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君の瞳に恋してない  作者: バカノ餅
第五章『群青日和』
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わたし何処へやら(2)

「始めるぞ。」

「はい。」


 眩い光に思わず目を細める。

 その光を遮るように2人の男がボクを覗き込んでいた。


 また、場面が飛んだんだ。


 だとしたら……おかしい。

 場面が飛んだ時でも、話すことはできたし、動くこともできた。

 でも、今回のは違う……

 まるで、ボクの身体じゃないみたいだ……


「No.337。そろそろ慣れてきたか?」


 一人の男がボクをそう口にした。

 影がボクを照らす。

 いや、ボクじゃない……藍(・)く(・)ん(・)だ(・)。

 

 ……ボク、藍くんの身体の中にいるんだ。

 これも、この子の記憶なのだろう。


「……反応はなし…か。」


 男はクリップボードに何かをメモしていた。

 もう一人の男によって、口を開けられたり、目を広げられたりされる。

 まるで、医師が視診するような手つきだ。


「次。」

「はい。」


 短い会話。

 機械のように黙々と動く2人に気味の悪さを抱く。


 動けない。

 きっと縛られているんだろうけど、それ以前に藍くん(この身体)が動こうとしない。


「よし、異常はない。」


 2人の影がボクを照らす。

 互いは頷き、1人離れた。


 直後……


 痛みが走る。

 右腕からだった。

 そこから小さな圧迫感を覚える。


 ──注射だ。


「よし、次だ。」

 

 ベッドから解放され、身体が歩き出す。

 今にも倒れそうなそれは、出口らしき扉へと向かっていた。それ以外は何も見えない。

 扉の前には、顔の見えない黒服の男がいた。

 男はこっちを確認した後、半ば無理やりに手をつないで、ボクをここから連れ出す。

 

 ひんやりとした冷たい地面。

 不気味に光る照明。


 左右に扉が並ぶ廊下。

 静かな扉、悲鳴が漏れる扉。

 そこへ子供と大人が出入りする様子は、まるで工場のようだった。

 そこに笑顔なんてものは、一つもない。

 

 こんなの……酷すぎる……

 この子は、こんなところで生きてきたの……?


『藍を助けてほしい。』

 

 ボクはどうすればいいんだよ……

 ボクは……ボクは、ボクはボクはボクはボクは


 僕は


 

 ###


 

「っ!!」


 気づけば、ボクはベッドにいた。

 すぐさま起き上がり、周りを見渡す。

 

 ──あの牢獄だった。

 

 隣には、ミズさんが座っていた。

 顔をボクの方に向けている。


「ねぇ、大丈夫だったの……?」

「……うん。」


 ほそぼそとした声が聞こえる。

 それはミズさんの先にあった。

 あの2人が、机を挟んで食事を取っていた。

 ミズさんはボクが起きるまで、2人を見ていたんだ。


「……おかえり。」


 ミズさんは、哀しそうにボクを見る。

 さっきの出来事を知っているみたいに。


「……ごめんね。そこまで見せる気はなかったんだけど……あはは、記憶を体験させるなんてこと初めてだから……」


 言い訳だけど、とミズさんは呟いた。


 ……両腕を掴む。

 ボクを照らす2人の影。

 ボクを突き刺す小さな痛み。

 ボクの鼓膜を揺らす子供の悲鳴。

 今にも壊れてしまいそうになった心の声。

 

 あれは藍くんの追体験だ。

 身体は藍くんだった。

 その時の意識がボクに成り代わっただけのはずだ。


 なのに……


「っ……」


 ボクじゃないみたいで……


「……大丈夫?」

「あっ……」


 ミズさんがボクを見つめている。

 そっと頬をに触れて。

 

 不思議な感覚だった。

 触れられているって感じるのに、柔らかさや硬さを感じない。

 よく見ると、ミズさんが少し薄くなっていた。


「……かおり……おねえさんは、どうしてこんな僕にやさしくしてくれるの?」

「ふふふっ……」


 静かで冷たい部屋に笑みがこぼれる。

 嬉しそうに口元を隠して。

 

「……それはー、ヒミツ!」


 優しい笑みは悪戯な笑みへと変わっていた。

 ボクがしばらく意識を失っていた間に、2人は打ち解け合っていた。

 笑顔が増えていき、声に感情がついている。


「……いじわる。」

 

「あはは、ごめんね………………あ(・)い(・)。」


「っ……!」


 彼は、目を見開いた。

 お米を掬って口へと運んでいたスプーンを止める。

 その目に光があった。


「僕の……なまえ?」

「…………うん。」


 彼は口を動かそうとするも、何かに気づいたかのように固く閉じた。

 

「……どうしたの?」


「っ……なんでもない……ごめんなさい。」


 そのままお米を口に入れた。

 よく噛んで、ぐっと、飲(・)み(・)込(・)む(・)。

 ちょうどその一口が最後のようだった。

 お皿には何もない。


 ─ブー


 静かな世界に扉のブザー音が鳴った。

 続けてガタンと大きな音が立つ。


「……あ、わたしの番か。」


 香さんが呟いた。

 彼女は余っている料理を見て、残念そうにため息をつく。


 扉が開く。

 そこには黒服の男がいた。

 そしてもう1人、従業員のようだった。


 香さんは、2人分の食器を持って、従業員に渡した。


「あい、待っててね。」


 そう振り返って、笑顔を向ける。

 細い腕を振る。

 それと同時にブザー音が鳴り、扉が閉まった。


 

 部屋に、冷たい静寂が漂う。



「あい……あい……あい……」


 彼は、必死に名前を連呼した。

 椅子から立ち上がり、ベッドに座る。

 彼の口は、まだ止まらない。


 初めての名前。

 この子は喜んでいる。

 でも、それだけではないようだった。


「僕……よくばりだなぁ……すごく……わるいひとだなぁ……」


 口をきゅっと閉じる。


 そして、そっと周りを見る。

 

 彼の息は白かった。

 小さく震える。毛布に身を包む。

 じっと俯く。

 それでも、なぜか温かくならない。

 ここには、誰もいない。

 話せる人も、側にいてくれる人も。


「なんで……いつものこと……なのに……」


 震えは強くなっていた。


「ひとりでも……だいじょうぶだったのに……」


 毛布を握る力が強くなる。


「さむい……」



 ###



 あれから、しばらく待っていても香さんが帰ってくることはなかった。

 気づけば、ミズさんもいなくなっていた。

 

 ここには、ボクと……


「…………おねえさん……かおり……おねえさん……」


 この子は、ずっと震えている。

 何とかしてあげたい。

 寒さを紛らわせてあげたい。


 でもボクは……


「っ……やっぱり……」


 触れられない。

 目の前に立っているのに、気づく気配もない。


「……」

「っ!」


 顔を上げてくれる。

 でもその視線は、ボクじゃなくその先の椅(・)子(・)だった。

 香さんがいつも座っていた椅子……

 

 いつも2人が食事を取る机には、何もない食器が何枚も重ねられている。

 数えるに、それは7皿だった。


 ─ブー


「っ!」


 ブザー音が鳴った。

 ガタンと大きな音が立つ。

 

「おねえさん……!」


 ボクを通過して、彼は扉の前に立つ。

 扉が開く。

 光が差し込む。


「おねえさ────……っ!」

「えっ!?」


 そこには影があった。

 ボクがよく知っている影。

 

「……これが、貴方のルームメイト?」


 落ち着いた感情のない声。

 黒いミディアムボブがゆらりと揺れる。

 何の光も反射しない真っ黒な瞳。


「む、紫(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)……!?」


 紫色のパーカーや、紫色のマフラーがない。

 彼女は、黒い制服に身を包んでいた。

 

「かわいいでしょ?」

「いいから入って。」


 そして、紫ちゃんの後ろからまた別の声が聞こえた。

 紫ちゃんに急かされたその声の主は、一歩づつ部屋へと進んだ。


「……ごめん待ったよね?」


 声の主は、申し訳なさそうに笑っていた。


「かおりおねえさん……!」


 彼は抱きつく。

 温かさを確かめる。

 香さんも、そうした。


 健(・)康(・)的(・)な(・)腕(・)で、彼を包む。


「青峰香。」


 2人を包む冷たい影が、香さんを呼んだ。

 香さんは抱き締めながら振り返って、紫ちゃんを見つめる。


「伝えた通り、明日から内容が変わるから。覚悟しておいて。」


 そう言い残し、紫ちゃんは扉を閉めようとする。


「まって。」


 その直前に、香さんの声が響いた。

 短い言葉は、紫ちゃんの手を止める。


「なに?」


「わたしは知ってる。貴方は優しい人だって、すごく強い人だって。でも、分からないの……。なんで、ここに留まってるの? 貴方なら、逃げ出すことも、変えることもできるのに……!」


 香さんの訴えには、怒りが籠もっていた。

 紫ちゃんは依然、表情を変えずに彼女を見下ろしている。


「……私には、もう、待ってくれる人がいない。」

「っ……」

 

「青峰香。貴方は、違う。」

 

「なにを──」


 ─ブー


「ちょっ!」


 扉が閉まっていく。

 それを確信した紫ちゃんは振り返る。


「離れてはいけない。ちゃんと握って。」


 この境界線を越えてしまいそうな香さんに、紫ちゃんはそう放った。


「…………『先輩』としてのアドバイス。」

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