わたし何処へやら(1)
「……っ!?」
目を覚ますとそこは牢獄の中だった。
冷え切ったコンクリートの壁。
周辺にあるのは2段ベッドと、トイレと、小さな机。
今にも切れてしまいそうな明るくない天井の照明。
部屋の中は変に綺麗だった。
汚れも、ヒビも、異臭も、欠損も、何もない。
まるで、今日造られたばかりかのようだ。
ボクはさっきまで、外の様子を見ていたはずだ。
スバル達の戦いを……
でも、次の瞬間には、この部屋の隅にいた。
先には固く閉じられた黒い鉄の扉。
大人の目線に合わせた小さな窓があって、それは鏡のように部屋を映している。
きっと、マジックミラーのようなものだろう。
さらに扉の中央辺りには、子犬が通り抜けられる窓もあった。こっちから開くことはできないようだ。
……誰もいない。
「ここは……?」
立ち上がって、冷たい扉に触れる。
耳を澄ますが、外の音は何も聞こえない。
……寒い。
この部屋には、暖房のようなものがない。
換気扇はあるが、逆にそこから冷気が漏れている気がする。
「あのー! 誰かー! 誰かいますかー!」
扉の前で声を張り上げる。
しばらく待つも、帰ってくるのは静寂だけだった。
「……っ。」
寒さが心を蝕む。
ギュッと胸を押さえる。
スバル……お姉ちゃん……奏ちゃん……ルナちゃん……
不安を払うように、踵を返す。
一度どうしてこうなったのか考えてみる。
「えっ……」
でも……そんなことを考えるなんてできなくなってしまった。
ボクが目覚めた場所。
部屋の角。
そこに……男の子が座っていた。
「ゆ、ゆっ……ゆゆ、ゆうっ……れい……?」
ヒヤリと背筋が凍って、後退りしてしまう。
やがて、背中が扉にくっついてしまった。
ふと、扉にある小さなマジックミラーの窓を一瞥する。
ボクは驚愕した。
「ボク……写って……ない?」
身体ごとミラーに向けて、なんとか写ろうと試行錯誤する。手を振ったり、ミラーを擦ったり。
でも、ミラーが反射するのは、この冷たい空間と……
──男の子だけ。
「……ボクが……幽霊ってこと……?」
手は透けていないし、感覚もある。
地面は足に付いてるし、呼吸だってしている。
……深呼吸をする。
男の子は俯いていた。
黒髪で黒い瞳。痩せ細った身体を見ると胸が痛くなる。
……ボクはこの子を知っている。
見たことがある。
きっとこの子は、藍。
ボク達を襲撃してきたあの男の子だ。
〈正解。……まあ、正確に言うと、藍って名付けられる前の藍だけどね。〉
突然、声が聞こえた。
脳内からとか、後ろからとかじゃない。
この部屋全ての壁から声が発せられてるような。
そんな不思議な感覚。
「ミズさん!?」
辺りを見回すが誰もいない。
再び、男の子……『藍くん』を見つめる。
「……一体、どういう……?」
〈これは、藍の記憶。〉
「っ!?」
横から声が聞こえた。
壁全体からでなく、本当にそこにいる声。
視線をそこへ向けると、藍色のモヤがベッドの上に座っていた。
足を閉じて、手を太ももの上に置いている。
とても清楚かつ上品だった。
「ミズさん……?」
ミズさんは何も言わず微笑んで、トントン、と右隣に座るようボクに促した。
「し、失礼します……」
ミズさんは何も言わなくなった。
気まずい空気が漂っている。
「あの……!」
我慢できずミズさんに疑問を投げかけようと目を見るが……
ミズさんは、ボクよりも彼を見ていた。
多分、ずっとだ。
温もりを感じる瞳だった。
「……あの…?」
〈ごめんね。〉
ミズさんはそう言った。
誰に向けてかは、判断がつかない。
でも、きっと……
─ブー
突然、扉から短いブザー音が鳴った。
続けてガタンと大きな音を立てた後、扉がスライドして開いていった。
影が伸びていた。
それは2人。
「入れ。」
ペタペタと、音を立てて、影が伸びていく。
扉から現れたのは、少し背の高い痩せ細った女性の人だった。
彼と違って、両腕に通された腕輪があり、腕輪同士くっついている。
女性の人は急かされるようにして部屋に入っていく。
その最中、チラリと扉から銃口が見えた。
ピストルじゃない。アサルトライフルだ。
きっと、武装した大人によって、彼女はここへ連れてこられたのだろう。
やがて扉が閉まり、ガタンとまた大きな音を立てた。
誰も何も喋らない。
女性の人は黒く長い髪をしていて、最低限、整えられているようだった。
彼と同じように、真っ白の入院着を着ていた。
─ガクッ
しばらくすると、女性の人が膝から崩れ落ちた。
反射的にボクはその人の元へ駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
心に従うまま、肩に触れて、語りかけようとするが……
「え……?」
すり抜けてしまった。
ボクの手が女性の人の肩に埋まっている。
感覚はないし、女性の人の反応もない。
〈言ったでしょ? これは記憶。私達じゃ、干渉できない世界なの。〉
放心状態だったボクにミズさんは語りかけてくれた。
振り向いて、ミズさんを見つめる。
ミズさんは哀しそうに笑っていた。
ぴたりと、雫が地面に弾けた音が響く。
それは、何度も何度も静かに響いた。
気になって女性の人へと視線を変える。
「っ……」
──泣いていた。
表情を変えずに、薄い黒の瞳から涙が溢れていく。
言葉をかけたいが……きっと、届かない。
そんなのは分かっている。
でも……
「そ、その……! きっ──」
「なんで……ないてるの?」
ボクの言葉はかき消された。
弱々しく今にも崩れそうな男の子の声に。
「…………っ。」
女性の人は顔を上げた。
動かなかった口元が、きゅっと歪む。
彼も顔を上げていた。
不思議そうに、女性の人を見ている。
「なんで……? ないても……いみないじゃん……」
「…………」
女性の人はさらに涙を流す。
彼の不思議そうな顔はやがて困惑へと変化した。
「……なかないでよ…………」
「…………!」
女性の人の、瞳が大きく広がった。
口元はさらに歪んでいく。
「おねがいだから……なかないでよ…………」
彼は今にも泣きそうだった。
確かにその声は震えていた。
「……っ……っ……」
女性の人は何度も何度も頷いていた。
胸を両手で押さえて、丸まっていた。
もらった言葉を逃がしてしまわないように、ぎゅっと固く手を握って。
──手錠は解除されていた。
〈ねぇ、神美ちゃん。お願いがあるの。〉
下がって佇んでいるボクにミズさんは言った。
依然として、ベッドに座っているミズさんに視線を向ける。
〈わけも分からない世界に呼んでおいて、こんな図々しいお願い聞いてくれるなんて思ってないけどさ……〉
ミズさんと目が合う。
〈藍を助けて欲しい。〉
ミズさんはとても真剣にボクを見ていた。
胸を押さえて、手を固く握って。
……まるで、彼女のように。
ボクは気づく。
あの女性の人が……ミズさんなんだって。
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「っ!」
瞬きをした瞬間、ボクは椅子に座っていた。
机を挟んだ先には、ミズさんがいた。
同じく椅子に座っている。
向かい側にあるベッドを見て。
「……」
「……」
ベッドには彼と女性の人……『昔のミズさん』が座っていた。
足のつかない彼と、足をつけて上品かつ清楚に座る彼女。
お互いに目を合わせようとせず、自分の足元を見ている。
「ねえ。」
沈黙を破ったのは、彼だった。
「……!」
彼女は、静かに驚いた顔をして、彼を見つめた。
あの時のように、彼は、不思議そうに彼女を見つめている。
「なんで……ここにきたの……?」
「…………」
彼女はぎゅっとベッドのシーツを握る。
悔しそうに目線を落とす。
「…………わか…………らない………」
溢すように彼女は答えた。
声も見た目からして、当時の彼女はボクと同じぐらいの年だろう。
いつからここにいたのか、どうしてここにいるのか。
それは分からないけど、でも……一人の被害者なんだ。
こんなの……誰だって不安になる。
怖くなる。泣きたくなる。
「…………そっか。」
彼はブラブラ足を揺らすのをやめて、膝を腕で覆った。体育座りをして身体を丸める。
彼の指先は震えていた。
「寒い……の?」
「…………」
ベッドの毛布は薄いように見える。
それでもないよりかはマシと思ったのか、彼女は彼に毛布をかけた。
「……!」
丁寧に、優しく、温かく。
細い腕は、彼の頭を優しく撫でた。
「…………」
「……!」
彼は目を見開くも、抵抗せず、ただ静かに視線を落とす。
弱々しい力で、毛布の端を掴んだ。
しばらくして、彼は何か思い出したかのように顔を上げた。
「さむい……でしょ?」
彼は手を伸ばした。
その手には、毛布の端があった。
「……っ…」
彼女の瞳に微かな光が宿る。
毛布の端を掴む。
ぐっと、2人の距離が狭まっていく。
冷たい身体同士が、温かさを求めるため……
薄い一枚の毛布を2人で共有して。
「……お名前……なんて言うの……?」
ぼそっと彼女は、そう言った。
狭く静かな世界では十分に聞こえる。
「No.337……そっちは?」
「っ……」
慣れたように番号を伝える彼を見て、彼女の呼吸が一瞬止まった。
痛そうに、胸を押さえる。
……ボクも……そうだった。
「…………わたしは……」
視線を落とし、自分の手のひらを見る。
その手のひらは小刻みに震えていた。
「わたしは…………わたしの名前は……青峰香……って……いうの。」
「…………かお…り。」
ぎこちなく名前を伝えた香さん。
それに、彼は瞳を大きくしていた。
……番号じゃない、と。
きっと、それに驚いていたんだ。
「いい……なぁ。」
「っ!」
──笑った。
暗く寂しそうだった男の子が、笑った。
震えている。引きつっている。
それでも十分だった。
この空間には、十分過ぎるほどだった。
「お名前……つけてあげよっか……?」
「っ……! いい……の?」
「うん。」
彼の瞳に光が宿る。
「えっと……じゃ、じゃあ、君の……お名前は──」
─ブー
静かな世界に扉のブザー音が鳴った。
続けてガタンと大きな音が立つ。




