第三話 後宮の風景(下)
突然割り込んだ人物に、当然周囲の注目は集まってしまう。
あまり好ましい状況ではないと思いつつも、冤罪が生まれる場面を見たくないと思えば、この状況は仕方がないと紹藍は心の中で溜息をついた。
「なによ、あなたは……」
「まぁまぁ、焼け石に水かもしれませんが、まずはこちらで髪やお顔を拭いてくださいませ」
そうして紹藍は自室に好きに使っても構わない備品として置かれていた手巾を侍女に差し出した。
備品というわりに高価そうで、手触りもよいと思っていたのだが、侍女も同じように感じたらしい。
「そ、そうね。ありがたく使わせてもらうわ」
「どうぞ」
「見慣れない顔だけれど、あなたもどちらかの侍女かしら? ならば、その泥棒には気をつけないといけませんわよ」
「左様ですか。ところでお聞きしたいのですが、池というのはこの先にある、亀が住み、柳があり、水榭がある場所でしょうか?」
「え、ええ。後宮で唯一菖蒲のない池よ」
「でしたら、妙な話ですね。あの池は藻だらけで底が見えないので簪など池の外からでは見つけられませんよ」
「え?」
「しかも衣服の濡れ方も、まるで井戸の水のように綺麗に濡れていらっしゃいますよね。着替えていらっしゃるならここまで濡れることもありませんでしょうし。けれど藻が見当たらないのは何とも」
そんな紹藍の指摘に侍女は顔を赤くした。
「何を適当なことを…!! 名と立場を答えなさい!」
先ほどの親身な雰囲気を演出していたのが嘘のように、侍女は叫ぶ。
「蜻蛉省の官吏、鴻 紹藍と申します」
名乗らざるを得ない状況なので仕方なく答えれば、周囲の空気と侍女の顔色が変わった。
(皇帝直属と江遵様が前仰っていたことが影響していそうね)
会ったこともない皇帝にこの状況を説明などしようがないのだが、そんなことは分からないのだろう。
「……とにかく、双方の言い分は食い違い、証拠も確たるものがあるわけではない。よって双方の話を然るべき者が聞く必要がありましょう。緑妃様、いかが思われますか」
「異論はないわ。私も桂樹に状況を説明すると言われましたが、何の確信も得られない状況だもの」
この場で誰よりも発言力のある緑妃の、躊躇いのない肯定は紹藍には少し意外だった。
(もしかすると、私が割り入ってなくてもいずれ止めてくださるつもりだったのかしら?)
そうであれば一歩引いた様子で見ていたことの辻褄が合う。
ただ、場所が場所だ。
本当に場に合わせた振る舞いが得意で、同罪になることを避けるためなのかもしれない。
ただ、いずれにしても緑妃すら味方にならないこの状況に焦ったのは桂樹と呼ばれた侍女だった。
「お、お待ちを。そこまで大事にすることは……」
「緑妃様の私物を盗難した者がいるやもしれぬ状況で、そのようなことを仰りますか?」
「確かに大事ですが、私の勘違いという可能性もありますし。どのようなご用件でこちらにいらしているのかは存じ上げませんが、あなた様の仕事ではないでしょうし……。むしろ、今も足止めをしてしまい、お詫び申し上げます」
「謝る相手も、その理由もそうではないと私は思いますけれど」
あくまで自分の嘘を申し出ないつもりらしい桂樹に、紹藍は溜息をついた。
「そもそも緑妃様が同意くださっていることです。今後の処分は後宮の基準に則り行われることでしょう。そこに私の関与はございませんので、ご心配なく」
そう言い切った時、桂樹の顔から血の気が引いた。
同時に、緑妃の視線は鋭くなる。
「桂樹。私はこのような騒ぎを起こす輩を侍女として必要としていないわ。確たる証拠もなく騒ぐ者はこの場で解雇とします」
「そ、そんな」
「庇ってもらえるなどと期待はしないことです」
そういうと、緑妃は紹藍に振り返ることなくその場を後にした。
すると周囲は好き放題にコソコソと話を始めた。
「切り捨てになられたわ」
「あの侍女が緑妃様の装飾品を盗んで騒ぎを起こしたなら当然よ。株を上げたかったのかしら」
「でも、もしかしたら緑妃様も共犯だったのかもしれないわ。ほら、黒妃様の株を下げるために。ただ、あの侍女が失敗したからっていう可能性も……」
確かにそれらはいずれも可能性はゼロではないことだろうとは紹藍も思う。
(でも、緑妃の目は本気で軽蔑をしていた)
あれが演技であれば大したものだろう。
紹藍は周囲を見回し、適当に目があった者に誰か取り調べられるものを呼んできてほしいと頼んだ。
自分ではどこにいるかわからないが、桂樹が逃走しないように見張る意味でも離れられない。
(とはいえ、後宮から逃げるなんて不可能なんでしょうけれど)
実際、桂樹はすでに気力が失われているようにも見える。
そんな中で紹藍は明明に話しかけた。
「急に割り込んで申し訳ありませんでした。勝手に対応を決めさせていただいておりますが、よろしいですか?」
「は……はい! いえ、むしろ、本当にありがとうございます!!」
急に目覚めたように驚いた様子の明明に、紹藍もほっと笑った。
一応庇ったつもりではあるが、本人に嫌な思いをさせていたら意味がない。
「黒妃様は本当に素敵な方なんです。絶対に嫌がらせなんてなさらない」
「ええ、そうでしょうね」
「ご存知なのですか?」
「ご本人にお会いしたことはありませんが、池のほとりを歩くあなたが楽しそうでしたので、素敵な方にお仕えされているのだろうと思っていましたから」
そんな紹藍の返答に明明は一度目を見開き、それからにこりと笑い返した。
「黒妃様がお待ちなのでしょう。後からあなたにも状況を尋ねる訪問があるかもしれませんが、一度お戻りになってはいかがでしょうか」
「そうさせていただきます。ありがとうございます」
そうして紹藍は明明と別れた。
その後はやってきた女官に説明をし、その後呼ばれた宦官に桂樹は連れて行かれていた。その時には落ち込むどころか開き直ったように紹藍に対し怒りをあらわにしていたが、紹藍自体はそのような逆恨みなどまったく気にならなかった。
(でも、やっぱり後宮には難しい人間関係がありそうね)
そんなことを思いながら戻った紹藍の元に、翌日一通の手紙が届いた。
「お茶会に招待したいって……」
手紙を持ったまま紹藍は頭を抱えたくなった。
その招待者の名前には黒妃 環玉蘭との署名があった。




