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拾参:猫が熾をいらうよう(前篇)

 凛子たちは市内に戻ると、公園のベンチに腰掛けた。薄暗くなっていく広島の市街を眺めながら、落ち合う予定の兄たちを待つ。

 真人もその横にドカッと座ると、凛子のスマホを弄り始める。

 こうしてみると、誰も彼をあの日本史上最悪の野戦を経験した旧日本兵だとは思わないだろう。目に見える劇的な変化に思わずほくそ笑む。凛子はこの数か月、メイに聞いた心理療法を少しずつ日常会話や生活に織り交ぜて実行していたのである。

 中でも、持続エクスポージャー療法、つまり自分のトラウマ経験を話す、という治療法は効果てき面だったようだ。

 

「……んだよ、リン」


「え! 私またニヤけてました?」


 凛子はギョッとして両手で頬を挟む。


「あんま見んな。我慢できなくなんだろが」


 真人はスッと詰め寄ると、凄んだ。凛子はいつもの軽口を「またまたぁ――」と流そうとして口を噤んだ。

 真人の顔はいつものようには笑っていなかったからだ。

 ギュッと二人の顔が近くなる。顔の熱傷が隆起し、細かな古傷まで見える距離である。凛子はまじろぎもせずに真人の目を見つめた。


「目ぇ閉じろ、馬鹿」


 ぶっきらぼうに真人が言う。


(あ、この雰囲気知ってる……)


 凛子は目をそっと閉じると身を委ねる。もう拒む気はさらさらなかった。


 ブーッブーッ、ブーッブーッ……


 しかし、突然スマホのバイブレーションが鳴り、ビクッとして目を開けた。画面には【兄ちゃん】の文字。スマホを取ろうと伸ばした凛子の手を真人が握る。

 凛子は再び目を瞑った。

 真人の顔の熱が伝わってくるような、そんな距離感を感じる。唇を重ねる瞬間だった。


「お取込み中のところ、本当に申し訳ない!」


 ギャッと凛子は短く叫んで、思わず真人を突き飛ばした。七冶の声だった。

 真人はスッと離れると、舌打ちして項垂れた。ぎろりと睨んでいる様子が目に浮かぶ。


「ごめん!  でも、お兄さんがもう後ろに来てる」


 申し訳なさそうな気持ちがひしひしと伝わってくる。ふと七冶の背後に目をやると、裕翔がスマホを耳に当て、こちらを見ている姿が見えた。


(恋愛はタイミング、恋愛はタイミング、恋愛はタイミング……)


 心頭滅却すれば火もまた涼しの心持で、メイの言葉を心の中で反芻したのだった。


「で、千花さんには会えました!? 」


「会えた……。けど、ね?」


 七冶が苦虫を嚙み潰したような表情をし、あいまいに答えた。続けて、裕翔をチラッと見る。


「七冶さんが珍プレーを連発して多分バレた」


 裕翔は普通に会話に入ってきたので、先ほどの際どいシーンを見てはいなかったのだろう。凛子は七冶の“ファインプレー”に感謝した。


「まさかタイムスリップした父が会いに来た、なんて思いつきはしませんよ」


 凛子は笑って慰めた。しかし、この世界に来て即座に未来にやってきたと判断できる七冶の娘だから、ひょっとすると……とも凛子は思った。


「まあ、そうだよね。また来てねって言われちゃったし……あはは」


 そう嬉しそうに話す七冶は、父親の顔をしていた。


「で、七冶さんはまだこの期に及んでもなお、自分が死んだほうがよかった、とか思ってます?」


 裕翔は腕を組んで問いかけた。主治医さながらの貫禄である。

 七冶は大きく首を振った。


「幸せになる決心がついた! この世界でね」


 この言葉を聞いて凛子は素直に感謝した。七冶の妻である美代、そして娘の千花の存在に。自分の役目ではなかった、自分では成し得なかったことである。「よかったぁー」と小さく呟いて安堵したのだった。



 その夜、真人は久しく眠れぬ夜を過ごした。凛子が隣にいる夜を過ごし始めてひと月以上が経って、初めての事である。

 過ごしやすい秋の夜、それにも関わらず嫌な夜だ、真人はそう思った。

 そっと布団を抜け出すと、凛子の顔をちらりと見る。スヤスヤと穏やかな寝顔を此方に向けて寝ている。彼女のぷっくりとした頬に手を伸ばし、ハッとする。


「約束だっけかァ?」


 そう小さく呟いて、真人は伸ばした手を引っ込めた。


『眠れない夜には、規則正しい食生活と運動です!』


 ふと凛子の言葉を思い出す。

 彼女を起こさないように部屋を抜け出すと、いつもの公園に向かった。凛子の助言通り、少しばかり疲れるまで体を動かそうと云う訳だ。

 真人は三十分程トラックを走り終えると、息を整えた。じんわりと額に汗が滲む。疾走した直後であったが、真人はズッシリとベンチに腰を下ろした。


『長距離を走ってすぐ止まったらだめです! !』


 凛子の小喧しい囀り声が、今にも聞こえてきそうであった。

 何時からだろうか、いや、若しかしたら最初からだったかもしれない。真人は気付けば何時も凛子の事を考えていた。目が合った時に小さな口を逆への字にして笑う顔も、スマホやiPadを操作する際に顎の長さの横髪を耳に掛ける仕草も、柔らかくて丸みを帯びた零れ落ちそうな頬を真っ赤にした顔も……。


「何っつー顔してんすかぁ!?」


 その時、背後からプハッと息継ぎのような笑い声と共に素っ頓狂な声が降って来た。真人は振り返ると同時に、鳩尾に一発食らったような衝撃が全身を走った。


「めちゃくちゃ探しましたよ……、村形先輩」


 真人はその呼び方に目を丸くした。この神経を逆撫でする様な間延びした喋り方、よく骨身まで徹るような声を真人は知っている。だが、外見がまるで現代人だ。


「てめぇ、金剛(こんごう)士貴か? 江田島の」


「ご名答!!」


 士貴は芝居掛かった様子でサングラスを外すと、ニタニタと嗤った。

 真人はさも鬱陶しいとばかりに天を仰ぐと、「で、何の用だ」と言う。


「相も変わらず、冷たいっすねえ先輩は。あっちから来た者同士、交流しようって気ぃ――」


「そんな気無えよ。用が無いなら帰る」


 真人はぺらぺらと捲し立てる士貴を遮ると、立ち上がって帰路に向かう。いともあっけなく去る背に、士貴は「椿木凛子……」と呟く。

 その瞬間、真人の歩が止まった。


「……歳は二十五、東京慈恵会医科大学に通ってるんすね。住んでるところは東京都港区――」


 そこまで聞いて真人は振り返ると、士貴の胸倉を掴み、引き摺り倒した。


「殺すぞ」


 そう囁くと、鬼さえ失禁する様な形相で睨み付けた。

 だがその時、下腹部に激痛が走り、驚きで思わず手を離した。感電した、そう気付くまでに時間がかかった。怯んだ隙に、士貴はするりと拘束から抜け出ると、何事も無かったかのように立ち上がった。

 電撃による筋肉の収縮が収まり、立ち上がろうとする真人の首筋にもう一度バチバチッと電流が走る。今度は二秒、三秒……、と長い。歯を食い縛って痛みを堪えるが、余りの痛みに目の前が真っ白になる。まるで首筋に刃物が突き刺さったかのようだった。


「ところで先輩、右目と右腕ってどうしたんですかぁ?」


 士貴は、地面に突っ伏したまま動けないでいる真人の傍らに膝を曲げ、腰を落とす。クククっと喉で嗤いながら、真人の顔を覗き込んで来た。


「……必要無えから、置いてきたんだよ!!」


 そう叫ぶと同時に、再び士貴に掴み掛った。案の定、バチバチッと青い光が士貴の右手から迸る。だが、真人は二度攻撃を受けて、その痛みの程度も原理も理解した。この体勢では次は腕に来る、と言う所まで予期していた。

 そして読み通りに士貴は、自分の首を掴んでいる真人の左腕に火花を当てがった。

 バチバチバチッと不気味な音がして、鋭い刺すような痛みが二の腕から肩、指先まで広がって行く。次に筋肉の硬直が起こる、だからどうするか、痛みで冴え渡った頭をフル回転させる。そして、この硬直に合わせて、真人はギュッと腕に力を込めてさらに筋肉を収縮させたのだ。

 離れないどころか、電流を流す度に強く首が締まる為、士貴が焦っている様子を感じ取る。

 真人はそのまま、士貴を地面に勢いよく叩きつけた。その衝撃で右手がフリーになる。あっけに取られている士貴の右手を蹴り上げて、丸腰にさせた。

 馬乗りになると首を締め上げる。ぜえぜえと苦しそうに息をしながら、両腕で抵抗し、足をバタつかせる。

 無様な姿に真人は笑い掛ける。


「てめぇみたいなカス一人殺すのに、右目も右腕もいらねーんだよ」


「ば、バケモノ――」


 恐れと後悔の入り混じった情けない声で士貴が呟いた。真人は、嬉々として再起不能になるまで殴った。

 こんなに誰かを血祭りに上げることなんて、これから先はもうないかもしれない。そう思うと久しぶりの一方的な蹂躙に、喜びを抑えることが出来なかった。だが、殴りすぎて左手の拳が痛み出した。


(これ以上やったらリンの奴にバレるな)


 真人は立ち上がると、二度、三度、士貴の胴に蹴りを入れる。そして、士貴持っていた掌サイズの武器を踏み割った。


「あいつのお陰と言わざるを得んな。皮肉なこった」


 原型が留まらない位に腫れあがった士貴の顔を見ながら、真人は呟いた。



「利き腕が無い、右目がない、精神病を患っている。そうはいっても敵は容赦はしてくれない」


「何の話だ」


 もう半月以上の事に為るだろう。七冶がまだ凛子の家に居た時、“散歩”に連れ出されると人気の無い河川敷に連れて行かれた。


「取りなさい」


 七冶は軍刀を投げてよこした。


「へぇ」


「さすがに抜いちゃダメだよ。一本取ることができたら、僕は出て行ってあげるよ」


 真人は軍刀をぶんどると、刀を抜いて七冶に目掛けて飛び掛かった。半ば殺す気の攻撃であった。

 しかし、結果は惨敗。

 七冶は太刀筋を見切り、ひらりと躱すと真人の背中に膝蹴りを食らわした。真人は自分の加速と七冶の蹴りの衝撃で勢いよく地面に叩きつけられる。そして、左手を蹴り上げられ、軍刀を払われた。


「抜いちゃダメって言ったのに。全く、君ってやつは」


 そういうと、真人を見下ろしてカラカラと七冶は笑った。


「凛子ちゃんが気を遣う。シャワーを浴びて早く着替えなさい」


 泥まみれで家に連れて帰られると、七冶はピシャリと言い放った。

 喧嘩や白兵戦で負けたことのない真人にとって、屈辱的な初日だった。

 それから地獄のような鍛錬が続いた。

 最初は何度か発作の前兆を見せた真人だったが、凛子のよく行っていた呼吸法を思い出しながら克服していった。

 七冶は強かった。真人の喧嘩根性で身に着けた付け焼き刃のような腕っぷしと違い、七冶は武道を触ったことがあるような正統派を行く強さだった。

 さらに彼は、凛子にバレないような場所を攻撃する余裕があった。胴体を巧妙に狙い、顔面の攻撃を避けるのである。その七冶の配慮もあり、凛子は自分がいない間の“散歩”を称したこの蹂躙行為に最後まで気づいてはいなかっただろう。

 同時に、真人に負けず劣らずの残虐性を静かに内に秘めていた。

 真人の右側は完全に死角になっているが、よくそこを狙って攻撃してきた。さらに、一度深手を負わせた場所も躊躇なく執拗に狙ってきた。そのため、痛みがバレないように動く癖がついた。

 会話は皆無に等しく、黙々と体を動かす日々だった。



「トドメ、刺さないんすか」


「刺してほしいのか?」


 士貴は真人の答えに、フッと笑うと「随分と丸くなったっすね」と言う。


「俺も死ぬほどてめぇを殺したいさ。けどな、ここで生きていくためにはもう人は殺せねーんだよ」


「ふーん」


「もう行け」


 士貴は脇腹を抑えながらよろよろと立ち上がる。


「諦めませんよ。やっぱアンタはバケモンだ」


 そう言うと、去り際にくしゃくしゃになった紙切れを押し付けて来る。だが、真人はうんざりした様子で、紙切れの中身を見もせずに丸めると投げ捨てようとした。

 「待て」と士貴が制止した。


「話くらいは聞いて貰う。椿木凛子を守りたいなら尚更ね」


 凛子の名前を出した途端、真人の顔つきが変わる。紙切れを握りしめると、舌打ちをしてポケットに突っ込んだ。

 士貴はその様子を認めると、痛々しい顔でニヤリと笑ったのだった。

スタンガンで失神する描写って

ドラマや映画、漫画なんかでよく見かけますが

あれって本当に稀のようです。

何千件に一回あるかないかじゃないでしょうか。

(これは私調べ)


そもそもバチッとやっただけで

人が失神したり失禁したりするような武器は

かなり危険です。法に触れます。


なので、普通の人は何十秒、何分、あるいはずっと

電池が持つ限り当てられても

死なないようできているそうです。

日本のメーカーさんは特に間違っても死なないように

めちゃくちゃ研究しているようです。


スタンガンを自分に当てて

検証している勇敢なYouTuberの方がおられるので

参考にどーぞ。


https://youtu.be/ivtxemoTjcc


防犯のためにスタンガン持ちたいけど

相手を殺しちゃったらどうしよ

と悩んでいる方いらっしゃったら

と思い、あとがきに残させていただきます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] スタンガンに関する調べが甘かった! と、今回の話から学ばせていただきましたm(_ _)m パンフ的な資料までダウンロードしてみたんですが、甘かったですね。YouTubeも見ればよかった…
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