第四話 黒妃の願いと画家の信念(上)
紹藍にとって黒妃に誘われたこと自体は問題ではない。
明明の様子から、少なくとも悪いことで呼び出される可能性は考えられないからだ。
ただ、人生において茶会など経験がない。
作法がわからないと江遵に泣きついてみたが、江遵も女性同士の、かつ後宮内の茶会のしきたりなど知らないとあっさり言った。
言われてから『それはそうでしょうね』と思ったものの、こんなことになっている原因の江遵に飄々と言われては少々恨み節が出ても仕方がない。
だが断ることもできず、腹を括って紹藍は翌日指定された、昼より少し前に玉蘭のもとを訪ね、理解した。
仮に紹藍が一般的な茶会に関する知識を持っていたとしても玉蘭の茶会には対応できなかっただろうと、と。
なぜなら、招待された先には茶ではなく多数の酒が並べられていた。
「よく来てくれたね。固い話をするつもりはなく、礼がしたくてね」
「お礼を仰っていただくようなことは何もしておりませんが、ご招待は嬉しく思います」
そう返答しながらも、玉蘭の大胆さには驚かずにはいられない。
黒妃はその名がよく似合う、癖のない美しい黒髪の持ち主だった。
ただ妃らしくないといえば、その通りでもある。
黒妃は化粧気がまるでない。
程よく日に当たっているのだろう肌は健康的だが、白粉や紅など化粧が施されている雰囲気はない。個人的には仲間意識が芽生えそうになるが、上級階級の娘としては異端であるだろうとも思う。
「さて早速だが、あなたは飲めるほうかな?」
「ほどほどには。けれど勤務中ですので、のちの業務に支障が出ないようにはと考えております」
「ああ、あなたは怠けそうにない雰囲気があるものね。なら、酒はあとで手土産に持って帰ってくれ」
そういう言葉遣いからも、やはり玉蘭は珍しい部類なのだろうと紹藍は思った。
「あなたは、私がここに呼んだ理由は明明のことが理由だと思っているだろう?」
「はい、そのご縁でかと」
「ならば遠慮せず、茶菓子もつまみも食べてほしい。茶もすぐに手配しよう」
そうして玉蘭はすぐに自然で少し離れた場所に待機している侍女を呼んだ。
やってきたのは明明で、用事を言いつけられると花が咲いたように喜び走ってゆく。
「可愛いだろう?」
「はい。黒妃様のことをよく慕ってらっしゃることがすぐにわかります」
「はは、それはありがたい。ところで、少し話は戻るが……今日、あなたを呼んだのは明明の件に対する礼と、同じくらい重要で大切な頼み事があるんだ」
頼み事、と言われて紹藍は思わず首を傾げた。
「できることならご協力させて頂きますが、私はあまり仕事の権限はございませんのでご期待に添えるとは限らないのですが……」
「なに、難しいことではない。もうじき私を描くことにもなると思うが、どうか眼前の宮廷画家殿には私を適当に書いて欲しい、と願いたいんだ」
「はい……?」
思いがけない依頼に紹藍は首を傾げた。
「適当とは、適切にとの意味で間違いございませんでしょうか?」
「いや、手を抜いてもらいたいという意味だ」
紹藍はますます意味がわからなくなった。
四色夫人ながら皇帝に会う気がないというのだろうか?
(後宮で生きるなら、地位を固めることが必要ではないの?)
あえて皇帝と距離を置きたいと言っている理由を聞いても良いものかどうかもわからず、紹藍は返答に困った。
すると、玉蘭はなんでもないかのように、そして見透かしたかのように笑った。
「まず一つ、現状でもそこそこな嫌がらせを受けている。陛下とお会いすることになれば、嫌がらせは悪化するだろう。それでは周囲が気の毒だ」
「それは……」
昨日のようなことの話だろう。
少なくとも侍女の桂樹は黒妃を陥れるため、明明に罪を被せようとしていた。
黒妃の口ぶりからは今回が初めてではないようにも思える。
「そして第二に、そもそも私は本来後宮入りする予定がなかった」
「そ、そうなのですか?」
「逆にこの性格で、後宮に入れるよう教育されたようには見えないだろう?」
少し冗談めかしに言う黒妃に内心同意しつつ、実際には返答に困りながら紹藍は曖昧に笑った。
「本当は姉が後宮入りする予定だったんだが、あまりに自己中心的な性格が矯正不可だったため、急遽代理で来ることになってね」
「それは……」
気の毒です、と言っていいものかどうか、やはり紹藍にはわからない。
「まぁ、皇帝の機嫌を損ね一族を滅ぼしては本末転倒だという父の判断だよ。けれど、姉の後宮入りの夢を叶えてやりたかった母から嫌がらせを受け、侍女がほとんどいない状況だ。苦労をかけてる皆に、これ以上の苦労を重ねてかけたくない」
こうして当たり前のように仕える者を思いやれるからこそ、明明のように誠心誠意仕えたいと思う者が出てくるのだろう。
「ああ、でも勘違いはしないでほしい。私自身は帝に忠誠を誓い、敬愛の念は抱いているよ。私はここにくる前は官吏として、今の陛下が皇太子でいらっしゃった頃から仕えたいと考えていた」
「そうなのですか!?」
「ああ」
そうであれば、玉蘭は大変な勉強家なのだろう。目指せるだけの能力がなければ、家族も勉学を行うだけの環境を整えることもないだろう。女性官吏の少なさだけを切り取っても、反対するだけの理由になる。
「だから私は陛下が後宮を訪ねるより優先すべき政務があるとお考えであればそれを優先して欲しいと思う。妃は政務の邪魔をすべきではない。それに、私は皇后に必要な資質を持っていないため、時間の浪費にしかならないだろうしね」
「資質ですか?」
「舞や歌など女性的なものは何一つ基礎もない。後宮を束ねる立場にある者が、それらを持ち得ないなどありえないだろう?」
「……申し訳ございません、お答え致しかねます」
「まぁ、答えようがない質問だったね。ああ、この話は蜻蛉省の上官にしてくれて構わない。貴女は隠し事は苦手そうだから」
そう悪意なく正直に言われ、紹藍は愛想笑いを返した。
玉蘭は悪い人ではないと思う。
だが……。
(これは、厄介なお話だわ)
紹藍はそう思わずにはいられず、振る舞われた菓子の味を楽しむ状況ではいられなかった。




