わたし何処へやら(2)
「始めるぞ。」
「はい。」
眩い光に思わず目を細める。
その光を遮るように2人の男がボクを覗き込んでいた。
また、場面が飛んだんだ。
だとしたら……おかしい。
場面が飛んだ時でも、話すことはできたし、動くこともできた。
でも、今回のは違う……
まるで、ボクの身体じゃないみたいだ……
「No.337。そろそろ慣れてきたか?」
一人の男がボクをそう口にした。
影がボクを照らす。
いや、ボクじゃない……藍くんだ。
……ボク、藍くんの身体の中にいるんだ。
これも、この子の記憶なのだろう。
「……反応はなし…か。」
男はクリップボードに何かをメモしていた。
もう一人の男によって、口を開けられたり、目を広げられたりされる。
まるで、医師が視診するような手つきだ。
「次。」
「はい。」
短い会話。
機械のように黙々と動く2人に気味の悪さを抱く。
動けない。
きっと縛られているんだろうけど、それ以前に藍くんが動こうとしない。
「よし、異常はない。」
2人の影がボクを照らす。
互いは頷き、1人離れた。
直後……
痛みが走る。
右腕からだった。
そこから小さな圧迫感を覚える。
──注射だ。
「よし、次だ。」
ベッドから解放され、身体が歩き出す。
今にも倒れそうなそれは、出口らしき扉へと向かっていた。それ以外は何も見えない。
扉の前には、顔の見えない黒服の男がいた。
男はこっちを確認した後、半ば無理やりに手をつないで、ボクをここから連れ出す。
ひんやりとした冷たい地面。
不気味に光る照明。
左右に扉が並ぶ廊下。
静かな扉、悲鳴が漏れる扉。
そこへ子供と大人が出入りする様子は、まるで工場のようだった。
そこに笑顔なんてものは、一つもない。
こんなの……酷すぎる……
この子は、こんなところで生きてきたの……?
『藍を助けてほしい。』
ボクはどうすればいいんだよ……
ボクは……ボクは、ボクはボクはボクはボクは
僕は
###
「っ!!」
気づけば、ボクはベッドにいた。
すぐさま起き上がり、周りを見渡す。
──あの牢獄だった。
隣には、ミズさんが座っていた。
顔をボクの方に向けている。
「ねぇ、大丈夫だったの……?」
「……うん。」
ほそぼそとした声が聞こえる。
それはミズさんの先にあった。
あの2人が、机を挟んで食事を取っていた。
ミズさんはボクが起きるまで、2人を見ていたんだ。
「……おかえり。」
ミズさんは、哀しそうにボクを見る。
さっきの出来事を知っているみたいに。
「……ごめんね。そこまで見せる気はなかったんだけど……あはは、記憶を体験させるなんてこと初めてだから……」
言い訳だけど、とミズさんは呟いた。
……両腕を掴む。
ボクを照らす2人の影。
ボクを突き刺す小さな痛み。
ボクの鼓膜を揺らす子供の悲鳴。
今にも壊れてしまいそうになった心の声。
あれは藍くんの追体験だ。
身体は藍くんだった。
その時の意識がボクに成り代わっただけのはずだ。
なのに……
「っ……」
ボクじゃないみたいで……
「……大丈夫?」
「あっ……」
ミズさんがボクを見つめている。
そっと頬をに触れて。
不思議な感覚だった。
触れられているって感じるのに、柔らかさや硬さを感じない。
よく見ると、ミズさんが少し薄くなっていた。
「……かおり……おねえさんは、どうしてこんな僕にやさしくしてくれるの?」
「ふふふっ……」
静かで冷たい部屋に笑みがこぼれる。
嬉しそうに口元を隠して。
「……それはー、ヒミツ!」
優しい笑みは悪戯な笑みへと変わっていた。
ボクがしばらく意識を失っていた間に、2人は打ち解け合っていた。
笑顔が増えていき、声に感情がついている。
「……いじわる。」
「あはは、ごめんね………………あい。」
「っ……!」
彼は、目を見開いた。
お米を掬って口へと運んでいたスプーンを止める。
その目に光があった。
「僕の……なまえ?」
「…………うん。」
彼は口を動かそうとするも、何かに気づいたかのように固く閉じた。
「……どうしたの?」
「っ……なんでもない……ごめんなさい。」
そのままお米を口に入れた。
よく噛んで、ぐっと、飲み込む。
ちょうどその一口が最後のようだった。
お皿には何もない。
─ブー
静かな世界に扉のブザー音が鳴った。
続けてガタンと大きな音が立つ。
「……あ、わたしの番か。」
香さんが呟いた。
彼女は余っている料理を見て、残念そうにため息をつく。
扉が開く。
そこには黒服の男がいた。
そしてもう1人、従業員のようだった。
香さんは、2人分の食器を持って、従業員に渡した。
「あい、待っててね。」
そう振り返って、笑顔を向ける。
細い腕を振る。
それと同時にブザー音が鳴り、扉が閉まった。
部屋に、冷たい静寂が漂う。
「あい……あい……あい……」
彼は、必死に名前を連呼した。
椅子から立ち上がり、ベッドに座る。
彼の口は、まだ止まらない。
初めての名前。
この子は喜んでいる。
でも、それだけではないようだった。
「僕……よくばりだなぁ……すごく……わるいひとだなぁ……」
口をきゅっと閉じる。
そして、そっと周りを見る。
彼の息は白かった。
小さく震える。毛布に身を包む。
じっと俯く。
それでも、なぜか温かくならない。
ここには、誰もいない。
話せる人も、側にいてくれる人も。
「なんで……いつものこと……なのに……」
震えは強くなっていた。
「ひとりでも……だいじょうぶだったのに……」
毛布を握る力が強くなる。
「さむい……」
###
あれから、しばらく待っていても香さんが帰ってくることはなかった。
気づけば、ミズさんもいなくなっていた。
ここには、ボクと……
「…………おねえさん……かおり……おねえさん……」
この子は、ずっと震えている。
何とかしてあげたい。
寒さを紛らわせてあげたい。
でもボクは……
「っ……やっぱり……」
触れられない。
目の前に立っているのに、気づく気配もない。
「……」
「っ!」
顔を上げてくれる。
でもその視線は、ボクじゃなくその先の椅子だった。
香さんがいつも座っていた椅子……
いつも2人が食事を取る机には、何もない食器が何枚も重ねられている。
数えるに、それは7皿だった。
─ブー
「っ!」
ブザー音が鳴った。
ガタンと大きな音が立つ。
「おねえさん……!」
ボクを通過して、彼は扉の前に立つ。
扉が開く。
光が差し込む。
「おねえさ────……っ!」
「えっ!?」
そこには影があった。
ボクがよく知っている影。
「……これが、貴方のルームメイト?」
落ち着いた感情のない声。
黒いミディアムボブがゆらりと揺れる。
何の光も反射しない真っ黒な瞳。
「む、紫ちゃん……!?」
紫色のパーカーや、紫色のマフラーがない。
彼女は、黒い制服に身を包んでいた。
「かわいいでしょ?」
「いいから入って。」
そして、紫ちゃんの後ろからまた別の声が聞こえた。
紫ちゃんに急かされたその声の主は、一歩づつ部屋へと進んだ。
「……ごめん待ったよね?」
声の主は、申し訳なさそうに笑っていた。
「かおりおねえさん……!」
彼は抱きつく。
温かさを確かめる。
香さんも、そうした。
健康的な腕で、彼を包む。
「青峰香。」
2人を包む冷たい影が、香さんを呼んだ。
香さんは抱き締めながら振り返って、紫ちゃんを見つめる。
「伝えた通り、明日から内容が変わるから。覚悟しておいて。」
そう言い残し、紫ちゃんは扉を閉めようとする。
「まって。」
その直前に、香さんの声が響いた。
短い言葉は、紫ちゃんの手を止める。
「なに?」
「わたしは知ってる。貴方は優しい人だって、すごく強い人だって。でも、分からないの……。なんで、ここに留まってるの? 貴方なら、逃げ出すことも、変えることもできるのに……!」
香さんの訴えには、怒りが籠もっていた。
紫ちゃんは依然、表情を変えずに彼女を見下ろしている。
「……私には、もう、待ってくれる人がいない。」
「っ……」
「青峰香。貴方は、違う。」
「なにを──」
─ブー
「ちょっ!」
扉が閉まっていく。
それを確信した紫ちゃんは振り返る。
「離れてはいけない。ちゃんと握って。」
この境界線を越えてしまいそうな香さんに、紫ちゃんはそう放った。
「…………『先輩』としてのアドバイス。」




