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夫に「ただの主婦」と言われた私、実は誰かの人生を変えていた  作者: すみれ


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第53話 あと十分

午後四時過ぎ。


私は資料を閉じた。


予定していた作業がようやく終わる。


思ったより時間がかかった。


でも今日は順調だった。


少なくとも、


今のところは。


私は時計を見る。


四時十二分。


このままなら帰れる。


そう思った。


スマホを確認する。


夫からの返信は来ていない。


昼の『頑張る』に対して、


返ってきたのは一言だけだった。


『了解』


それだけ。


でも、


なぜか少し気になっていた。


「終わりました?」


佐伯が声をかけてくる。


「一応ね」


「じゃあ今日は早いですね」


私は笑う。


「そのつもり」


そう言った時だった。


内線が鳴る。


近くの席の社員が電話を取る。


しばらく話したあと、


こちらを振り向いた。


「すみません」


嫌な予感がした。


こういう予感は、


だいたい当たる。


「先方が今日中に確認したいそうです」


私は思わず時計を見る。


四時二十分。


今日中。


その言葉が重い。


資料は分厚くない。


内容も難しくない。


やろうと思えばできる。


一時間もかからないだろう。


でも、


それを始めれば帰宅は遅くなる。


私は椅子にもたれた。


以前なら迷わなかった。


引き受ける。


当たり前のように。


だけど今日は違う。


私は窓の外を見る。


少し傾き始めた夕日。


そして頭に浮かぶ。


昨夜の食卓。


夫の声。


『今日も早く帰れる?』


私は視線を戻した。


「どれくらい急ぎ?」


社員が答える。


「明日の朝では厳しいみたいです」


私は小さく息を吐く。


断れない。


そう判断した。


「分かった」


席に座り直す。


パソコンを開く。


佐伯が何か言いかけたが、


結局何も言わなかった。


時計の針が進む。


五時。


五時半。


六時。


フロアの人が少しずつ減っていく。


私は画面を見つめ続けた。


そして、


六時十分。


ようやく最後の確認を終える。


送信ボタンを押した瞬間、


肩の力が抜けた。


私はスマホを手に取る。


夫からメッセージが届いていた。


一通だけ。


『お疲れさま』


責める言葉はなかった。


帰宅時間を聞く言葉もない。


それなのに、


私はその画面をしばらく見つめていた。


あと十分。


本当は、


あと十分早く終わっていたら。


そんなことを考えている自分に、


少し驚いた。

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