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夫に「ただの主婦」と言われた私、実は誰かの人生を変えていた  作者: すみれ


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第16話 今日だけ


「今日だけです」


そう言った瞬間、


部長が小さく息を吐いた。


安心したような顔だった。


私は視線を落としたまま、


資料を開く。


本当に今日だけ。


ただ少し手伝うだけ。


そう自分に言い聞かせる。


「まず、このまま謝罪に行くのは危ないと思います」


会議室が静かになる。


私は資料の数字を指でなぞった。


「先方、怒ってるのは納期だけじゃないです」


部長が目を細める。


私は続けた。


「多分、“軽く扱われた”って感じてます」


空気が変わった。


誰も口を挟まない。


私は小さく息を飲む。


——まただ。


話し始めると、


自然に頭の中が整理される。


昔みたいに。


「今ここで数字だけ直しても、逆効果になると思います」


「先に担当を変えた方がいいです」


部長が真剣な顔になる。


私は資料を閉じかけた。


でも、


止まれなかった。


「あと……多分ですけど」


私は視線を落としたまま言う。


「先方、もう他社にも相談してます」


数秒。


静寂。


部長が低く聞いた。


「……なんで分かる?」


私は一瞬だけ後悔した。


こういうところだった。


昔から私は、


“空気を読みすぎる”と言われていた。


「……なんとなくです」


そう誤魔化す。


でも部長は何も言わなかった。


その目だけで、


もう普通のパートとして見ていないのが分かった。


会議が終わる。


廊下に出た瞬間、


後輩が小走りで追いかけてきた。


「すごかったです……!」


私は苦笑する。


「大げさだよ」


「でも部長、完全に頼ってましたよ!」


その言葉に、


胸が少し苦しくなる。


頼られる。


期待される。


昔、


壊れるほど欲しくなかったもの。


なのに今、


少しだけ嬉しいと思ってしまった。


その時。


スマホが震える。


夫からだった。


『今日は遅い?』


短いメッセージ。


私はしばらく画面を見つめる。


昔の私は、


仕事を理由に家を壊した。


だからもう、


同じことは繰り返したくなかった。


普通に生きたかった。


穏やかに暮らしたかった。


そのために、


今の生活を選んだはずなのに。


私はゆっくり返信を打つ。


『少しだけ遅くなるかも』


送信したあと、


胸の奥が少し痛む。


するとすぐ返信が来た。


『分かった。無理すんなよ』


いつもの優しい言葉。


でも最近、


その優しさが少し怖い。


私はスマホを閉じる。


その瞬間だった。


「……久しぶりですね」


背後から低い声。


私はゆっくり振り返る。


駅前で会った男だった。


スーツ姿のまま、


静かにこちらを見ている。


その顔を見た瞬間、


胸の奥が冷える。


昔、


私が会社を辞める直前まで、


何度もぶつかっていた相手。


そして——


私が一番、


会いたくなかった人だった。

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