第42話 帰るぞ
私は慌てて階段を下りた。
一段飛ばしで降りるなんて、
いつ以来だろう。
胸が嫌な音を立てている。
夫が記者と揉めている。
そんな姿、
想像もできなかった。
一階に着く。
ガラス扉の向こうに、
人だかりが見えた。
記者が数人。
受付の社員。
そして——
夫だった。
私は足を止める。
夫は怒鳴っていなかった。
ただ、
記者たちの前に立っていた。
「申し訳ありませんが、取材はお断りします」
記者が何か言う。
夫は同じことを繰り返した。
声は大きくない。
でも、
一歩も引かなかった。
その姿を見て、
胸の奥が少し痛くなる。
「……何やってるの」
思わず声が出た。
夫が振り向く。
私を見るなり、
少しだけ眉をひそめた。
「迎えに来た」
それだけだった。
記者たちが一斉にこちらを見る。
私は思わず身構える。
でも夫は私の前に立った。
「行こう」
短い一言。
私は何も言えなくなる。
結局、
そのまま会社を出た。
駅までの道。
二人ともほとんど話さなかった。
夕方の風が少し冷たい。
私は何度も口を開きかけて、
やめた。
何を言えばいいのか分からない。
やがて夫が先に口を開く。
「昼飯、食った?」
私は一瞬意味が分からなかった。
「え?」
「昼飯」
私は目を逸らす。
食べていない。
朝からコーヒーしか飲んでいなかった。
夫はため息をつく。
それ以上何も言わない。
駅前の信号が青になる。
並んで歩きながら、
私は小さく言った。
「……ごめん」
夫は前を向いたままだった。
「何が」
その一言に、
私は答えられない。
ニュースのことか。
記者のことか。
帰りが遅いことか。
全部なのか。
自分でも分からなかった。
しばらく歩いて、
夫がぽつりと言う。
「俺さ」
私は顔を上げる。
夫は少し笑った。
でも、
どこか寂しそうだった。
「最近、お前と話してない気がする」
私は立ち止まりそうになる。
夫はそのまま歩いていく。
私は何も返せなかった。
だって、
それは本当だったから。
家はもうすぐそこなのに、
急に帰るのが怖くなった。




