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5円を配る


統合失調症の症状があった時、数々の、普通はしないよね、こんな奇行。って事を、まあ事件や事故にならない程度に、普通のラインから少し、はみ出してやっていました。

ぶつぶつ独り言を言いながら、部屋をうろうろ歩き回るだとか。

脳内物質のあれこれで、気持ちがハヤハヤして落ち着かないので、止まっていられないんです。あれは非常に苦しかったなあ。

なんでもなく普通に、ふっと落ち着いてそこにいられる、心配も不安もなく、そこに。

って、本当に幸せな事なんですよ。


今は全く、そういう、止まっていられないなどのことはないです。仕事なんかしてて、少しふわっと気持ちが浮つく時は、たまーにあるんだけど、あれ?病の影響かな?って思っても、眠れるし落ち着いていられるし、ふわっとを感じながらも普通を保てます。

薬を飲んでいるから押さえられてるもあるだろうし、生きていて、健康な人でもふわっとしたり落ち込んだり、気持ちの上下はありますよね。お天気でも気分良かったり、なんか調子いいなあとか、ドヨーンとするなあとか、そんな範疇の波です。


まあ過去の奇行の話をしましょう。

奇行にもそれなりの訳があります。その時、私は、バリッと今までの人間関係をリセットして再構築していたものですから、多分とても寂しかったのですね。

人って、人と関わらないとやっていけないのです。

病であろうと、なんだろうと、人と関わっていたい、という、ささやかな絆や糸を求める、この世界で生きていることを他の皆と交わって許される、そんなうっすらとでも大きな関係が、必要なのです。とても欲しいと思った、根源的に、それを。


私が何をしたか、というと。

2000円くらいを全部銀行で5円玉にして、ポチ袋に入れて、ご近所の道や街中、駅前などで、ご縁を配る、ってやつをやったのです。

いきなりかよ。えー。ってなるよね。人によったらドン引きすると思います。


知らない人に、はいどーぞ、はハードルが高いし、そっと気づいてもらえるなんかいいものを街に仕掛ける、って事をやりたかったので、道や、自分が、ここはいいぞ!ってとこに、そっと置いてました。


それを見ていた学生なんかに笑われたり、後で5円が抜かれたポチ袋のゴミを見かけたりと、悲しい事もありました。

自分ではご縁を配るって、すごく楽しいな!ってめちゃ盛り上がってやったのです。病ながらにね。


私は幼少期、宝の地図を書いて廊下の節穴から地面にポトっとおっことして、誰かが見つけないかなぁなどとやっていた子だったので、そういう部分が発揮されたのかも。


私はその時、ご縁が配れたのだろうか。お金を捨てただけでは?とも思えます。


後で考えたら、ご縁を配るなんて、神様めいたことは不遜で傲慢ダッタナァ、なんても思ったのだけど、まあ、普通こんな事は個人でやんないです。神社かよ、お前は、ってあの時の私に言ってやりたい。


拾った人はどう思ったですかね。あれよね、置く所を見ていた人は、おかしな人がいるなーと思ったろうね。

ただ拾った場合は、何かのお店開店だとか、そんな配りものが落ちてたのかな、くらいで、5円ラッキー、お財布に、程度の軽い気持ちでしょうか。


でもあの時の、ご縁を配る、計画してる時もポチ袋に5円を入れている時も、めちゃ楽しかったんだ。

結果は悲しく現実に紛れて、いなされてしまったけど、そういうことを考えているのが楽しいんだな、っていうのは、私の中にあるのかもしれません。

美味しいもの、楽しいもの、嬉しいものをちょこっと、気まぐれに、気づいた人に。

世の中にそんなものを、ちょちょッとさせていきたい。


精神の病の症状で起こるあれこれは、脳内物質の仕業なので、なんか暴れたりとかがある人でも、自分の本性はそんななんだ、とか思わなくていいと思うんだけど。

まあ、でも、自分の個性の一端が、言動に滲む事もある、ということくらいは、あるかもしれませんよね。

私は一人で黙って、あんまり喋る会話の量が多くなくていい、とか家族2に言ってるわりに、案外、寂しがり屋で。

仕事場でも、同僚の人との何でもない会話が、嬉しいなぁと思っていたりもして。


そんな中で人と、それも自分にちょうどいい距離で、なんか面白く勝手に、ウシシと仕掛けていたいタチなんじゃないかなあ、と思ったりします。勝手に工夫するのが好きなのよね。職場でも、ギチギチにコントロールされるより、こっちから聞きに行くまで、大体ほっとかれたい感じです。ほうれんそうはしているよ。


今はポチ袋に5円を入れて配るような奇行はしませんが、似たような事を普段から人は、色々な場面で、やっていると思いますね。


楽しんでくれるかな?

面白がってくれるかな?

あ、いいものもらえた、って笑ってくれるかな?


それを作り出すのは喜びで、結果が伴わないとシュンとするけど、でも、どうかなどうかな、ってついやっちゃう。

小説を書くのは、そういう、5円玉を配るのと同じような事で、誰かのためであり、自分のためでもあります。

ちょうどよく結果がマッチするとは限らないけど、それに向かって世界に打っていくことが、呼吸であり、生活と合わせて、生きていることなのかな、なーんて、思います。


人は1人で生きているのではないのだから。誰かと隣り合って立って、生きているのだから。でも、やんなきゃ!ギスギス!決まりごと!みたいなのが多いのは苦手。息苦しいのはごめんです。


これからも、勝手にご縁を配るような、そんなお話が書けたらいいです。

神社じゃないから、特別なものではない。

でも、なんかいいな、ってものを、時には、ん?これは……と、眺めちゃうようなものでも、人を傷つけない、なんか、なんかになるものを。


私は、このせかいで、これからも。

ご縁を配って、時にもらって、ウシシと生きていきたいです。

楽しいよね。


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