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夫に「ただの主婦」と言われた私、実は誰かの人生を変えていた  作者: すみれ


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第59話 その資料

午後。


フロアは珍しく静かだった。


私は資料の修正を終え、


席を立った。


コピー機へ向かう途中、


会議室の前を通る。


ドアは半分開いていた。


中では若い社員が一人、


机に向かっていた。


昼間、


部長に注意されていた新人だった。


私はそのまま通り過ぎようとした。


だが、


ふと足が止まる。


机の上に置かれた資料が目に入った。


どこかで見たことがあった。


私は思わず振り返る。


表紙を見る。


古い社内資料だった。


今ではほとんど使われていない形式だ。


新人は真剣な顔でページをめくっている。


赤ペンで何かを書き込みながら。


私は何となく近づいた。


「残業?」


新人が驚いて顔を上げる。


「あ、お疲れ様です」


「まだ帰らないの?」


新人は照れくさそうに笑った。


「今日のミス、悔しくて」


私は思わず笑う。


その気持ちは分かる。


新人は机の資料を見る。


「これ読んでました」


私は視線を落とす。


古い資料だった。


ページの端は少し擦れている。


何度も読まれた跡があった。


「昔の資料ですよね」


新人が言う。


「そうみたいね」


私は答える。


すると新人がページをめくった。


そこに小さく書かれていた。


作成者。


私は目を止める。


自分の名前だった。


新人はまだ気づいていない。


「これ分かりやすいんです」


そう言って笑う。


「新人向けなのに全然難しくなくて」


私は何も言えなかった。


そんな資料を作ったことすら、


もう忘れていたからだ。


新人は続ける。


「正直、昼は落ち込んでたんですけど」


ページを閉じる。


「もう少し頑張ってみます」


私は軽く頷いた。


「そう」


それ以上は言わなかった。


新人も知らない。


その資料を作った本人が、


目の前にいることを。


会議室を出る。


廊下を歩く。


窓の外は少し暗くなり始めていた。


昔、


私はただ仕事をしていただけだった。


誰かのためとか、


そんな立派なことを考えていたわけじゃない。


でも、


あの資料を読んでいる人がいた。


今でも。


その事実が、


なぜだか少しだけ嬉しかった。


席へ戻ると、


佐伯が顔を上げる。


「まだいたんですか」


「佐伯こそ」


私が言うと、


佐伯は苦笑した。


そして机の上の封筒を指差す。


「それ、さっき届いてましたよ」


私は首をかしげる。


見覚えのない封筒だった。


差出人の名前を見る。


そこで手が止まる。


知らない名前だった。


だが、


封筒の隅にはこう書かれていた。


『十年前のお礼です』

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