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第10話 対面

ミシェルが到着して最初に目にしたのは、歩道の幅を点検している一人のナクだった。

水色の襟飾りに染みのついたナク。

認めたくはなかったが、ここはカアシュだった。

正確には、ウリク。

巨大な塔。その頂上にある、とてつもなく大きな風車。

そんなものがある街は一つしかない。

すべてが本のとおりなら。

自分は、主役の英雄ということになる。

ミシェルは息を止め、周囲を見ながら位置を確認し始めた。

どうしてなのかはわからない。

ただ、自分は大好きな本の中に入り込んでしまった。

読書サークルでも話したことがある。

この作者が作り上げた世界が大好きだった。

支配に満ちていて。

平和で。

灰色で。

非人間的。

誰もプロトコルについて考えない。

ただ従う。

なんて便利な馬鹿げた仕組みだろう。

プロトコルについて考えず、ただ盲目的に従えばいい。

小説では、ほかの英雄たちはウルの切り札であるユルの手によって、次々と謎の失踪を遂げる。

ユルは、かなり凝った罠で彼らを捕らえていた。

読書サークルはまだそこまで読み進めていなかった。

彼らの性格を考えれば、課題になっていたところより先まで読んでいたのは、おそらくカルロスだけだ。

でも。

自分は違う。

この世界を自分のものにしたいなら。

やることは一つ。

自分の得意分野。

制度を利用する。

ナクがミシェルを見た。

そのまま固まった。

この世界で赤毛になるという夢が、ようやく現実になった。

「秩序に幸あれ。行政業務、ご苦労様」

ナクは即座に背筋を伸ばした。

よし。

効いた。

「最高行政官ウル閣下も、あなたの努力を見逃してはいないわ」

ミシェルは続けた。

「その婚約者である私が、保証してあげる」

ナクは書式とインクを落とした。

二度まばたきをした。

反応が大きすぎる。

情報が欲しいなら、少しずつ進めたほうがいい。

「名前は?」

「……ソレです」

ミシェルは彼を見た。

なるほど。

そこからして問題だった。

「最高行政官ウル様から私に与えられた第175条により、宣言します。今日からあなたの名前はマシオサレよ」

小さなナクは至高敬礼をした。

本に書かれていたとおり。

ひどく間抜けに見えた。

「承知いたしました。改名に必要な行政手続きは私が担当いたします。それでお嬢様、王室のご婚礼には何が必要でしょうか?」

ミシェルは微笑んだ。

結婚するなら、盛大にやる。

それに本によれば、ウルは同性愛者だった。

完璧。

権力のある夫。

美しい結婚式。

そして、本気で自分に触れたがる可能性はゼロ。

理想的なラベンダー・マリッジだ。

「まず必要なのは馬車。それから儀仗隊ね」


◇◇◇


ユルはアレックの手を握りながら、濡れた布を冷水の入った容器にもう一度沈めた。

熱が下がらない。

奇跡を起こしてから三日が経っていた。

あれほどのことをするために流し込んだ混沌が、一秒ごとに代償を取り立てている。

人々はもう、あれを奇跡と呼んでいた。

「金髪の行政官の奇跡」。

ウルは金髪ではない。

なのに、誰もその矛盾に気づいていないようだった。

フアンは自ら投降した。

アレックが目を覚ますまで待ち、彼自身に裁判を取り仕切ってほしいと頼んだ。

そして抵抗することなく、牢へ入ることを受け入れた。

ただ一つだけ要求した。

ホアナの隣に入れてほしい。

そう言って、からかうように笑った。

ユルには理由がわからなかった。

あまりにも気になったので、自分で牢まで連れて行くことにした。

「ありがとうございます」

フアンはユルを見た。

「これで、アレックが君から目を離せない理由がわかったよ」

ユルにはその言い回しの意味がよくわからなかった。

だが、口調からすると。

アレックが自分を好きだと言っているらしい。

体が熱くなった。

思わず笑みが浮かんだ。

「君もアレックが好きなんだね。あいつの変なところの向こう側まで、ちゃんと知ったんだろ?」

ユルはうなずいた。

自分が誘惑しようとしている間、アレックが苦しそうに身をよじっていた姿を思い出した。

性欲はかなり強い。

それでも紳士であろうと必死に努力している。

奇妙なことに。

ユルは、そこが好きだった。

「信念のある変態です」

口から滑り出た。

なぜか、このフアンという男には妙に気を許してしまう。

フアンは笑った。

「そうそう。変態紳士。自分は女の子を一人も不快にしてないって本気で思ってるけど、あいつ、自分がどんな目で女の子を見てるか全然わかってないんだよ。だから逃げられる。まあ、ラウラっていう変な女以外は」

妙だった。

アレックはときどき別の女のことを口にしていた。

だがフアンは、その女などとっくに候補から外れているかのように話している。

二人は昇降機で下へ降りた。

今日は列がなかった。

ブロクたちは頭を動かしてユルに挨拶した。

今日の昇降機係が声をかけてきた。

「ようやくコバルトになれたんですね。どれだけ努力してきたか知っていますよ」

「ありがとう、ムルク」

昇降機の中で、フアンがユルの顔をじっと見始めた。

「どうしてそんなに見るんですか?」

フアンはユルに正面から向き直った。

「マジかよ。デューンみたいな目してるの、今まで気づかなかった。いや、インベスティチャーが宿ってる目って感じか?」

ユルは何を言っているのかわからず、彼を見返した。

「何の話ですか?」

「目。すごく綺麗な色だなって」

あまりにも直接的だったので。

ユルは笑い、頬を赤くした。

「変な話し方をしますね」

フアンは少し考えた。

それから言った。

「みんな、俺が何言ってるかわからないこと多いんだよね。自分ではかなりわかりやすく説明してるつもりなんだけど」

ユルは少し笑った。

色のついた小さな火花が散った。

息を整えた。

誰かに見られていないか、周囲を確認する。

「今の何?」

「何でもありません」

フアンはじっとユルを見た。

だが、何も言わなかった。

ユルは息を吐いた。

「着きました。この廊下を進んでください」

フアンは牢獄へ向かった。

ほどなくして、カルロスが起こした色彩の爆発跡にたどり着いた。

「これ、俺たちの世界の芸術家に怖いくらい似てるな」

ユルはフアンを見た。

「あなたたちの世界には、芸術があるんですか?」

混沌の種が別世界から来ている。

それなら筋は通る。

だが。

そうなると、アレックは?

「あるよ。山ほど。いろんな種類がある。普通にいいものもあるし、尾田栄一郎みたいな天才もいる。まあアレックは、あの人は天才っていうより、とんでもなく大きい世界を作って、あとから好きなように辻褄を合わせられる超一流の即興屋だって言ってるけど」

アレックも別の世界から来た。

それなのに行政魔法を使える。

答えは明らかだった。

魔法を使えば、アレックは影響を受ける。

混沌の種とは違う。

行政魔法を使えるのは、最高行政官だけ。

「着きました。ここです」

フアンは牢を見た。

ホアナの牢の真正面だった。

以前、混沌の種を閉じ込めていた部屋とは違い、こちらは鉄格子になっている。

ホアナが起き上がった。

フアンとユルを見る。

「笑いに来たの?」

ユルは牢を開け、フアンを中へ入れた。

「くそ。よりによってこの負け犬を目の前に入れる必要あった?」

ホアナは再び毛布をかぶった。

投獄されてから、寝転がって独り言をぶつぶつ言う以外、ほとんど何もしていないらしい。

フアンは笑った。

「どうせ閉じ込められるなら、できるだけお前をうざがらせて楽しむよ」

ユルは、個人用歯ブラシ購入書式の三重押印を誰かが忘れたときにサルバトーレがしていた顔を再現してみた。

「混沌の魔法を使用したことが判明した場合、別の牢へ移します。ここにいられるのは最高行政官からの特例措置です」

フアンは目を大きく開いてうなずいた。

どうやら。

サルバトーレの顔は成功したらしい。

ユルは平たい包みを差し出した。

タオルで包んである。

「必要になるかもしれません。保管しておいてください」

アレックにはもう必要ない。

自分の考えが正しければ。

フアンには必要になる。

そのあと、ユルは自室へ戻った。

着替えなくてはならない。

今日は大切な式典がある。

正しい制服を着ずに出席するつもりなど、ユルにはなかった。


◇◇◇


ミシェルは儀仗隊を手に入れられなかった。

宿の部屋をぐるぐる歩き回っていた。

油灯の明かりが妙に暗く感じる。

計画を成功させるには、どうしても儀仗隊が必要だった。

首都へ誰かを送ることもできる。

だが、それでは怪しまれるだろう。

そこで、次に思いついた方法を選んだ。

自分で作る。

二日ほどかかった。

そのとき、首都から知らせが届いた。

混沌の種が一人捕まり、中央行政宮殿へ移送されている。

時間がない。

最初の種を捕らえたあと、ウルが宮殿から姿を消す十五日間。

そこを利用するつもりなら、急がなくてはならない。

鹿のような顔をした生き物を二人ほど集め、制服を着せようとした。

また種族名を忘れた。

うまくいかなかった。

簡単な衣装を作ったことはある。

だが、この品質の制服を一から作るのは、彼女の技術では無理だった。

だから。

ずっと避けていたことをするしかない。

魔法を使う。

二人の寸法を測り。

泊まっていた宿の部屋へ戻った。

細部まで完璧な制服を想像しながら、両手を伸ばした。

そして。

起きた。

本に書かれていたとおりのことが。


ミシェルは自宅の食卓にいた。

家族が夕食を食べている。

「土曜日はヘススの試合があるからね。大事な試合なんだから、みんなで応援に行くわよ」

母親は、まるで神聖な義務でも告げるように言った。

ミシェルはその光景を見ていた。

いつものこと。

その日は学校の演劇の発表会だった。

そして、いつものように。

忘れられていた。

「私の発表会は?」

両親は互いを見た。

あの顔。

いつもの顔。

自分たちがミシェルに関する何かを忘れたとき。

そして、ミシェルに空気を読んで、気まずくしないでほしいと期待するときの顔。

母親が口を開いた。

「学校のお芝居と、ヘススがユースチームにスカウトされるかもしれない試合を、本気で比べてるの?」

ミシェルは何も言えなかった。

床を見る。

「ごめんなさい」

それまで携帯をスクロールしていただけだったカリナが、顔を上げた。

「その役立たず、そのうち絶対あんたたちを失望させるから」

ミシェルは、姉のそういうところが羨ましかった。

カリナは、この家で愛情がどう分配されているかを、ずっと理解していた。

そして黙らない。

自分とは違う。

「部屋に行きなさい」

母親が命じた。

「本当にいいの? 私を部屋に閉じ込めるの待って、ラロが窓から入ってくるかもしれないって考えたことない?」

母親の顔が真っ赤になった。

立ち上がる。

叫び始めた。

「私はあなたをそんな人間に育てた覚えはない!」

「言うこと聞いた結果、ヘススみたいな役立たずになるなら、あんたの教育なんて喜んで無視するわ」

ミシェルは後ずさりし、壁に背中をつけた。

「母親に向かって、なんて口をきくんだ!」

父親。

いつもどおり。

十八歳の娘から妻を守る騎士。

ヘススは、すべてを見ながら笑っているだけだった。

ミシェルは皿を持ち、台所へ行くことにした。

そこからも口論は聞こえた。

食べた。

皿を洗った。

しまった。

自分の部屋へ上がった。

両親はまだカリナと喧嘩している。

枕を抱いた。

泣いた。

「このままじゃだめ」

自分に言った。

少し前から、体つきが変わり始めていた。

男たちの視線を見るかぎり。

自分は魅力的らしい。

本当に?

どうすれば確かめられる?

丈の短いブラウスとショートパンツに着替えた。

何も変わった気はしない。

短い動画を流すSNSを開いた。

次々とスクロールする。

すぐに、ライブ配信をしている誰かが出てきた。

もしかして。

カメラを、自分がきちんと映る位置に置いた。

背景に余計なものが映らないよう気をつける。

そして。

ライブ配信を始めた。

十五分後。

五百人が見ていた。

ミシェルは適当なことを喋っていた。

彼らが話を聞きに来ているわけではないのは明らかだった。

試すつもりで。

立ち上がった。

少し離れた。

踊り始めた。

ほどなくして。

七百人。

彼らはミシェルを見ているのではなかった。

欲しがっていた。

わざと意味がわからないふりをするようなメッセージが届いた。

無邪気に見せれば、もっと煽れる。

だから。

わざとそうした。

気持ち悪い者もいた。

でも。

安い代償だった。

彼らの目の中では。

自分は存在していた。

その後、アカウントを停止された。

「未成年者の露出に関する違反」

問題ない。

何をすればいいのかは、もうわかった。

翌日。

少し大人っぽく化粧をした。

服も、前ほど子どもっぽくないものを選んだ。

セルフィーを使って、新しいアカウントを作った。

プロフィールの一番上にはこう書いた。

「未成年じゃありません」

ライブ配信を始めた。

完全に支配しているような感覚があった。

やがて、自分を守るモデレーターたちを作ることも覚えた。

コメントで度を越した者がいれば。

ライブから追い出される。

そして何より。

自分は何もしなくてよかった。

ただ。

無邪気なふりをするだけ。

モデレーターたちも、自分を欲しがっているのは明らかだった。

ただ、隠すのが上手だった。

だから。

王国の鍵を渡してやった。

しばらくすると、少し金も稼げるようになった。

ミシェルに欲情していた従兄が、彼女のために口座も作ってくれた。

二年後。

両親にばれた。

怒られるかと思った。

違った。

その金は弟の将来のために使うべきだと言われた。

ミシェルは。

自分が稼いでいると言った額の半分だけを渡した。

それで。

両親を黙らせた。


ミシェルは幻から戻った。

今いる場所を思い出すまで、少し時間がかかった。

鏡を見る。

自分の顔に、何かを探した。

涙が一筋。

頬を流れた。

そして。

泣き始めた。

「どうすれば……私を見てくれるの?」

勝手に口から出た。

ミシェルは、まだ枕を抱いたまま立ち上がった。

もう一度、鏡を見る。

ここでは。

自分は大人だ。

なら。

利用する。

魔法を使った。

ブリジャートンから抜け出してきたようなドレスを身にまとった。

本当ならコスプレか、韓国アイドルの衣装のほうがよかった。

だが。

役になりきる必要がある。

もちろん。

脚がよく見える切れ込みは残した。

そこが一番の武器なのだから。

そして赤い髪。

この世界では。

誰にも止められない。

「魔法を始めましょう」


◇◇◇


ユルは、一人ずつ棺の前を通っていく者たちを見ていた。

頭を下げ。

別れの書式を記入し。

棺に触れ。

自分の場所へ戻る。

上級行政官のためのプロトコルだった。

サルバトーレ。

コバルト。

上級行政官たちは全員出席していた。

本来なら、アレックもいるはずだった。

だが、もう待つことはできない。

今日が、儀式を行うことをプロトコル上許された最後の日だった。

サルバトーレなら。

プロトコルを守ってほしかったはずだ。

ユルは、サルバトーレに行政学校でスカウトされた日のことを思い出した。

なぜ自分だったのか。

結局、一度もわからなかった。

もっと優秀な者はいくらでもいた。

たとえばフリアン。

驚くほどの速さで書式を埋められた。

あるいはムルク。

どんなプロトコルも忘れなかった。

それなのに。

サルバトーレはユルを選んだ。

ウルの専属補佐官として。

スパイとして。

切り札として。

混沌と最高行政官の間に立つ、最後の防衛線として。

ユルは葬儀用の記入台へ近づいた。

書式を書き始める。

ゆっくり。

サルバトーレが教えてくれたとおりに。

「急げば間違える可能性が高くなります。一度きちんとやるほうが、急いで三度やり直すより良いのです」

書いている間。

涙が紙へ落ちた。

この書式のインクは特別だった。

書いたばかりの部分に涙が直接落ちても、滲まなかった。

サルバトーレは。

ユルの中に何かを見ていた。

最初に見つけてくれた。

もう。

それが何だったのか聞くことはできない。

三枚目の写しを、ゆっくりと記入した。

一文字ずつ。

落ち着いて。

丁寧な字で。

紙の上に、大きな赤い×印を押した。

この印を選んだのは正解だった。

できるときは赤で押した。

最初のころ、多くの行政官には意味がよくわからなかった。

書式を何枚か返されることさえ珍しくなかった。

そのうち。

みんな慣れた。

サルバトーレは、赤い×を見るたびに笑っていた。

あの老いたナクが何を考えていたのか。

もう、わからない。

ユルは書式をきれいに揃え、小さな引き出しへ入れた。

ほかの書式と、ぴったり重なるように。

入れながら。

自分が余白に描いた模様を見た。

それから棺へ近づいた。

その後ろには。

襲撃で亡くなったほかの者たちの棺が並んでいた。

サルバトーレの眠る場所へ手を置いた。

少しだけ。

そこにもたれかかった。

頭の中で。

サルバトーレが返答用の書式を書いている姿を思い浮かべた。

いつものように。

書きながら耳を後ろへ倒している。

ユルは深く息を吸った。

目を開けた。

「ありがとう」

永遠に幸せそうに行政業務を続けているサルバトーレを思い浮かべながら、そう言った。


◇◇◇


ミシェルの馬車は猛スピードで走っていた。

親衛隊が同行している。

馬車は、かつてチャプルテペック城で見たものを真似て作った。

ただし。

赤。

人々は、馬車が通るだけで道を空けた。

色を恐れる世界では。

赤は驚くほど便利だった。

それだけではない。

ウルの旗印も掲げている。

マシオサレは、コバルトブルーのスカーフを嬉しそうに巻きながら、ミシェルの足を揉んでいた。

「こちらのほうがよろしいでしょうか、お嬢様?」

ナクの小さな手は、驚くほど上手だった。

ミシェルにはわかっていた。

だが。

褒めすぎれば、努力しなくなる。

「ほとんど完璧。左手だけ、もう少し弱くして」

高校で受けた心理学の授業が、ようやく役に立っている。

あの馬鹿な先生。

絶対に自分の思いどおりにならなかった。

ほかの生徒の言い訳は信じるのに。

ミシェルには、いつも「だめ」と言った。

もちろん。

ミシェルの言い分は嘘だった。

でも。

先生に見抜かれるのが腹立たしかった。

とはいえ、人を操るときのコツはいくつか教えてくれた。

今、携帯があればどれほどよかっただろう。

このヴィクトリア風にアレンジしたドレスでライブ配信。

赤い馬車。

親衛隊。

そして画面の中で、マシオサレが足を揉んでいる。

完璧だった。

残念。

プレゼントが恋しい。

コメントが恋しい。

そして。

みんなが自分を中心に存在している。

あの素晴らしい感覚が恋しかった。

計画を三度目に確認する。

中央行政宮殿へ行く。

ウルを待つ。

混沌の魔法を使って結婚させる。

誰も疑わない。

そして、あの奇妙なスッポンのような武器さえ持っていなければ。

問題ない。

ミシェルは中央行政宮殿の正門から入った。

必要な書式はマシオサレが記入している。

ミシェルはじっと彼を見た。

入宮に必要な三枚目の写しを書き終える。

もう一人の係官と照合する。

押印。

ミシェルは、魔法を使って早く済ませたい衝動をこらえた。

すべて。

本物らしく見えなくてはならない。

疑われてはいけない。

オンライン講座で覚えた呼吸法を始めた。

少し楽になった。

あと少し。

もうすぐ。

この王国の英雄になれる。

爪を噛み始めないよう、かなり努力した。

ウルを見つけなくてはならない。

今すぐ。

慎重に。

彼女たちを迎えた宮殿の行政官へ、混沌の魔法を使った。

肌が粟立つ。

筋肉が張る。

内側から何かを引きちぎられるような感覚。


ミシェルは車から降りた。

一人の男が、手を振って別れを告げた。

体が痛い。

バッグを開く。

金を数えた。

全部ある。

家へ向かって歩いた。

向かいの家の前を通る。

同い年の女の子が。

兄弟たちとゲームをしていた。

父親が、お菓子とジュースを持ってきてくれる。

ミシェルは。

気づかないうちに、窓の前で立ち止まっていた。

それから。

また歩いた。

今回こそ。

本当に最後にしたかった。

家に着いた。

中へ入る。

少し崩れた化粧のまま、玄関で立っていた。

父親が通った。

挨拶した。

それだけ。

ミシェルをよく見ることすらしなかった。

自分の部屋へ向かう。

途中で母親に会った。

顔をまっすぐ見る。

「どこにいたの? 今月分が必要なの。弟にデビューの話が来てるんだけど、そのためにお金を払わないといけないのよ」

ミシェルは立ったまま。

黙っていた。

質問を待った。

叱られるのを待った。

何でもよかった。

「今渡すね、ママ」

本当に。

あれが最後だった。

今までしてきた。

いろんなことの。

最後。


再び。

目の前には行政官がいた。

彼を操る糸を感じる。

「第175条により、最高行政官ウル閣下への即時面会を要求します」

行政官はミシェルを見た。

一度まばたきをした。

「かしこまりました、奥様。こちらへ」

宮殿の中を歩き始める。

「これは極めて異例です、お嬢様」

マシオサレが言った。

ミシェルはバッグを渡した。

持たせる。

返事はしなかった。


◇◇◇


ユルはアレックのそばにいた。

日が経つにつれ、熱は下がっていた。

一番危険なところは越えた。

偉大なるカアシュに感謝を。

あとは。

目を覚ますのを待つだけ。

ユルには、まだ混沌の種を追うという選択肢があった。

だが。

これまで見たかぎり。

自分一人では勝ち目がない。

「私たちには、あなたが必要です」

アレックの耳元で囁いた。

手を握りながら。

アレックは何も言わない。

ただ。

ユルの手を感じたのか。

そっと握り返した。

ユルの胸がいっぱいになった。

その手を撫で始める。

「……あなたを必要としているのは、私のほうかもしれませんね」

小さく囁いた。


◇◇◇


ミシェルは宮殿の廊下を歩いていた。

案内役のナクは、苛立つほど遅かった。

巨大な鹿の顔をした人型の生き物たちが動かす昇降機を見て、少し驚いた。

また種族名を思い出せない。

自分の親衛隊も同じ種族なのに。

最高行政官の居住区がある階へ上がった。

廊下の入口には衛兵が配置されていた。

何も聞かずに通した。

「こちらです、奥様。最高行政官は休養中でございます」

大きな灰色の扉が見えた。

上部には、

「最高行政官」

と書かれている。

ミシェルは入口にいたナクを脇へどかした。

自分で扉を開けた。


◇◇◇


ユルはアレックの手を握っていた。

もう片方の手で、シーツ交換申請書を記入している。

三枚目の写し。

アレックの手を離し。

三通に押印した。

「ありがとう、カルメラ」

「奥様。あなたのもとで働けることを光栄に思います。この両端に帯模様を入れた書式なんて、今まで見たことがありません」

ユルは笑った。

「緊張するとやるんです。禁止する法律はありませんから」

カルメラも笑い返した。

「知っていますよ。『法の隙間のユル』」

ユルは目を丸くした。

「どこでその呼び名を?」

カルメラは近づき。

耳元で囁いた。

「フリアンが栄養パック倉庫で働いているんです」

「私と一緒に学校にいた、あのフリアン?」

カルメラはうなずいた。

「では、奥様。私はこれで失礼いたします」

その瞬間。

扉が勢いよく開いた。

衛兵。

ユルが、最高行政官の居住区にスパイとして配置していた者だった。

「ユル行政官。混沌の種が到着しました。第175条に基づきあなたが策定した計画を実行する時です」


◇◇◇


ミシェルが扉を開ける。

最高行政官の部屋は。

完全にもぬけの殻だった。

ベッドの上に、小さな手紙が一枚置かれている。

「捕まえられるものなら、捕まえてみなさい」

その下には。

赤い×印。

そして。

ユル。

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