第七撃「ハニートースト」④
学生風の店員は短髪で不精ひげを生やし、ラップでもやっていそうだった。テーブルにグラスや皿を置くと「ごゆっくりどうぞー」とおざなりに言って、ターバンの位置を微調整しつつ部屋を出ていった。
白い皿に食パン1/2斤がどんと鎮座している様子は、何度見ても気分が高揚する。まして今日は、5色のチョコスプレーが彩るバニラアイスと生クリーム、バナナスライスが上面をぎゅうぎゅうに陣取り、さらに焦げ茶色のチョコレートソースが網目のようにかかっているのだ。もう意味合いとして「お菓子の家」である。
鏡太郎は、皿にスマホのカメラを向けた。藍が意外そうに言う。
「鏡太郎くん、どうせ見返さないから料理の写真撮らない派じゃなかったか?」
「これはさ、見返しかねないわ」
鏡太郎は立ち上がったり、また座ったりして画角を検討し、シャッターを押した。藍が「見せて」と言うので、スマホを手渡す。
「ハニトー、もう分けちゃってOK?」
「うん、ありがとー」
鏡太郎はハニートーストの天辺をフォークで軽く押さえ、トッピングが崩れないように注意しながらナイフをめり込ませていった。さくさくと音を立てて縦に半分にし、そっと取り皿に分ける。
「…やっぱり構図がいい気がするんですけど。画家の孫だから?」
藍が、鏡太郎の撮ったハニートーストを見ながら感心したように言う。
「関係ないって。うちで祖父ちゃんの絵見たことあるだろ? 丸と菱形しか描いてない抽象画。そりゃ祖母ちゃんの稼ぎがなかったら食ってけないよね」
鏡太郎は、自宅の廊下にかかった「光角57番/静騒」というタイトルからしてよくわからない額を思い浮かべて言った。
「でも、色使いとか好きだったよ。あの海の底みたいな…群青色? 会ってみたかったなあ…うちらが産まれる3年前だっけ、亡くなったの」
藍はスマホを鏡太郎に返すと、何かに気づいた顔をした。
「わたし、鏡太郎くんの携帯はまだ触れるんだ」
「へ?」
「去年くらいから男さんの携帯触れたくなくなっちゃって。うちの兄や、お父さんのもまだ大丈夫だけど」
「わかるわ。携帯って耳につけるから脂とかつくしさ、男のおれでも」
藍は首を振った。
「それもある。けど最近やたらじゃないか? 吐きそうな盗撮のニュース」
「……ああ…」
「男さんのスマホって、基本ロクなもの入ってないって決めつけてるんだ。失敬」
「いや。…いや、あながちだよ。おれも、そりゃ盗撮はしないけど」
鏡太郎の耳元で「水着の画像とか見まくってまーす」とさやかが囁く。
「鏡太郎くんのは、まだ平気だ。血の繋がりのせいか?」
「よかった…けど『まだ』判定なわけね」
「うん。『まだ』」
藍はしれっとそう言ってにっこり笑うと、グラスを掲げた。
「じゃお互い、祝・こーこーせー!」
乾杯でプラスチック製のグラスがこん、と音を立てる。藍はストローでジャスミン茶を一口飲むと、半分になったトーストをナイフで切り分け、生クリームが多めにかかった箇所を口に運んだ。
鏡太郎も、チョコソースがしっかりとかかった一片をバナナと一緒にフォークに刺し、口を大きく開けて頬張る。味も食感も異なる甘さたちが、ひと噛みごとにさまざまな組み合わせで口の中に広がった。
もくもく咀嚼しつつ、目で互いに「美味」を伝え終えると、藍は「じゃ」とタブレットで選曲を始めた。毎回、それぞれが新しいレパートリーを1曲歌った後、何かデュエットソングを一緒に1曲というのが「定例会談」恒例となっている。
やがてモニターに「奇跡の夜に」という曲名が表示された。イギリスの古い民謡みたいなイントロが流れだす。
藍が選ぶのはいつも「カラオケに入ってたって歌うやつはいるのか?」と鏡太郎が思う曲ばかりだった。これは「ゴースト&レディ」という、劇団四季の人気ミュージカルのナンバーらしい。昨夜、小声で練習したサカナクションを歌いきれるか緊張してきて、鏡太郎は緑茶でのどを湿らせた。
「直弟子の件は、本家にはもう言わないん」
渋谷から帰った鏡太郎が、夕飯前に自室で英文法の課題を片づけていると、改めてさやかが確認してきた。さやかはさっきと同じくTシャツに短パンで、畳にあぐらをかいている。
「別に藍ちゃんにだけなら言ったっていいんだけどさ…」
軽い天然パーマをなんとなしに指で引っぱりつつ、鏡太郎は歯切れ悪く答えた。
鮎のことを伝えたら、立場上、藍は本家の現統主である母親(鏡太郎からすれば“従伯母”だ)の朝子や、祖母の夜子(鏡太郎からすれば“大伯母”である)に報告しないわけにいかないはずだ。
それは「めんどくさいことになるのでは」と鏡太郎には思えた。
夜子も、朝子も、会えばいつでも優しい。男なのに宗範を継がされた鏡太郎を気の毒がり、夕子は自分勝手過ぎだと繰り返し言ってくれる。
だがその思いやりは北統への不信感、厄介者認定の裏返しのようにも感じた。まだ藍にも伝えていないが、鏡太郎が自分の代で北統を終わらせると決めたことは、向こうにとって願ったり叶ったりなのではないか。「本家に気を許すな」と事あるごとに祖母から言われていたので、鏡太郎が洗脳されている可能性もあるけれど…。
そもそも本家は、乙女わざの秘密を守るため入門者を厳格に絞っており、古参の門人(富裕層が多い)の家族や親族にほぼ限定している。鏡太郎の一存で、警察関係者ではない外部の人間に「汞名録」に名前を書かせたと知ったら、少なくともいい顔はしないだろう。鮎の素性も質されそうだった。
「まあ、師弟そろって挨拶に来い、くらい言われるかもしれんよな。超ソフトな口調でな」
さやかが、あぐらのまま両膝を畳に押しつけるストレッチをしながら言った。
「だろ? そんなの悪いじゃんか陸奥さんにもさ」
「行ったらまた、抹茶とあのバラの和菓子出てくるで。本家のニオイ使てるやつな」
「…あれ今ひとつ好きじゃないんだよな」
ニーヴ香業は地元の老舗和菓子店に、特注の食用ローズオイルを納めているのである。
スマホの充電がなくなりそうなことに気づき、鏡太郎は充電コードを出すため通学リュックに手を突っ込んだ。指先に、入れた覚えのない紙袋の感触を感じて手が止まる。
「…何これ」
そのまま摑んで取り出した。ハトロン紙の、空色の小袋だった。折り曲げられた上部に「おすそ分けである!!」と藍の丸っこい字で書いてある。
カラオケBOXで、鏡太郎がトイレに立った時に入れられたのだろう。あの再従姉妹のことだ。鏡太郎は一度はトイレに行くと確信したうえで仕組んだサプライズに違いない。
小袋を開く。ハトロン紙の薄くつるつるとした感触は好きだ。
銀地にブルーの意匠の、浅田飴の缶が入っていた。そういえば、たまに夜子がなめていたかもしれない。
上蓋を回して開ける。プラスチックの穴開きの中蓋は取り外されていた。さやかも立ち上がって、覗きこんでくる。
ーーー夏梅が3つ、入っていた。
表面に顔の落描きがしてある。一つは垂れ目を自虐気味に強調した藍、一つはたぶんクオッカワラビー、もう一つは…顔の全面に波線で経文みたいな縞が描かれ、両サイドに赤い点がにじんでいるから耳なし芳一だろう。
鏡太郎は、“芳一”をつまみ上げた。羽根みたいに軽い。静かに振ってみると、音はしないが、中で粉末が動く感触があった。
「…どう使えっつうんだよ」
「捨てたらええやない」
さやかが、見透かしたように目を細めて見てきた。
「明日、可燃の日やで」
「……」
鏡太郎は何食わぬ顔で“芳一”を容器に戻して蓋をしめ、机のいちばん上の平らなひきだしを開けて青い缶を最奥部にしまいこんだ。
丹生家は、東急東横線の自由が丘駅から徒歩8分ほどの静かな邸宅街にある。白壁に青い瓦屋根の瀟洒な洋館だ。
午後6時半過ぎ、門をくぐった藍が石畳の敷かれた前庭を抜け、「ただいま」と玄関を開けると、母の朝子が下駄箱の靴を入れ替えているところだった。
「おかえり。鏡太郎くんだっけ?」
「そう。いつもどおり渋谷で」
「お疲れさま」
南国の花々とオウムが描かれたタペストリー風の玄関マットの上でスリッパに履きかえる。朝子は、新品のミュールをクロスで拭きながら続けた。
「ちゃんと、藍がママやお祖母ちゃまには内緒で会ってくれてるって思わせてる?」
「ばっちり」
「夏梅とか見せてないね?」
「もちろん」
「鏡太郎くんは高校どうだって?」
「特に変わりないみたい」
「そう。まあ柿星学苑は中高一貫校だからね」
「チャンスあったから久しぶりにぱぱっと見たけど、スマホの写真フォルダも、友達カップルのが増えてたくらい。LINEも別に」
「危ない子ねえ! 監視役って言ったって、そんな浮気調査みたいなことはしないでよろしい」
「…あと、今日はあんまりお腹空いてなかったかな」
「あら?」
「ハニートースト食べるペース、途中でちょっと落ちたんだよね。食べ終わるの私と同時だった」
「…あなたはね、ほんと、細かいとこを気に留め過ぎ。いつか逆に、本質を見逃すよ」
「心しまーす」
藍は挙手しながら言って、洗面所に入った。
ハンドソープを、両てのひらで爪の先まで丁寧に泡立てながら考える。
ペースが落ちる前に再従兄弟が見せた、あの微妙な表情の変化はなんだろう。
何の疑問も持たずにおにぎりにかぶりついたら、中身が苦手な具だと気づいた人のような顔を、ほんの一瞬した。トッピングの載った部分はたしか順調にぱくぱく食べきって、中心部の蜂蜜とバターだけがしみ込んだ一切れを口に入れたあたりでーー。
うがいをしながら考え続けたが、結論は出ない。母が言うように、取るに足らないことだろう。でも一応、日記には書いておくことにした。
〈第七撃「ハニートースト」/おわり〉
更新ペースも安定しない作品にここまでお付き合いくださっている皆様へ。同じ言葉でのお礼ばかりで恐縮ですが、ほんとうにありがとうございます。




