第35話 壊したのは
ドアが閉まったあとも、
私はしばらく動けなかった。
“あの人を壊したのは誰だったのか”
常務の言葉が頭から離れない。
会議室には妙な静けさが残っていた。
若手社員も、
部長も、
何を言えばいいのか分からない顔をしている。
「……どういう意味ですか」
佐伯がもう一度聞いた。
私は視線を落とす。
指先が少し冷えていた。
「別に、大した話じゃない」
そう言った瞬間、
佐伯が小さくため息をつく。
「またそれですか」
私は顔を上げる。
佐伯は珍しく苛立っていた。
「あなた、いつも肝心なところ隠しますよね」
空気が少し張る。
部長が気まずそうに席を外した。
会議室には、
私と佐伯だけが残る。
佐伯は机に手をついたまま、
低い声で言った。
「倒れる直前まで働かされてたって、本当ですか」
私は苦笑する。
“働かされてた”。
昔の私は、
そう言われるのが嫌だった。
全部、
自分で選んでやっていたと思っていたから。
「……違うよ」
小さく呟く。
「私が勝手にやってただけ」
でも佐伯は納得しなかった。
「じゃあ、なんで誰も止めなかったんですか」
その一言に、
私は言葉を失う。
昔の記憶が少しずつ浮かぶ。
終電後のオフィス。
積み上がる資料。
鳴り続ける着信。
「君しかいない」
「頼れるのは君だけだ」
何度も言われた。
期待されるのが、
怖いくらい嬉しかった。
だから、
止まれなかった。
「……あの頃は」
私はゆっくり口を開く。
「成果出せば、必要とされると思ってた」
佐伯は黙って聞いている。
「でも途中から、自分が何のために働いてるのか分からなくなった」
帰っても仕事。
休みの日も仕事。
食事中もメール。
気づけば、
夫とまともに話す時間も減っていた。
私は小さく息を吐く。
「それでも、誰も困ってないと思ってた」
その時だった。
会議室のドアが開く。
若手社員が慌てた顔で入ってきた。
「すみません!」
息を切らしている。
「フェリクス側から連絡です!」
私は顔を上げる。
社員は青ざめたまま言った。
「メインテナント、本当に撤退するかもしれません」
空気が変わった——
私はそこで思考を止める。
違う。
若手社員の声が震えていた。
手に持ったスマホを、
強く握りしめている。
佐伯がすぐ立ち上がった。
「理由は」
「SNSです」
社員が唇を乾かしながら答える。
「工事遅延の情報、もう外に漏れてます」
私は一気に血の気が引いた。
もし炎上すれば、
出店企業は一気に離れる。
そうなれば、
全部終わる。
その時、
スマホが震えた。
知らない番号。
私は嫌な予感を覚えながら通話を取る。
そして、
相手の声を聞いた瞬間、
全身が固まった。
『……久しぶりだな』
低い男の声。
昔、
私を最後まで働かせ続けた、
元上司だった。




