第20話 普通ではいられない
「最初に壊れたのは、“信頼”です」
会議室が静まり返る。
私は自分の声なのに、
どこか遠くで聞いているみたいだった。
佐伯は黙ったまま私を見ている。
昔と同じ目だった。
——続きを言え。
そう無言で促す目。
私は小さく息を吐く。
「納期の遅れはきっかけです」
誰も口を挟まない。
「でも、本当に問題だったのはその後の対応」
私は資料を一枚めくる。
「説明が毎回違う」
「担当が変わるたびに話も変わる」
「それで、“この会社は責任から逃げてる”って思われた」
空気が重い。
部長の表情も固い。
でも私は止まれなかった。
「多分、先方は最初から怒ってたわけじゃないです」
「途中までは待ってた」
「でも、誰も本気で向き合わなかった」
言葉が落ちるたび、
会議室の空気が変わっていく。
昔みたいだった。
問題が見える。
原因が繋がる。
そして、
周囲が静かになっていく。
私はその感覚が怖かった。
「……どうすれば立て直せると思いますか」
部長が低く聞いた。
私は一瞬だけ黙る。
昔の私なら、
ここから全部仕切っていた。
でも今は違う。
そう思っていたのに。
「まず、謝罪の順番を変えるべきです」
気づけば口が動いていた。
「言い訳より先に、“軽く扱っていたように見えたこと”を認める」
佐伯が小さく頷く。
私は続けた。
「あと、担当を固定してください」
「この案件、途中で人が変わりすぎてます」
部長が真剣な顔でメモを取る。
後輩たちは完全に黙っていた。
誰かが小さく呟く。
「……すごい」
その瞬間、
胸の奥がざわつく。
違う。
そういう目で見ないでほしい。
私はもう、
昔の自分に戻りたくない。
その時だった。
「やっぱり」
佐伯が静かに言う。
私は顔を上げる。
「あなた、全然変わってない」
胸が強く揺れる。
会議室の空気が止まる。
私は反射的に視線を逸らした。
「……変わったよ」
小さく言う。
「今はもう、普通に暮らしたいだけだから」
すると佐伯は苦笑した。
でもその笑いは、
どこか寂しそうだった。
「普通の人は」
彼が静かに言う。
「五分でここまで見抜けませんよ」
言葉が刺さる。
私は返せなかった。
会議が終わったあと。
廊下に出ると、
後輩たちの視線が変わっていた。
驚き。
尊敬。
戸惑い。
——昔と同じ目。
私は急に息苦しくなる。
「すみません!」
後ろから後輩が追いかけてくる。
「本当に助かりました!」
私は曖昧に笑う。
その時、
スマホが震えた。
夫からだった。
『今日、早く帰れそう?』
その短い一文を見た瞬間、
胸の奥が痛くなる。
私はしばらく返信できなかった。
会社にいる時の私は、
どんどん昔に戻っていく。
でも家に帰れば、
夫は今まで通りの私を待っている。
——私は、
どっちなんだろう。
ふと顔を上げる。
ガラス越しに、
佐伯がこちらを見ていた。
まるで、
私の迷いまで全部見えているみたいに。




