第17話 法の隙間の外で
ユルは。
刃が落ちる音を聞いた。
金属音が。
空気を切り裂き。
鋭い風切り音を作る。
床を見たまま。
待った。
そして。
突然。
爆発。
刃が弾き飛ばされ。
近くの建物の壁へ突き刺さった。
「レベル20の魔法使いに喧嘩売るなよ」
その声を聞いて。
ユルの身体から。
ほんの少し力が抜けた。
テーブルの上。
赤いフード付きローブを着た男が立っている。
黒地に赤い装飾の仮面を。
片手に持っていた。
フアン。
「アレックがあなたを始末したと思ってた。生きてるなら、どうして言わなかったの?」
ミシェルが。
アレックを見る。
「ユルが自分で片づけるって言ってた」
アレックは答えた。
嘘。
あの間。
ずっと意識を失っていた。
「ユルって誰? あなたのお友達?」
ミシェルは。
ユルへ向き直る。
「じゃあ、あなたが噂のユル。別に何も特別じゃないじゃない。どうしてあなたみたいなのがウルの切り札だったのか、今でも理解できないわ」
フアンが。
話しながら。
手を動かす。
「もう知らないふりはやめたのか? 『掴みの手』」
掌を。
ミシェルへ突き出した。
反対の手は。
自由なまま。
巨大な青い手が。
ミシェルの上に現れ。
その身体を。
地面へ押しつぶした。
狙いを外さないまま。
フアンは。
空いている手を動かした。
人差し指の先に。
小さな炎。
ユルは。
その炎が。
ミシェルへ飛んでいくのを見た。
アレックは。
ミシェルから。
飛び退いた。
炎が直撃。
激しく爆発した。
「火の玉かよ、フアン! 本気か? フレンドリーファイアについて何回言えばわかるんだ!」
アレックが叫ぶ。
驚愕に満ちた声。
言いながら。
上着の後ろへついた火を。
必死に消している。
その光景に。
ユルも驚いた。
糸に拘束されたまま。
無理やり。
アレックを見る。
ミシェルが。
炎の中から出てきた。
黒いドレスは。
ところどころ焼け。
肌が露出している。
炎は。
彼女を傷ついているようには見せなかった。
むしろ。
もっと危険に。
もっと魅力的に。
もっと。
ミシェルらしく見せた。
こんな状況なのに。
彼女へ惹かれてしまった自分を。
ユルは嫌悪した。
「きゃあ! 襲われてる!」
ミシェルが叫んだ。
普段より。
わざと高い声。
その瞬間。
彼女の身体から。
男たちへ向かって。
糸が伸びた。
全員が。
フアンへ飛びかかる。
衛兵。
招待客。
使用人。
全員。
「彼女から離れろ!」
「俺が守る!」
叫び声が飛ぶ。
ユルは。
何もできないまま。
アレックを見ていた。
ミシェルは。
それに気づき。
十字棒を動かした。
ユルの視線が。
床へ落ちる。
叫びたい。
だが。
身体が許してくれない。
涙が。
頬を流れる。
混沌の力が。
強すぎる。
戦えない。
アレックは。
裁判官の問いに。
何と答えるつもりだったのだろう。
今は。
床を見て。
最後を待つしかない。
せめて。
早く終わってほしい。
トイレットペーパー用の簡易書式みたいに。
そして。
突然。
視界の中へ。
アレックが現れた。
床に寝転び。
ユルと目を合わせている。
「これしか、君に俺を見てもらう方法が思いつかなかった」
一秒。
沈黙。
そして。
笑いが。
こみ上げた。
同時に。
色彩のエネルギーが。
ユルの中へ流れ込む。
『アレックを救うためなら、あなたはどこまでできますか?』
カアシュの声。
ミシェルが。
ゆっくりと。
アレックへ近づいていた。
たどり着くと。
シャツをつかみ。
引き上げる。
目を合わせる。
「あなたも私に従うの」
ワインレッドの糸が。
アレックの身体へ入り込んだ。
目から。
光が消える。
そして。
ミシェルだけを見た。
魔法を使うことを許されているのは。
最高行政官だけ。
ユルは。
思い出した。
空っぽになった。
アレックの目。
法の隙間では。
救えない。
ユルは。
エネルギーを受け入れた。
『あなたを信じていますよ、ユル』
今度は。
カアシュの声が。
頭の中へ。
はっきり響いた。
ユルは。
そのエネルギーを。
周囲へ流した。
ミシェルの見えない糸が。
次々と切れる。
その場にいた全員が。
解放された。
そして。
倒れるより先に。
世界が。
暗くなった。
「魔法を使いましたね!」
マノロは。
興奮しきっていた。
ユルは。
灰色の道化師の絵が飾られた。
オフィスらしき場所にいた。
「法律を破った」
「ええ。破りました。それに、私と話せています」
「法律を破った」
マノロは。
ユルの衝撃が。
そのまま見えているかのように。
彼女を見た。
マノロの前へ。
旅装姿のユルの像が現れる。
「いい選択ですね。よくお似合いです」
「ありがとう」
ユルは。
あまり元気なく答えた。
「ユル。わかっていませんね。千年のあいだ。感染者を除けば、魔法を使ったのはアレックだけだったんですよ」
「当たり前でしょう、カアシュ」
「マノロです」
「マノロ。魔法を使うのは違法だった。最高行政官以外の誰が使うの?」
マノロは。
片手を上げた。
踊っている人間の。
小さな人形を作る。
隣に。
もう一体。
少しすると。
二人は。
一緒に踊り始めた。
「昔、人々が踊っていたのと同じ理由ですよ」
ユルは。
人形を。
興味深そうに見つめた。
「それ……」
「楽しそう?」
ユルは。
眉を寄せながら。
笑った。
「ほとんど合法ね」
マノロが。
近づく。
ユルの手を取った。
「それをユル語へ翻訳すると」
少し。
黙る。
ユルを見つめる。
「楽しい」
ユルは。
道化師の絵が並ぶオフィスを見回した。
「ところで。ここはどこ?」
「気に入りました? 私の新しいオフィスです」
ユルは。
それはおかしいと思った。
「もちろん、あなたの頭の中に私が住むのは正しいことですよ」
「心を読まれること、忘れてた」
マノロは笑った。
「お気になさらず。あなた一人ではありませんから」
「それで。なんで私の頭の中にオフィスなんか作るの?」
マノロは。
意味ありげに。
笑うだけ。
ユルを見る。
そして。
近づき。
手の上へ。
ケサディーヤの乗った皿を置いた。
ユルは。
チーズの匂いを嗅いだ。
ケサディーヤを見る。
顔を上げたとき。
マノロは。
もういなかった。
ユルは。
糸から解放された状態で。
床へ落ちた。
誰かが。
背中と膝の下へ腕を入れ。
受け止める。
アレック。
ユルは。
反射的に。
その腕をつかんだ。
「そんなに力があるなんて知らなかった」
アレックは笑った。
フアンのいた場所から。
大きな音。
彼の上へ。
群がっていた人々が。
一斉に吹き飛んだ。
フアンが。
片手を高く掲げながら。
姿を現した。
「『マトリックス』見てから、ずっとこれやってみたかったんだよ」
吹き飛ばされた全員は。
いつの間にか現れていた。
巨大な空気入り遊具の上へ。
次々と着地した。
その場を。
現実へ引き戻す声。
カルメラ。
「ミシェル。最高行政官の詐称、および混沌の魔法の不正使用により、あなたを逮捕します」
ミシェルは。
顔を下げ。
カルメラだけを見る。
「助けて。みんなが私の結婚式を邪魔しようとしてるの」
そのとき。
まだユルを抱えていたアレックが。
彼女を床へ下ろした。
そして。
ミシェルへ近づく。
「そうだ。まだ裁判官の質問に答えてなかった」
ミシェルへ向かっていた衛兵たちが。
止まる。
沈黙。
全員が。
裁判官を見た。
「では。あなたは自由な意思で決めていますか?」
「はい」
アレックは答えた。
ミシェルが。
微笑む。
手を差し出した。
ユルは。
腹を殴られたような衝撃を感じた。
動けない。
アレックは。
ゆっくり。
広場全体を横切る。
ミシェルの前へ。
立った。
しばらく。
彼女を見る。
そして。
手袋をはめた手で。
その手を取った。
アレックがいつ。
金糸の手袋を装着したのか。
ユルは。
まったく見ていなかった。
「最高行政官としての職務を果たすことを選ぶ」
その言葉を聞いた瞬間。
ミシェルの目が。
大きく開いた。
アレックから離れようとする。
だが。
動けない。
◇◇◇
ミシェルは。
突然。
メキシコシティのアパートにいた。
窓の前には。
満開のハカランダ。
食器には。
まるで市内の母親たち全員が相談して。
同じ店で買ったかのような。
あの独特の仕上げ。
ダイニングテーブルには。
一人の男が座っていた。
ミシェルは。
部屋を見回しながら。
近づく。
写真。
アレック。
その家族。
ここ。
アレックの家?
「アレックの家族?」
男へ尋ねた。
男は。
ただミシェルを見て。
笑った。
人が笑う声なんて。
どれくらい聞いていなかっただろう。
「座ってください。ここには時間があります」
「アレックが。私に何かしてた」
男は。
ただ微笑んだ。
手を伸ばす。
ほとんど黒に見える。
濃い赤のダリアを。
作り出した。
ミシェルは。
それを受け取る。
「どうして知ってるの?」
男は。
ミシェルの頭を指した。
「ここはずいぶん醜い場所ですね。花だらけですが」
ミシェルは。
眉を寄せる。
男が。
椅子を指した。
座る。
その瞬間。
ウェディングドレスではなくなっていることに気づいた。
ジーンズ。
Tシャツ。
家で。
誰にも見られていないときの服。
「マノロと呼んでください」
ミシェルは。
まだ部屋を見ていた。
あまりにも。
普通の家。
「まさか。アレックが橋の下に住んでるとでも思っていました?」
ミシェルは笑った。
「違う。ポルノと、使い終わったティッシュと、チートスの袋に囲まれてると思ってた」
マノロも笑った。
「探せば多少は出てくるでしょうね。でも、それが彼の中心ではありません。あなたの中心が、脚を見せて、ネット上の男性から欲情されることではないのと同じです」
ミシェルは。
男を見た。
この男には。
本当の自分が見えている?
「アレックが好きな言葉に。武器を持つ者は、その使い方に責任を持たなければならない、というようなものがあります」
ミシェルは。
漫画の台詞だったことを知っている。
何の漫画だったか。
思い出せない。
「ええ。漫画。私も読んでみたいんですけどね。残念ながら、アレックにはここへ丸ごと残せるほどの記憶力がありません」
「記憶力の試験があるたびに、カンニングペーパー作ってるものね」
「なるほど。ちゃんと彼を見てもいるんですね。利用するだけではなく」
ミシェルの顔が。
赤くなった。
男の手に。
スッポンのような奇妙な武器が現れた。
「私を殺すの?」
「いいえ。ただ、混沌を取り除くだけです」
「記憶を消すの?」
マノロは。
黙った。
そのとき。
扉から。
アレックが入ってきた。
「アレック。何なのこれ。この男にさらわれた。結婚式を続けないと」
声が震えないよう。
ミシェルは。
必死に抑えた。
「もういい」
ミシェルは立ち上がり。
男たちが。
目を離せなくなる。
あの形へ。
身体を反らせた。
「もういいと言った」
ミシェルの身体が。
止まった。
「君を手に入れるためなら。世界を壊していた」
アレックが言った。
「今なら。どうして俺が悪役として選ばれたのかわかる」
両手で。
武器を取る。
ミシェルへ近づく。
肩へ。
手を置いた。
「大丈夫だ」
そう言って。
忘却器を。
頭へ押し当てた。
◇◇◇
ユルは。
色とりどりの光の糸が。
ミシェルの身体から抜け。
手袋へ吸い込まれていくのを見た。
ミシェルは。
恐怖に歪んだ顔で。
ただ泣いている。
アレックの表情は。
硬い。
ユルは。
ようやく息をすることができた。
無性に。
アレックを抱きしめたくなった。
糸は。
少しずつ。
手袋へ入っていく。
最後の一本が。
ミシェルから離れた。
アレックは。
回収を終えると。
手袋を。
裏返した。
そこに。
あった。
混沌の種。
ミシェルは。
気を失って倒れた。
「法律を五十個くらい破って、しかも罰金も未払いなので逮捕です」
オラクが。
意識のないミシェルへ言った。
黄色い制服を着た。
女性のブロクが。
彼女を抱え上げる。
その後ろを。
書式へ記入しながら。
オラクがついていった。
アレックは。
ユルを見る。
種を見せ。
手袋を外しながら。
近づいてきた。
「君がカアシュとして知ってるマノロと俺は、これを君が持つべきだってことで意見が一致した」
そう言って。
ユルの手のひらへ。
四つの混沌の種と。
金糸の入った黒い手袋を置いた。
ユルは。
それを見る。
こんな状況を処理するプロトコルは。
存在しない。
「それからカアシュが。自分なりの形を見つけていいって。君は彼の正統な後継者だそうだ」
ユルは。
種を取り。
小さなバッグへしまった。
アレックを見る。
そして。
ものすごくゆっくり。
手袋をはめる。
「おかえりなさい」
頭の奥で。
マノロが。
楽しそうに笑った。
ユルは。
アレックへ近づき。
自分の指を。
彼の指へ絡めた。
「欲しかったもの。全部手に入れられたのに」
アレックは。
笑った。
目に。
光が戻っている。
ユルは。
その口を見ていた。
「いや。欲しかったものは、とっくに死んだ」
涙が一筋。
頬を流れる。
アレックは。
手を伸ばし。
ユルの手を。
そっと握った。
ユルの手は。
汗ばんでいた。
息を止めていることにも。
気づき始めた。
「でも。君となら。欲しいものはまだ生きてる」
全員が見ている前で。
アレックは。
近づいた。
そして。
ユルへキスした。
アレックの唇。
柔らかさ。
身体を。
電気のような感覚が走った。
混沌に似ている。
あるいは。
法の隙間を見つけた瞬間に。
似ている。
短いキス。
終わった瞬間。
ユルは。
もう一度したくなった。
二人は。
ただ。
互いを見る。
「やっとかよ」
フアンが。
大きな声で言った。
コバルト全員が。
うなずいた。
宮殿の日常業務を担当している者の中にも。
何人か。
うなずいている。
「そんなにわかりやすかった?」
アレックが。
困惑した顔で聞く。
ユルは。
その手を感じていた。
落ち着く。
「気づいてなかった馬鹿は。あなただけ」
フアンが言った。
アレックは。
質問するような目で。
ユルを見る。
ユルは。
髪の一房を耳の後ろへ入れながら。
うなずいた。
「でも。あの赤毛には、危うく信じ込まされるところだったわね」
アレックは。
もう一度。
キスしようと近づいた。
ユルは。
片手で止める。
「何歳なの?」
アレックは。
からかうように笑った。
「十分な歳だよ」
「アレック」
まだ笑っている。
「本当に確認したって。この世界じゃ俺は立派な成人だ。法律もそう言ってる」
ユルは。
眉を上げ。
口を尖らせながら。
横目で見る。
アレックの笑みが。
少しだけ弱くなった。
「でも。君は俺のほとんどのプロトコルの例外だから」
その言葉を聞くなり。
ユルは。
アレックを引き寄せた。
そして。
激しくキスした。
フアンが。
口笛を吹く。
行政官たちは。
結婚式の惨状を。
片づけ始めていた。
白黒の猫が。
テーブルの間を歩いている。
その後ろを。
裁判官が追いかけていた。
マシオサレは。
コバルトブルーのスカーフを外し。
カルメラへ渡した。
フリアンは。
「未使用公式寝台返却書」
へ記入している。
アレックは。
ユルの手を握りながら。
そのすべてを眺めた。
そして。
突然。
ユルが。
片膝をついた。
胃が。
ひっくり返る。
筆記具と。
色とりどりの書式を。
吐き始めた。
「まさか。俺とキスするのが、そこまで気持ち悪かったとは思わなかった」
ユルは。
眉をひそめ。
アレックを見る。
喉が焼けるように痛い。
目から涙が出る。
それでも。
吐き続けた。
周囲の人々は。
呆然と立ち尽くしている。
アレックが。
しゃがみ込む。
肩をつかんだ。
「大丈夫だ」
ユルは。
微笑んだ。
そして。
意識を失った。




