第27話 知らない人
「このままだと、また同じことになります」
会議室が静まり返る。
私は資料を机に置いた。
誰も口を開かない。
全員がこちらを見ている。
「問題は納期じゃありません」
私は淡々と言う。
「責任を取る人間が、ずっと曖昧なままなことです」
部長の表情が固くなる。
後輩たちも息を呑んでいた。
私は視線を落としながら、
一つずつ資料を整理していく。
どこで崩れたのか。
誰が判断を止めたのか。
何を優先すべきか。
全部、
自然に見えてしまう。
昔みたいに。
「今必要なのは、無難な返答じゃないです」
私は顔を上げた。
「“誰が最後まで責任を持つか”を、先方は見てます」
空気が重い。
誰も動けない。
その時だった。
会議室のドアが、
小さく開いた。
でも私は気づかない。
頭の中が、
完全に仕事へ切り替わっていた。
「ここで逃げたら、多分もう信頼は戻りません」
静かな声で言い切る。
すると、
部長が急に入口へ視線を向けた。
私はそこで初めて振り返る。
そして、
息が止まった。
夫だった。
ドアの前で、
静かに立っている。
手には、
私が家に忘れた社員証ケース。
届けに来てくれたんだ。
でも問題はそこじゃない。
夫は今、
見てしまっている。
家では見せない私を。
冷静に話して、
空気を支配して、
誰も口を挟めなくなっている私を。
私は立ち上がった。
「……ごめん」
自分でも、
何に謝っているのか分からなかった。
夫はすぐに首を振る。
「いや」
そう言ったあと、
少しだけ困ったように笑った。
でもその目は、
どこか戸惑っていた。
まるで、
知らない人を見ているみたいに。
後ろで後輩が小さく声を漏らす。
「え……旦那さん?」
別の社員がさらに小さく囁く。
「知らなかったのかな……」
私は胸が冷える。
やめて。
そう思った時には、
もう遅かった。
「……あの人、昔すごかったらしいですよ」
空気が止まる。
夫は何も言わない。
ただ静かに、
私を見ている。
後輩は声を潜めたまま続けた。
「前の会社で、“再建の女王”って呼ばれてたって……」
その瞬間、
会議室の空気が凍りつく。
私は言葉を失った。
夫に、
ちゃんと話したことはなかった。
昔の仕事のこと。
壊れたこと。
何を失って会社を辞めたのか。
全部、
終わった過去にしたかったから。
でも今、
その過去が、
少しずつ今の生活を壊し始めている。
夫はゆっくり社員証ケースを差し出した。
私は受け取る。
指先が少し震えていた。
夫は小さく笑おうとした。
でも、
うまく笑えていなかった。
「……仕事中、別人みたいなんだな」
胸が強く締めつけられる。
私は何か言おうとする。
でも言葉が出ない。
すると夫は、
静かな声で言った。
「……先、帰ってる」
そのまま、
振り返らずに歩いていく。
私は追いかけられなかった。
会議室には、
重い沈黙だけが残る。
そして後ろで、
佐伯が小さく呟く。
「だから言ったんです」
私はゆっくり目を閉じた。
——もう、
今までのままではいられなかった。




