す訓練なら。
十分に積んでいる。
「完璧だ、マシオサレ。ミシェルがどうしてお前を個人付き補佐に選んだのか、よくわかったよ」
ナクは。
その言葉を聞くなり。
背筋をぴんと伸ばした。
どうやら。
欲しかったチョコレートは手に入らない。
アレックは元の場所へ戻り。
演説の続きを聞くことにした。
「そして公式印章の式典をもちまして、現在のトゥレク州における最後の成果が完了いたしました」
参列者全員が拍手した。
歓声まで上がる。
アレックには。
何がそこまで感動的なのか。
さっぱりわからなかった。
「これまでの人生で、最も感動的な演説です」
今日。
婚礼警備を担当している小柄な兵士。
オラクが。
涙を流しながら。
力いっぱい拍手していた。
残る演説は。
あと一つ。
将軍。
将軍はブロクだった。
それは。
いい兆候かもしれない。
ナクたちは。
ブロクをあまり文明的ではないと考えている。
アレックにとっては。
少なくとも三分以上続き。
新領土で何をしたかという。
永遠の一覧でもない演説が。
期待できそうだった。
ブロクは。
黄色い上着を着て。
演壇へ立った。
名は。
カルザク。
鹿のような顔へ眼鏡をかける。
琥珀色の目が。
さらに大きく見えた。
そして。
腰帯から。
長い巻物を取り出した。
アレックは。
それを見て。
ほっと息を吐いた。
「我々は軍事部門です。ゆえに、最も多く情熱を背負う者たちでもあります。したがって、本日の演説も、それにふさわしいものといたします」
行政官の何人かが。
カルザクへ野次を飛ばし始めた。
アレックは手を上げ。
強く。
「シッ」
と音を立てた。
全員。
黙った。
カルザクはアレックを見て。
その配慮に。
深く一礼した。
「カアシュの歴史において。最高位の婚礼が執り行われることは、ほとんどありませんでした。最高行政官の務めはあまりにも重く、人との絆を築く余地すら残さないからです」
「そのため、世代が変わるたび、新たな最高行政官が現れました。前任者たちの子が生まれることはなかったからです」
「それは血統を途切れさせ、歴史を断片化し、弱い指導者たちを生み出しました」
ざわめきが起きた。
何人かが。
うなずいている。
「だからこそ、ウレの子ウルへと続く系譜は、これほど多くを成し遂げたのです。ウレは五百年ぶりに子を持った最初の行政官でした。そしてウルは、幼いころから行政官になるため教育され、やがてすべての者を一つの旗のもとへ集めました」
参列者たちは。
カルザクの言葉に。
何度もうなずいた。
「そして今日。我々は、新たな結びつきの始まりを目撃します。第180条を」
仮設会場の正面扉が。
大きく開いた。
そこから。
巨大なブロクが四人。
灰色の木製ベッドを運んでくる。
薄く透けた布が。
周囲を覆っていた。
「式の終了後。規定に従い、契約当事者は参列者全員の立会いのもと、その契約を完了します」
アレックは。
ミシェルを見た。
脚。
赤い髪。
誘うような目。
ついに。
彼女と一つになれる。
身体が。
アレックより先に反応した。
そして。
同時に。
招いてもいないのに。
ユルが頭へ浮かんだ。
ミシェルは。
その視線に気づき。
ウインクした。
身体は。
式が進むことを望んでいる。
足は。
床へ縫い付けられたように動かない。
「秩序が保たれ、行政の家族が築かれますように。秩序に幸あれ」
カルザクが。
至高敬礼を行った。
全員が続いた。
ベッドは。
アレックが。
無邪気にもダンスフロアだと思っていた場所の中央へ。
置かれた。
今見れば。
自分の考えが。
どれほど浅はかだったのかわかる。
音楽すら存在しない世界で。
誰が踊るというのだ。
黒い法衣を着た。
年老いたナクが。
舞台へ向かって歩いてきた。
法衣の縁は。
コバルトブルー。
階段を上り。
巨大な机の後ろに置かれた台へ立つ。
「契約当事者は、最高机へ」
穏やかな声だった。
ミシェルとアレックは。
机へ向かった。
招待客へ背を向けないよう。
それぞれ。
机の両側へ立った。
◇◇◇
ユルが。
服を着る決心をするまで。
午前中のほとんどがかかった。
選んだ服は。
合法。
誰も。
そうは思わないだろうが。
その服を着た自分を。
アレックが見るところを想像した。
心臓が。
強く鼓動し始めた。
鏡を見る。
すべて。
問題なし。
今度は。
カアシュを身につける番。
手袋を取る。
そっと。
手を中へ入れた。
ベルベットの裏地が。
手の甲を撫でる。
そのまま。
奥まで装着した。
それから。
カルメラとユル。
二人のコバルトが髪を整えるために用意された。
仮設の部屋へ向かった。
カルメラは。
すでに奇妙なデザインの回転椅子へ座っている。
青い縁取りの入った。
正装用ドレス姿。
そこへ。
仮面の男が入ってきた。
野営地の大半は。
彼をウルだと思っていた。
どうやら。
宮殿には別の人物が。
彼になりすましているらしい。
その偽者を。
すでに一部では。
「芸術家」
と呼んでいた。
男は。
ほかに誰もいないことを確認し。
仮面を外した。
「本当に、俺が二人の髪をセットしても合法なのか?」
ユルは笑い。
身体を少し。
左右へ揺らした。
「もちろん。混沌の魔法を使って髪を整えてはいけないなんて法律はないわ」
フアンは。
その答えにうなずき。
笑みを浮かべた。
「了解」
フアンが手を動かすたび。
カルメラの髪が。
ユルには理解できない形へ変化していった。
公式儀式において。
装飾品と髪型は。
自由に扱ってよい。
プロトコルには。
そう定められている。
二人とも。
徹底的に利用するつもりだった。
フアンは。
見えない何かを整えるように。
右から左へ。
手を動かす。
動かすたび。
新しい髪型。
「まだ、どうやって俺を牢屋から出したのかわかってないんだけど」
ユルは立ち上がり。
彼の横へ立った。
「混沌管理法第160条第3節。現職の最高行政官は、混沌の魔法を発現した個人の管理責任を負う」
フアンは。
ユルを見た。
顔には。
はっきりとした困惑。
「私には。あなたを牢へ入れる管轄権そのものがなかったの。自分の行政上の誤りを訂正しただけ」
カルメラが。
非常に高く。
最後が尖った髪型になったところで。
フアンを止めた。
「なるほど。『ブリジャートン』好きなんだな? 完璧。かなりしっかり固定した。崩したくなったら、この特別な水を使って」
フアンは。
水筒を差し出した。
カルメラは受け取り。
軽く左右へ揺れながら。
歩いて部屋を出ていった。
「次はユル」
ユルは。
フアンが始める前に。
その手をつかんだ。
「もし。アレックが望んでないことをしてるんだったら?」
フアンは。
ユルの手を握ったまま。
鏡越しに。
その目を見る。
「アレックなら知ってる。あいつ自身、自分が何を望んでるのかわかってない。ただ選択肢を渡してるだけだ」
ユルは。
それでも安心できなかった。
だが。
手を離した。
フアンが。
髪型を次々と変えていく。
どれも。
派手すぎるか。
普通すぎる。
そして。
突然。
一つの髪型になった。
ハーフアップ。
耳の横へ落ちる。
少し崩れた毛束。
後ろでまとめた髪は。
金の細工が施された。
木製の髪飾りで留められている。
きちんとしているのに。
完全には。
かしこまりすぎていない。
「何も言わなくていい。目を見ればわかる。これだな」
フアンは。
髪飾りを指した。
「これは俺からの贈り物。アレックの祖先たちの工芸をもとにしてある」
ユルは。
飾りを。
より注意深く見る。
華やかな細工。
だが。
木の形には。
ただの装飾ではない何かがあった。
「ありがとう、フアン」
「こっちこそ。牢屋から出してくれて、それに親友を助けるのを手伝わせてくれて。ありがとう」
二人は。
鏡の中で。
しばらく互いを見た。
「よし。今度は俺が支度する番だ」
フアンは。
部屋を出ていった。
ユルは。
鏡の前に残る。
深く息を吸った。
それから。
カアシュをはめた手を持ち上げ。
見つめる。
「友達を助けに行く時間よ」
手袋から。
暖かな波が伝わった気がした。
あるいは。
ただの想像。
残りのコバルトを集めた。
特殊部隊が。
ごみについての報告へ向かうのを待つ。
そして。
梯子を手に。
結婚式へ潜り込んだ。
到着したあと。
何をするのか。
ユルにはわからない。
ミシェルは。
混沌の種。
つまり。
力がある。
ユルには。
ない。
カアシュがあるとはいえ。
いや。
考えてはいけない。
魔法を使えるのは。
最高行政官だけ。
絶対の規則。
法の隙間など。
一つもない。
◇◇◇
アレックは。
ミシェルの目を見ていた。
あとは。
言葉を口にするだけ。
そうすれば。
もうすぐ。
人生が変わる。
裁判官は。
目の下に深い隈を持ち。
耳から長い毛を生やした。
年老いたナク。
巨大な机の向こうから。
二人を見る。
「婚姻契約の署名を確定する前に。自由意思と十分な意識のもとで、この決定を行っていることを口頭で確認する必要があります」
アレックは。
ミシェルの身体を見た。
そのドレスは。
よく似合っている。
いつものように。
とてもセクシー。
口を開こうとした。
そのとき。
扉から。
何の前触れもなく。
五人の人物が。
一台の梯子を手に。
入ってきた。
ユルと。
コバルト行政官団。
全員。
サルバトーレの補佐や。
近しい者たちだった。
どういうわけか。
警備兵たちは。
ただ見ているだけ。
誰も。
何もしない。
五人は梯子を持ったまま。
完全な正装で歩いてくる。
ユルは。
コバルトブルーのドレス。
金色の装飾。
身体の線へ沿った仕立て。
スカートは。
動きが出るように仕立てられている。
そして。
かなり都合よく計算された副作用として。
脚が大きく露出する。
アレックは。
その姿を見て。
笑った。
気づかないまま。
一歩。
ユルのほうへ出ていた。
そして。
金色の糸を見る。
どうやって色彩法をくぐり抜けたのか。
アレックにはわからない。
だが。
金糸が。
黒い手袋を目立たなくしていることはわかった。
見間違えるはずがない。
「衛兵。この侵入者たちを捕らえなさい」
衛兵たちは。
互いの顔を見た。
困惑。
奇妙な一団へ。
誰も近づかない。
「捕らえろと言ったの。あなたたちの行政官の命令が聞けないの?」
警備隊長。
背の高いブロク。
金色の目。
一歩。
前へ出た。
「お嬢様。梯子を持っている者を拘束することは、明確に禁止されております」
ミシェルは。
そこで。
アレックが何度もやったことをした。
「行政至上権第175条を宣言する。あいつらを捕らえなさい」
警備隊長は。
その場に立ったまま。
ミシェルから。
アレックへ。
視線を移した。
「申し訳ありません、ミシェルお嬢様。ですが、梯子を持っている者は重要な任務に従事していると明確に規定されております。したがって、拘束することはできません」
アレックには。
今の説明が。
でっち上げにしか聞こえなかった。
だが。
カアシュのことだ。
たぶん。
本当にそう書いてある。
それを聞いたユルは。
微笑んだ。
ミシェルは。
黙った。
そして。
ユルを見る。
「あなたのせいよ。その完璧な身体と天使みたいな顔で、アレックを私から奪った」
言いながら。
ミシェルが手を動かす。
ユルの頭上へ。
巨大な手が現れた。
操り人形の十字棒を握っている。
そこから。
ワインレッドの糸が落ちた。
手首。
足首。
首。
すべてへ。
絡みつく。
ユルは。
脚を動かそうとする。
だが。
床へ打ち付けられたように。
動かない。
「アレック。お友達の女の子まで招待してたなんて、知らなかったわ」
糸が。
ユルを引いた。
背筋が伸びる。
腰が横へ動く。
片手が。
顔まで上がる。
指先が。
唇へ触れた。
ミシェルが。
ライブ配信で見せていた。
あの繊細な仕草。
アレックは。
何百万回も見た。
ユルは震えている。
額から。
汗が落ちる。
参列者全員が。
静まり返った。
アレックは。
一歩。
ユルへ近づいた。
ミシェルは。
微笑む。
「なるほど。泥棒猫みたいに、人の男を奪いに来たってわけね……」
糸が。
ユルの身体を動かした。
アレックへ。
投げキス。
口は。
命令に従った。
目は。
恐怖に染まっている。
涙が。
頬を流れ始めた。
プロトコルから何かが外れ。
本人が認めようとする以上に。
深く傷ついているとき。
ユルは。
あの顔をする。
アレックは。
知っていた。
そして。
助けることができない。
走れば。
第175条を宣言すれば。
馬鹿みたいに立ち尽くすのをやめれば。
何かできるかもしれない。
だが。
動けなかった。
「早く終わらせましょう」
ミシェルが言った。
十字棒が回る。
ユルの身体が。
一秒前まで存在しなかった。
木製の階段へ向かって歩き始めた。
一歩ごと。
ユルが抵抗しているのが。
はっきりわかる。
脚が上がる。
手が。
手すりをつかむ。
アレックは。
吐きそうになった。
糸が。
ユルを跪かせる。
そして。
頭を下げさせた。
ギロチンの木枠が。
首へ触れる。
アレックは。
見ていることしかできない。
ユルの口が。
笑った。
何かが。
ものすごい速さで落ちる音。
「やめろ!」
アレックは叫び。
両手を上げた。




