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夫に「ただの主婦」と言われた私、実は誰かの人生を変えていた  作者: すみれ


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第76話 残っていた癖

翌朝。


いつものように朝食を作り、


夫を送り出す。


「行ってくる」


「いってらっしゃい」


玄関のドアが閉まる。


私は食器を片付け、


洗濯機を回した。


いつもと変わらない朝だった。


昨日の手帳のことも、


しばらく忘れていた。


洗濯物を干していると、


スマホが鳴った。


買い物の予定を確認して、


冷蔵庫の中を思い浮かべる。


卵が少ない。


牛乳もそろそろなくなる。


私は近所のスーパーへ向かった。


店内を歩いていると、


仕事帰りらしい女性が、


商品の前で迷っていた。


「こちらの方が安いですよ」


隣にいた店員が声を掛ける。


女性は二つの商品を見比べ、


少し困ったように笑った。


その様子を見て、


私は無意識に商品の表示を見た。


容量。


単価。


値引き後の金額。


頭の中で計算する。


こちらの方が少し安い。


その瞬間、


自分でもおかしくなった。


昔から、


こういう計算だけは早かった。


仕事をしていた頃もそうだった。


見積書を作る時、


数字を一つずつ確認していた。


間違いがないか。


相手にとって分かりやすいか。


そんなことを考えながら、


何度も資料を作り直した。


私はカゴを持ったまま、


少し立ち止まった。


どうして今、


そんなことを思い出したんだろう。


買い物を終えて家に戻る。


荷物を冷蔵庫にしまっていると、


奥から古いクリアファイルが出てきた。


使っていないものをまとめていたらしい。


何気なく開く。


中には、


昔のレシートや保証書。


その中に、


古いボールペンが一本入っていた。


黒い、


何の変哲もないボールペン。


私は手に取った。


キャップの部分に、


小さな傷がある。


見覚えがあった。


「これ……」


昔、


会社で使っていたものだ。


なぜ家にあるのかは分からない。


でも、


手に持つと妙に馴染んだ。


ペンを回す。


右手の指が、


自然に動いた。


考える前に、


いつもの癖でペンをくるりと回していた。


私は思わず笑った。


「まだ覚えてるんだ」


仕事のことは、


忘れていることがたくさんある。


人の名前も。


会社で何をしていたのかも。


細かいことになると、


思い出せないことの方が多い。


それなのに、


こんな小さな癖だけは残っている。


私はボールペンを机の上に置いた。


その横には、


昨日の箱がある。


しばらく迷ってから、


箱を開けた。


手帳を取り出す。


昨日のページを開く。


『忘れないこと』


その文字を見ても、


やっぱり何も思い出せない。


でも今日は、


少しだけ違って見えた。


忘れてしまったのではなく、


どこかに残っているのかもしれない。


私は手帳を閉じた。


そして、


古いボールペンをその上に置いた。


しばらく眺めてから、


箱には戻さなかった。

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