第七撃「ハニートースト」②
鏡太郎は渋谷駅のハチ公口を出たところで、スクランブル交差点の信号が青に変わるのを待っていた。ここに立つと彼はいつも(友だちと一緒の時ですら)、不思議な孤独感に襲われる。
この世界的名所は平日の夕方でもにぎわっているけれど、人も建物も頭上の大型モニターから笑いかける有名人も、すべてが仮想空間のプログラムのように感じるのだ。映画やアニメやゲームの画面で、あまりにもここの光景を見過ぎたせいなのだろうか。アバターしかいない世界に、一人だけ生身でログインしてしまった気分で、無意味に心細くなってくる。
実は自分はいつの間にかVRゴーグルを被せられていて、それを外したら、ただ真っ白な空間にぽつんと独りで立っているんじゃないかーー。
信号が変わった。嬉し気に自撮りをする何組もの外国人観光客とすれ違いながら交差点を渡り、公園通りのほうへ続く緩やかな坂道を上る。孤独感は、夢から覚める時のように薄れていく。横の車道を、ゲームキャラの着ぐるみに身を包んだ人たちが乗った観光カートの車列が、歓声とともに走り抜けていった。イタリア語っぽく聞こえたが、違うかもしれない。
建ち並ぶ、コンビニやラーメンの有名チェーンなどが1階に入ったテナントビルの前を通り過ぎ、4ヵ月に一度の「定例会談」会場であるカラオケBOXの前に着く。珍しく自分のほうが先か…と来た道を振り返った時、再従姉妹の丹生 藍が小走りでやってくるのが見えた。
彼女が超難関の名門私立女子高「楡女子学院」に合格後、直接会うのは初めてだ。濃紫色のクラシカルなブレザー姿は、渋谷だとかえって目立つ。
鏡太郎が手を振ると、藍は気づいてピッチを上げた。スムーズに通行人を避けながら、鏡太郎の前まで一気に走ってくる。
「ごめん、待たせてしまった! お正月ぶりだよね」
息が乱れていないのは、さすが目黒の本家の跡取りである。
「待ってない、全っ然待ってない。おれも今来たとこだから」
「あ、襟章変わってるー。高等部はまたブドウの種からなんだね?」
「そ。色がゴールドになるだけ。しかし凄ぇよ藍ちゃん、ニレジョ合格っちゃうんだから…。制服かっこいいじゃん。下、ズボンもあるんだ」
「ありがと。とにかく入ろ。ノド渇いちゃった」
このカラオケBOXは、アラビアンナイトがコンセプトだ。ランプの魔神らしき木像が満面の笑みで出迎える入り口をくぐり、クジャクの羽みたいな模様のペルシャ風絨毯(たぶん本物ではない)が敷かれた床を踏んで受付に向かう。
店員はターバンっぽい帽子を被っている。いつもどおり2時間で部屋を取った。午後6時まで、30分330円の平日割引料金なのが高校生にはありがたい。
扉に砂漠の宮殿の画像がプリントしてあるエレベーターで7階まで上がり、2〜3人用の部屋に入る。アラビア趣味は個々の部屋までは行き届いておらず、中は毎回拍子抜けするほどごく普通のカラオケルームだ。モニターの画面には「平日女子会大歓迎キャンペーン」の告知映像が流れていた。
「…どうする、またハニートースト行く?」
鏡太郎は、タブレットのフードメニューを見ながら尋ねた。
「行く行く。お互い進学祝いってことで、プレーンじゃなくてバナナチョコに踏み出さない?」
にこにこしながら藍が答えた。
垂れ気味の目に、両頬が少しぷくっと膨らんだいわゆるタヌキ系の顔立ち。小柄なため、ブレザーは萌え袖気味になっている。今日は髪を両サイドでお団子に結んでおり、少し滑舌のよくないしゃべり方も相まって、同い年なのにいつも以上に年下っぽい。
だがおっとり系文学少女に見えて、藍の第一志望は京大の薬学部だ。単に勉強ができるだけでなく頭の回転が高速で、鋭利な洞察力の持ち主でもある。鏡太郎は、トランプや人狼ゲームでこの再従姉妹に勝てた覚えがなかった。のんびりした口調のまま毒舌も言うし、もし共学に通っていたら、このギャップには特に成績上位組の上級生とかが殺られてたんじゃないか。
アイス緑茶とアイスジャスミン茶、そしてバナナチョコハニートーストの注文を鏡太郎が送信し終えると、藍はリュックをちょこんと膝に乗せ、ジッパーを開いた。
「…ダンナダンナ、ついにブツが手に入りやしたぜ」
悪そうな微笑みを浮かべ、ちょいちょい、と鏡太郎の顔に向けて手招きをする。
「え。何よ?」
藍はリュックからベビーパウダーの缶を取り出した。もったいぶって蓋を開く。
親指の先ほどの大きさの、オフホワイトの楕円球がたくさん入っていた。表面はわずかに毛羽だっている。
「…あの…もしかこれーーつまりその、例の…」
藍が大きく頷いた。
「かしこくも『夏梅』ちゃん現物でございますことよ。16歳になったから持ち歩いていいんだって」
「マジに、実在ったんだ…」
〈続きます〉




