拾一:鶏犬も寧からず
二〇二二年八月某日、日は既に落ちかけているというのにミンミンゼミの鋭い声が木霊している。
東京都港区某所にある公園で、男はベンチに腰掛けて海風に当たりながら足を組んだ。
真っ赤な長髪をワックスでオールバックに固め、両耳と鼻にリングピアス、身に着けたサングラスはブラウンのレンズ加工が施してある。その風貌を羅列すると一見奇抜のように見えるが、余りに自然に、まるで路傍の石のように溶け込んでいた。
運河を挟んだ向かい側の人の流れを見つめながら、足を組みなおし、耳に当てたスマホを持ち帰る。
誰かと電話しているようだ。
『――、ということだ。頼んだよ』
「うぃ」
男は電話越しの声に短く返事すると、不敵な笑みを浮かべた。
それから運河を挟んで、向こう側を歩いているある男に目が釘付けになった。
「おいおいおい……」
痩身長躯の隻腕の男、短髪黒髪、地味な色のシャツ。風貌こそ、この男に対しては普通であるが、明らかに異彩を放っていた。
男は思わずベンチから立ち上がり、目で追う。
『どうした? 士貴。嬉しそうだな……』
「ククッ……」
士貴と呼ばれた男は、さぞ愉快そうに歯を剥き出しにして笑った。
『ま、あんまやり過ぎんなよ』
電話越しの声を聞き流すと、士貴は電話を切る。
その亭亭たる異色の男は、隣の華奢な女の頭に腕を乗せると体を逸らして大笑いした。続いて、女も肩を震わせて笑っている。
その姿を見て士貴は思わず女の方を見た。栗色のセミボブヘアスタイルに今風の吐いて捨てるほどいるような格好である。男がアクションを起こさなければ、連れだと思わずに見逃していただろう。
「そんな顔して嗤うんすね、村形先輩――」
士貴はそう呟くと、不気味に笑ったのだった。
☆
裕翔は苛立ちを抑えることが出来ず、不機嫌そうに体を揺らした。
原因は目下、一つ前の座席で時折上がる黄色い声音のせいである。妹、凛子の声だ。
今日は七冶の娘にライターを装い、会いに行くこと、そしてこれは七冶きってのお願いであったが原爆ドームに行ってみたいということで、一行は広島行きの新幹線に乗っているのだ。
「おい、何でコイツもいんだよ」
凛子と出会って開口一番、裕翔は真人を見て言った。長躯の男は、ちょうど彼女の頭をひじ掛けのようにして左手を置いている。
「にーちゃんこそ!」
凛子が小学生顔負けのぶーたれた顔で言うと、「ごめん、僕が頼んだ」とすまなさそうに七冶が横から言った。
久々の七冶の登場に、凛子はぱっと顔を明るくする。
「七冶さんめっちゃおしゃれ! 似合ってる!!」
まさに黄色い歓声でピーピーと騒いだ。
(それはそうだ、俺が監修した)
緩いパーマを外側にかけて、ワックスで自然にウェーブさせてある。さらに無精ひげはなくなり、サングラスが似合う。誰も一九〇〇年代生まれの男とは思うまい。
裕翔が悦に浸っていると、真人が凛子との間に割り込んでくる。そして、七冶の頭のてっぺんからつま先までわざとらしく目を通すと、「へえ」と唇を意味深に吊り上げた。
そのあとに右肩でグイっと凛子を後ろに押しやったの裕翔は見逃さなかった。
「妙だと思いません?」
新幹線内で裕翔は眉一つ動かさず、前方を見据えながら隣の七冶に話し掛けた。
「そうかな?」
七冶は窓際で、外を眺めながら面白おかしそうに笑った。
「そーっすよ。何なんすかあれは、距離間おかしいっしょ」
「年頃の男女が一つ屋根の下、しかも半年も。何もない方がおかしいんじゃないかい?」
七冶の冷静な尤もらしい返しに、裕翔はバッと飛び上がって彼の方を見た。そして、七冶のいたずら気な眼差しと目が合う。
何も答えずに前を向き直ると、凛子がうつらうつらと窓側に体を倒しているのが分かった。裕翔がほっと胸を撫で下ろすのもつかの間、真人は左腕で凛子に肩を回すと抱き寄せた。
さらに、後ろの裕翔に見えるように中指を立ててきたのである。
(こ、こいつ……! )
あまりの挑発的な態度に裕翔は顔色を変えて憤慨した。一方で七冶は口を押えて、クックッと喉を鳴らしてまで笑っているではないか。
裕翔は、絶対に凛子の前で一度は奴をしばき倒すと誓ったのだった。
「しっかしすんごいね、ここが地元なんて信じられないよ」
広島駅構内を歩きながら七冶がきょろきょろと周りを見渡した。それはそうだ、裕翔ですら小学校の時にきたときから随分風変わりしており、近代的なデザインに驚いた。
そんな七冶の姿を「あはは! かわいい!」などと叫びながら凛子がスマホで写真を撮っている。
(馬鹿か、おめーは)
「てか、七冶さん原爆ドーム見に行くってホントですか」
少年の様に目を輝かせて駅の外観を眺める七冶に向かって、凛子が及び腰で聞く。
七冶は力強く頷いた。
「僕の実家の方の家族は、多分その新爆弾で跡形もないと思う。生家も。どんな兵器で死んだのか見てみたい。それと、どれぐらい日本が米軍に後れを取っていたのかも気になるし――」
「くだらねえな。終わったことを今更憂えてどーすんだ? 俺は行かねえぜ」
真人は七冶の言葉を遮り、喀痰を吐くように言い捨てると、何ということか、スタスタと逆方向に歩き出すではないか。
「マジで集団行動できねえ頭イカれた奴だな!」
裕翔が捨て台詞を真人の背中に吐く。
「え!? ちょっとちょっと……」
凛子はまさかのギスギスした展開にプチパニックを起こしている。
困ったように愛想笑いを浮かべた七冶の顔と、去っていく真人の背中を交互に見つめながら狼狽えていた。
「リン、置いてくぞ」
「はーい!」
凛子はやがて真人から呼ばれると、「ごめんけど、にーちゃん、七冶さんのガイド頼むね」と言って後を追ってしまったのだった。
「心配かい?」
ソワソワしている裕翔に七冶が声を掛けた。
「そりゃそーっすよ。あいつは馬鹿だしボケッとしてるし。……てか今の見ました? 飼い主の背中を追う犬でしたよあれは。うちの妹は忠犬か!?」
「あはは。どこの時代も末っ子も手がかかるね」
「七冶さんも長男なんすか?」
「歳が離れた弟二人ね。でさ、うちんちは農家で朝すんごい早くから、家族総出で畑の手伝いをされるわけよ。当然、下の子たちは愚図るし、駄々捏ねるしで専ら弟たちの世話は僕がやってたから、すんごく手を焼いたさ。でもね家を出て久しぶりに実家に帰ったら逞しくなってたよ。近所や両親すらも舌を巻くほどにね。だからさ――」
七冶はそう言いかけると、意味有り気に裕翔の顔を覗き込むとにっこりとはにかむ。
「凛子ちゃんもきっとそうなんじゃないかなーって、思うよ。兄の知らないところで末っ子は成長してるってわけさ」
裕翔は、七冶の言わんとしていることを察し、押し黙った。
人見知りの凛子の手を引いて一緒に登校した彼女の小学校時代、咲良から凛子を虐めているクラスメイトがいると聞きしばき上げに行った彼女の中学校時代、凛子に寄ってくる男を品定めしていた彼女の高校時代、定期テストと国家試験の勉強を手伝ってあげていた彼女の大学時代……。まるで走馬灯のように思い出される。
そして今、裕翔は、真人の方へと去っていく彼女は、まるで妹が自分の手元から遠く遠く離れていくような、そんな感覚に陥っていったのだった。
そんな思案に暮れる裕翔をよそに、七冶は原爆ドームへ行く道中、ずっと楽しそうであった。
原爆ドームに向かう道中、七冶の生家があった地元を通って行ったのである。
当然跡形もないので、裕翔は凹むのではないかと心配していた。しかし、七冶は地元のかつての情景の欠片を見つけては目を細めて当時の思い出話をしてくれた。その様子に裕翔は安堵した。
みな、少しずつ前に進んでいるのかもしれない、ふとそう思ったのであった。
「すごい……!」
七冶は展示ケースに張り付きそうなほど近づき、絶句した。その真表には広島に落とされた新兵器爆弾のレプリカがある。
「リトルボーイと呼ばれた原子爆弾っすね。爆心地の温度は四千度程度、人間も建物も一瞬で“蒸発”する威力がありますね。放射能の威力もすごくて、未だに後遺症で苦しんでる被爆者とかいるっすよ」
「信じられないや……。こんな兵器が存在するなんて」
「そうっすね。余りの惨状に、オッペンハイマーやアインシュタインをはじめとする科学者はこの兵器を作ってしまった事を深く後悔してるって聞きましたよ。そして上空から眺めていた兵士たちも、とても恐ろしかったと証言していたそうです。その証拠に、この凄惨な兵器が使用された例は、ここ、日本だけっすよ」
なるほど、と七冶は真剣な面持ちで耳を傾ける。
「僕らは敵兵は血の通った人間だと思うな、と命令されていた。けれどそういう話を聞いて、そしてここでたくさんの異国の人たちを見て気付いたよ。彼らも同じ血の通った人間だったんだってね」
「勝っても負けても辛いのが戦争なんすね」
裕翔の言葉に七冶は何度も頷いた。
「でもさ、そんな爆弾を落とした人たちの子や孫が、今ではこうして普通に目にすることになるなんて、なんだか不思議な気分だよ」
外国人観光客らしきグループを遠目で追いながら七冶が言った。
「ま、一つ面白い話をすると、こういう兵器の原理も使い方次第なんすよ。俺は放射線科医なんすけどね、この技術で人助けするのが仕事です」
裕翔はそう言って少し笑うと、“リトルボーイ”を顎でしゃくったのだった。
人間も、その心も、そしてそれらが作った技術も、善悪は視点を少し変えるとガラリと変わる。そう、善と悪は表裏一体なのである。
出口まで歩くと、手前の方ですんすん、と誰かが鼻を啜る音がする。
「戦争、怖いよお……。やだよぅ……、痛いよぅ」
「怖いね。ダメだね、戦争は」
「みんな仲良くしないとだめだよね! 戦争は無くさないとだめだよね!」
小学校低学年ぐらいの女の子が泣いていたのである。クラスメイトらしき男の子と女の子が、その女の子を囲んで、口々に慰めたり、想いを言い合ったりしているのが聞こえてきた。
それを見た裕翔と七冶は顔を見合わせると、静かに微笑みあったのだった。




