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夫に「ただの主婦」と言われた私、実は誰かの人生を変えていた  作者: すみれ


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第12話 知られたくなかった名前


会議室の空気が止まっていた。


入ってきた若い社員は、


私の顔を見たまま動かない。


部長が怪訝そうに眉をひそめる。


「どうした?」


その声で、彼は我に返った。


「あ……すみません」


でも視線だけは、


まだ私から離れない。


私は胸の奥が冷たくなるのを感じていた。


——最悪。


ずっと避けてきた。


“過去を知る人間”だけには会いたくなかった。


「資料、置いておきます」


彼はぎこちなく封筒を置く。


その手が少し震えていた。


部長が不思議そうに聞く。


「知り合い?」


数秒。


沈黙。


私は先に口を開いた。


「違います」


できるだけ自然に。


でも——


彼の顔が明らかに揺れた。


その反応だけで、


部長も何かを察したらしい。


空気が変わる。


「……失礼しました」


若い社員は深く頭を下げ、


すぐ会議室を出ていった。


ドアが閉まる。


私は小さく息を吐いた。


部長がこちらを見る。


「今の、本当に知らないのか?」


「部署が違うので」


嘘だった。


完全な嘘。


でも、


本当のことなんて言えるわけがない。


あの頃の私は、


今とは別人だった。


結果だけを追い続けて、


周りも、自分も、


全部すり減らしていた。


誰かに期待されるほど、


苦しくなっていった。


だから私は、


全部やめた。


名前も。


働き方も。


生き方も。


「……まあいい」


部長はそれ以上聞かなかった。


その優しさが、


逆に少し苦しかった。


会議室を出たあと、


廊下の角で足を止める。


——いた。


さっきの若い社員。


壁の前で待っていた。


私に気づくと、


慌てて頭を下げる。


「すみません……!」


私は黙ったまま彼を見る。


彼は緊張した顔で続けた。


「まさか、本当にいるとは思わなくて……」


「……何の話?」


そう返すと、


彼は一瞬だけ困った顔をした。


でも、


次の言葉で、


私の時間が止まる。


「昔、“再建の女王”って呼ばれてましたよね」


胸の奥が強く揺れる。


その名前を、


もう何年も聞いていなかった。


呼ばれたくなかった。


忘れたかった。


なのに——


「僕、前の会社であなたの話を聞いてました」


彼の目は、


憧れを見る目だった。


昔、


何度も向けられた目。


私はゆっくり視線を落とす。


でも今の私は、


そんな人間じゃない。


もう違う。


そう思っていた。


すると彼が、


少し迷ったあと小さく言った。


「……でも、なんでここにいるんですか?」


その言葉が、


胸に刺さった。


私は答えられない。


答えなんて、


自分でも分からなかった。


ただ——


気づいてしまった。


私はまだ、


完全には終わっていなかった。

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