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拾肆:欣喜雀躍には未だ時早し

「ひっさしぶりー凛子!」


 メイは久々の凛子との邂逅に、満面の笑みを浮かべた。サラサラの黒く長い髪の毛が妖艶に流れる。

 メイは夏休みが凛子よりも長かったため、休みが明けてから会うのはこれが初なのである。


如月(きさらぎ)先生……、いやメイ様とでも呼ばせてくださいませ。ありがとうございました」


 凛子は慇懃無礼に取られてもおかしくないような仰々しい様子で、メイを迎えた。

 テーブルに手をつくと、深々と頭を下げる。


「あ、これ、つまらぬものですが……」


 そう言うと、大量のもみじ饅頭をメイに差し出した。


「凛子の当直バイトがもみじ饅頭に……。ありがたくいただくわ」


 メイは切なそうに淡い桃色の唇に指を当てると、凛子の広島旅行のお土産を受け取った。


「ってことは、彼の症状、結構寛解したの?」


 凛子はコクコクと頷いた。


「持続エクスポージャー療法ってやつ、メイちゃんの共有してくれたノートに載ってた心理療法ね。あ、真人さんって言うんだけど!  真人さん、色々とトラウマについて話してくれてから、かなり良くなった気がする」


「持続エクスポージャー療法、PEって私たちは呼んでるんだけど……。このPEにおいていっちばん関門なのが、患者さんがトラウマを話せる相手がちゃんといるかってことなのよね」


 メイは、意味深な視線を凛子に送って続ける。その表情は、まるで魔女のように艶麗である。


「真人さんがあなたにだけなら、自分の辛かったことを話すことができたってことなのよ。凛子」


 凛子は、パッと生き生きとした表情になる。


「やっぱりそうよね!? 真人さんてさ、単刀直入に言って私のこと好きだよね?」


 あの晩のことを凛子は想い出す。真人は今まで見たことが無いような表情で、凛子に自分の全てを受け入れてほしいと助けを請うた、あの瞬間を。


「今更……?」


 メイは、肩透かしを食らったようなリアクションを取る。


「旅行に行ったときにキスされそうになった」


凛子の言葉に、「え?」と驚く。


「まだその段階なの?」


 メイは眉を顰め、ぱっちり二重の大きな瞳を限りなく細めて言った。この表情に、凛子は侮蔑に近いものを感じ、慌てて凛子は続ける。


「ち、違うの! この超絶な懐疑心には訳があるから聞いて。あのね、全くと言っていいほど、なーんにもされないの。もう一ヶ月以上一緒に寝てるのにだよ!? 」


 興奮しすぎて素っ頓狂な声が出る。自分の声に驚いた凛子は周りを見回すと、慌てて口を手で押さえる。

 メイは黙って凛子の話を聞くと、じーっと一点を見つめる。

 それが自分の胸だと気付くと、「た、確かにそれっぽいこと言われたかも」と付け加える。


「まあそれは冗談として、原因を知りたいわね」


「でしょ? 私、今朝方ちょっと気になることもあったから、確かめてみるわ」


 凛子は、ふんふんと息を荒げて勢い込んだのだった。











 凛子はマンションに併設された駐車場から出てくると、エントランスに向かう。そこで、エントランス前に真人の姿が見え、思わずギョッとする。


「ずっと待ってたんですか! ? そんなことしなくても大丈夫なのに……」


「なんか変わったことはあったか」


「ないですよ」


 これがその、気になることの一つ目である。

 今朝方、開口一番、外出するときは送り迎えするというのだ。しかし、大学院やその他に出稼ぎしている医局へは基本的に車で移動しているし、その近辺は真夜中でも人通りや街灯も多いため丁重にお断りした。

 なぜ? と問えば、運動不足で眠れないからだ、というもっともらしい答えが返ってきた。

 そして、気になる事の二つ目は、シャツの飛沫血痕、そして最後に、首筋と二の腕外側の小さな痣である。打撲痕にも見えるし、やけど痕にも見える傷である。寝る前までは絶対になかった、と凛子は確信できる。しかし、微々たる変化なため、だからどうなんだ、と言われると何も言い返せない。

 何かある、と勘繰った。

 だが、今夜すべての疑問、メイと話したことを含めて明らかにしてやる、と凛子は燃えていた。











「なんだよ」


 そして、機会は巡ってきた。

 凛子は半ば強引に真人を引っ張ってベッドに座らせる。


「今日からここで寝ていいのか?」


「そうです」


(……そうだけど、そうじゃないです!)


 凛子は自分の要領の悪さに、思わず心の中で突っ込みを入れる。


「あの、ちょっと気になることがありまして……」


「なんだよ」


「ちょっと失礼します」


 凛子は畏まってペコっと頭を下げると、真人の横に座る。すると、大胆不敵にも真人の衣服に手を掛け、捲ろうとした。


「おい、何やってんだ!」


 真人が目に見えて狼狽えていることが伺える。未だかつてこんな表情をしたことがあっただろうか、と凛子は、思わず笑い出しそうになる。しかし、ここで引き下がるわけには行かない、とばかりに組みついた手を離さない。

 当然、そのあとは揉み合いになった。


「リン!! 落ち着け!!」


 しばらく掴み合いになったが、遂には真人は凛子をベッドに抑えつけてしまった。そして、「どーしちまったんだ」と呟く。

 凛子は、本気で心配している彼の表情に心がキュッとなる。


「それは真人さんの方です……」


 蚊の鳴くような声で言うと、凛子は自分の首を指差すと「ここ、どうしたんですか?」と、核心に触れた。


「それに、朝から変なこと言うし、シャツに血がついてるし……。でも何も言ってくれないし」


 早口に疑問を並べると、頬を膨らます。


「そういうことかよ……」


 真人は凛子の言葉に眉を下げると、優しく笑った。真人の初めて見る表情が多すぎて、鼓動が忙しいなと凛子は思った。


「悪かったな、お前を見くびってたかも知れねえ」


 真人はパッと手を離す。すると自ら服を捲り、鳩尾あたりを見せる。


「首のほかにもここにも当てられた。それと腕」


 凛子は顔を近づけてまじまじと見つめる。しかし、この辺りはかなり古傷が多く、痕は分からない。


「昨日何があったんですか?」


「知り合いに会った。兵学校時代の後輩だ」


 その言葉を聞いて、凛子は滝水を頭から被ったかのような衝撃を受けた。

 

「寮生活で同じ部屋だっただけだ。大した会話をした覚えもねえのに馴れ合おうとしてきやがった。関わりたくなかったから半殺しにして来たってわけだ」


「なるほど……」


 余りの情報量の多さに、凛子は頭の回転が追い付かない。聞きたいことは山ほどあったが、何から聞いたらいいかすらわからない状態である。


「それで、バチバチと音が鳴る小さい武器を当てられた。大きさは手に収まるくらい。電撃が走るような痛みだったぜ」


「スタンガンですね、それは」


 凛子は真人の簡潔明瞭な状況説明と、薄っすらと赤い線が残る痕ですぐに閃いた。

 

「殺傷能力はほとんどないんですけど、痛そうです……」


 まさに青天の霹靂状態で、月並みの感想しか出てこない。


「別にどうってことねーよ。俺も相当痛めつけたから、あいつも二度と来ないはずだ。だから急ぎで言う必要はないと思った」


「なるほど。昨日会ったことは、それで全部ですか?」


 凛子は質問攻めにしたいのを抑えて首を傾げるのに対し、真人は、「そうだ」と答えた。彼の隻眼はまっすぐに凛子の瞳を捉えている。嘘偽りはないように見えた。

 しかし、真人の尻ポケットからほんの数ミリはみ出ている紙の切れ端を見逃さなかった。これも寝る前までは無かったものだった。


「わかりました。狡猾な方のようですし、何よりも真人さんとあんまり仲良くなさそうなので、その方に接触するのは控えましょう」


 凛子はきっぱりと言った。もちろん本心からである。好奇心は湧き出てきたが、それよりも真人の困らせたくない気持ちが強かった。


「そうだ。それに、どうやって俺の居場所を掴んだのかも気になる」


「確かに……」


 用意周到にスタンガンを持ち出したり、深夜に真人が一人の時を狙って接触してきたりするわけであるから。実に怜悧狡猾な軍人である。さらに、自分の知らないところで監視されているかもしれないと思うと、凛子は少し薄ら寒くなった。


「そんな顔すんな。俺が守る、だから大丈夫だ」


 曇った顔の凛子の頬に手を当てると、真人は笑った。

 その刹那だった。一瞬、時が止まったかのように体が何度も脈打った。

 かつてぼろ雑巾さながらの野犬だったこの男は、こんなに優しい顔をするのか? こんなに心強いのか? 凛子は村形真人と言う男を知っているようで、実は何も知らなかったのかもしれないと思った。

 沸々と煮えたぎる感情を凛子はもう抑えられなかった。

 凛子は真人の腰に両手を回すと、そのまま押し倒した。凛子はその隙に、尻ポケットに手を忍ばせて例の紙切れを抜き取った。そして、その仕草を掻き消すように唇を重ねる。

 真人が大きく目を見開き、あっけに取られている様子が手に取るようにわかる。


(ごめんなさい、真人さん! ほんっとうにごめんなさい!!)


 心の中で何度も謝りながら、凛子は再びキスをした。それと同時に、真人の頭上で握りしめていた紙切れをベッドの枠とマットレスの隙間に挟んで隠す。


「ご褒美ですよ、真人さん」


 凛子がそう言うや否や、真人の顔がぽうっと赤らびていく。


「リン……」


 絞り出すように名前を呼ぶと、左手でぎこちなく起き上がる。その姿が実に煽情的で、凛子は三度目のキスをする。そして、舌を絡めたその時だった。

 ハッと息をのむ声が聞こえ、凛子は突き飛ばされる。

 真人は「リン!」と叫ぶと、手で顔を覆う。


「何考えてんだよ! この馬鹿が!!」


 そして、ベッドから転がり出ると、仁王立ちになった。羞恥か憤慨か、あるいは両方かわからない。だが、真人は顔を真っ赤にして怒鳴ると、なんということか、部屋を出ようとするではないか。

 急に夢から現へ引き戻されて、凛子はあっけにとられる。

 「いずこへ?」と去る背に向かって間の抜けた声で尋ねると、真人は「トイレ!!」と低い声で咆えた。


(さっきの流れは完全にアレしかないでしょうに……!)


 処女の凛子でもわかる流れを完全に無視した真人の態度と、何よりも拒否されたことのショックと驚きでしばらく動けなかった。さらにトイレに行かれるという、屈辱的なオチ付きである。

 だがすぐに我に返ると、ベッドの隙間から紙を取り出すと、スマホで写真を撮る。何かを書きなぐったメモのようだ。後でゆっくり見よう、と凛子は再びベッドの隙間に隠した。

 最大のミッションをクリアし、ベッドに大の字になると、凛子は再び悲しくなった。どんな顔をして待てばいいかわからなかったため、凛子は枕に顔をうずめてふて寝していた。


「悪かった、言い過ぎた」


 真人が部屋に入って来る気配がすると、開口一番に謝罪した。


「別に、大丈夫です」


 凛子は壁に顔を向け、素っ気なく返事した。最悪に嫌な態度だ、と自覚していた。


「我慢の限界だった。お前もむやみやたら犯されたくねえなら、あんなことはもうやめてくれ」


(何ですと?)


 凛子はその言葉にくるっと寝返りを打つと、「いやです!」と元気よく答えた。


「リン、頼む」


 真人は必死の形相で懇願する。

 その様子に反し、凛子はすっかりご機嫌である。

 この男は凛子もすっかり忘れていたような、何か月も前の約束を何とも律義に守っていたのだ。ようやく、点と点が全て繋がった、というわけだ。

 さっきの不貞腐れた態度と一変し、満面の笑みを浮かべて真人をベッドに引きずり込む。

 我ながら恐ろしく大胆だ、と凛子は自分の知らなかった一面に驚く。だがそれほどに、惹かれていた。


「不束者ですが、私の初めてを貰ってください」


「本気で言ってんのか?」


 凛子が大きく頷くのを確認すると、真人は凛子を抱き寄せてキスをした。


「抜いてきちまった。悪いが、さっきのやつをもう一回頼む」


 決まりが悪そうに笑いながら真人が言う。


「真人さん、最低」


 凛子は大男を押し倒し、馬乗りになる。その拍子に、件のメモ用紙を再び元あったポケットに突っ込んだ。そしてくすくすと笑いながら口付けをしたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 感想連投失礼します! こういう展開、大好きです。 男女間(必ずしも男女とは限らないが)の恋愛と性は切り離せないものですしね。愛情の心情描写から、愛情の行動描写。 それを、卑猥なものでは…
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