第75話 古い名刺
翌朝。
夫が出かけたあと、
私は棚の前に立った。
昨日の箱が気になっていた。
取り出して、
テーブルの上に置く。
蓋を開けると、
古い名刺が何枚も重なっていた。
一枚ずつ、
ゆっくり確認していく。
会社名。
名前。
役職。
見覚えのないものも多い。
その中に、
昨日見つけたものとは別の名刺があった。
手に取る。
名前を見た瞬間、
どこか引っかかった。
「……誰だっけ」
名刺を裏返す。
何も書いていない。
もう一度、
表を見る。
やっぱり思い出せない。
私はその名刺を横に置き、
手帳を開いた。
昨日のページ。
『忘れないこと』
その文字の下には、
小さな数字が書かれていた。
日付ではない。
電話番号のようにも見える。
私はスマホを取り出しかけて、
手を止めた。
何となく、
今は調べない方がいい気がした。
代わりに、
次のページをめくる。
そこには、
仕事の予定がびっしり書かれていた。
けれど、
その日の翌日は、
何も書かれていない。
その次の日も。
三日分だけ、
空白になっている。
私は眉を寄せた。
仕事をしていた頃の手帳なら、
こんなに続けて空いているのは珍しい。
ページをめくる。
四日目から、
また普通に予定が戻っている。
私は手帳を閉じた。
箱の中へ戻そうとして、
ふと、
昨日の名刺が目に入った。
一枚だけ、
表向きに置かれている。
さっき自分で置いたものだった。
私はそれを箱には戻さず、
手元に残した。
その時、
玄関のドアが開く音がした。
「ただいま」
夫が戻ってきた。
忘れ物でもしたのだろう。
私は慌てて箱を閉じる。
「どうしたの?」
「スマホ忘れた」
夫はテーブルの上を探し、
すぐに見つけた。
その時、
箱の横に置かれた名刺に目が止まった。
ほんの一瞬だった。
「それ……」
言いかけて、
夫は口を閉じた。
私は顔を上げる。
「何?」
「いや」
夫はスマホを手に取った。
「何でもない」
そう言って、
玄関へ戻っていく。
ドアが閉まる。
私はしばらく動かなかった。
そして、
もう一度その名刺を見る。
さっきまでとは違う。
なぜか、
夫もこの名前を知っているような気がした。




