青く冷えていく東京
降り注ぐ雨。下がる体温。
"復讐の鬼"、"銀色の弾丸"、"ラプラスの悪魔"。
この2人と1匹が感じる異常な寒さ。
それはまるで冬のように。
原因は、冷たい雨に打たれている事ともう一つ。
一歩ずつ歩み寄ってくる青い瞳の少年。
彼から感じる威圧。
明確な『殺意』というべきか。
それにその2人と1匹は悪寒に背中を取られていた。
瞬間、少年は真下にある水面に両手を付けた。
暴れるように雨粒を受け入れる周りの水面はそれに伴って動きを止めた。
紐状の水に拘束されている卯月の高度が上がっていく。その後ろには巨大な水の柱が形成されていた。
やがて両方は、一定の高さまで上がるとピタリと動きを止めて、卯月を巨大な柱に括り付けた。
「なんでもありかよ……!」
滴る雫にスバルの汗が紛れる。
柱は約10m程の高さ。
その約9m付近に卯月は括り付けられているからだ。
(高すぎる……! 例えあの高さまでよじ登れたとしても、拘束を破る余裕なんかない。)
「スバルよ。」
スバルの隣にいるルナが前に立つ。
彼女は振り返らず、ただ、指を伸ばすストレッチをしていた。
「ワタシならあの距離まで届く。水のコウソクを破れるだろう。」
キリッと彼女は卯月を見つめる。
「だが、モンダイテンが一つ。あの後輩だ。」
彼女は視線を落とした。
そこにはニヤリと笑う少年がいる。
少年は、ポケットに手を入れて、その場に佇んでいた。
それはまるで、どう3組が動くのか期待しているかのように。
「ああ、そうだな。」
スバルはじっと少年を睨む。
それは観察でもあった。
この状況を突破するための……観察。
「2人ともちょっといい?」
その瞬間、スバルの後ろから声が聞こえた。
振り返ると知世が立っている。
眼鏡は少年の立ち姿を反射していた。
「相手の能力が完全に解りきってない状態で、いきなり卯月を助けるなんて無理だよ。だから、まず、『水を操る能力』を完全に把握する必要があるの。
……えーっと……そこでなんだけど……」
知世のボリュームが下がる。
突然の歯切れの悪さに困惑するも、スバルは察した。
「ああ、囮になってほしいんだな?」
「……うん。」
「よし、いいぜ。そっちもいいだろ?」
スバルは視線を変えた。
知世は、その視線を追いかける。
そこには、依然背中を向けた番犬が、敵をじっと視界に捉えていた。
今度は、腕をクロスして伸ばすストレッチをしている。
「失敗はしない。」
暗く、ルナは呟く。
それは知世だけではなく、また別の人物に向けての言葉であった。
「よし、やることは決まったな。
────行くぞ!」
その合図とともに、2組は駆け出した。
少年から見て、スバルは左、ルナは右に分かれる。
物凄い速さで迫ってくる"鬼"と"弾丸"。
それには差があった。
先に、少年の元へ近づいたのはルナだった。
─ダンッ!
少年から見た右斜め前。
地面が割れる踏み込みの音が聞こえる。
少年は確認する。
すでに、その視界は数多に降り注ぐ雨粒を貫く足裏に覆われていた。
このまま行くと、その足の行く先は少年の顔面だ。
槍のような素早い直線上の蹴り。
「っ……おっと。」
しかし、少年はそれを紙一重に避けた。
避けると同時に、少年はルナが蹴った足……右足の側面へと移動する。
「ふぅ〜、残念!」
刹那、少年の死角から音が聞こえた。
それは遅れてやってきた"鬼"の足音。
水溜りを踏み潰し、水滴を撒き散らす、荒い音。
「──これでもか?」
声は近い、踏み込みも聞こえた。
同じく蹴りだった。
少年はノールックで、スバルの側面へと回り込んだ。
続けて、ルナも攻撃するが避けられる。
その後に続いてスバル。
そしてルナ……と、休む暇を与えない連携攻撃。
飛び交う蹴り、拳を少年は流れるように躱していた。
どれも紙一重で掠ったりするも、決定打にはならない。
初めはポケットに手を入れていたが、余裕がなくなってきたのか、時間が経つと両手を出していた。
それでも、表情は依然柔らかいものだった。
絶え間ない攻撃。
だが、いくら体力のある2組でも、完璧にかつ長時間連携攻撃を続かせることは不可能である。
必ず、一瞬の隙が生まれる。
スバルとルナが『交互に』ではなく『同時に』攻撃する。
その一瞬の隙。
──そしてそれは起きた。
少年はそれを見逃さない。
それを待っていのだから。
できた隙間から包囲網を抜け、大きく跳び上がるようにして、卯月の元へ後退する。
着地すると同時、少年は左手を水溜りにつけた。
刹那、少年の手元から、スバル、ルナの足元へと向けて水の細長い棘が無数に生えてくる。
それは扇形に広がっていく。
まるで衝撃波のようだった。
2組は別々の方向へ飛び込んだ。
スバルは右斜前へ、ルナは左手斜め前へと。
2組の足元から水しぶきが上がる。
避けられた棘は残ることなくすぐに引っ込み、今度はピンポイントに2組の足元へと、棘が突き上がるように生成された。
スバルとルナは危機を察知する。
スバルは跳び上がるように、ルナはそのまま駆け出すように、少年の元へ接近する。
ルナの蹴り上げとスバルの飛び蹴り。
速度の違いから展開される時間差の連携攻撃。
蹴り上げ直撃の寸前。
掠めるはするも、少年は前へ何とか飛び出した。
落下する飛び蹴りが着弾する。
しかし、そこには何もない。
少年はそのまま距離を取ろうと後退した。
スバルとルナの背には卯月を拘束する水の柱。
2組を見つめる少年。
彼らの距離は約7m。
小柄の少年には少し遠く感じる距離。
それでも焦る素振りはない。
(あの変幻自在な『水の操作』。……やっぱり、たった2人の突然変異体のうち、最後の1人がコイツだろうな。)
スバルは深呼吸をした。
「……へへッ……人狼と突然変異体のハイブリッドって……矛盾してねぇか?」
旧清夏病院地下の研究所。
そこで戦った『人狼』のルナ。
7月の季節夏祭り。
そこで戦った『突然変異体』の紫。
どれも常識外れで、最強の敵だった存在。
みんなが束になってやっと敵った強敵たち。
その両方の要素を持つ者が、今、目の前にいて、本気で自分たちを殺そうとしてくる。
スバルはひしひしと感じていた。
それはルナもそうだった。
身体能力、特殊能力、そしてその殺意。
そのどれも全て、今まで戦ってきた誰よりも強い。
──まさに『最強』だった。
一方、物陰に潜伏していた知世。
2組が駆け出した直後、巻き込まれてしまわないように、場所を移動しながら戦いを観察していた。
知世は少年の立ち姿をじっと見つめる。
知世は気づいていた。
一つの違和感。
それは、少年の指先から伸びているもの。
「やっぱりアレ……糸……? ……作りは『水』…か。」
遠くかつ素早い戦いだったので、詳細を確認することはできなかったが、今はできる。
指先から伸びているソレは、右手の人差し指、中指で2本、左手の親指、人差し指、中指、薬指、小指……5本全てにあった。
(そういえば、アレって右手にしかなかったよね?
確か、始めは人差し指。
アレは、卯月を紐で拘束したときにできたもの。
次に指を見たのは、スバル君達の連携攻撃……
あの時から、もうすでに中指にも糸はあった。
そして今は、左手全て……)
「まって……アレ、ただの糸じゃない?」
その糸は全て足元にある『水溜り』へと伸びていた。
そしてその水溜りには、波紋がない。
いや、辺りの水溜り全てだった。
(アタシの近くにある水溜りは普通だ。おかしいのは、あのガキンチョの周り……。
ガキンチョから半径7〜8mかな……?
とにかく、あの水の柱から内側。)
「水の柱……?」
(連携攻撃の後からあった中指の糸。
確か、連携攻撃の前にあったことって……
……あっ、水の柱の生成!
その前には、中指に糸なんてなかった。
そして今回の左手の糸たち。
直前に起きた出来事は、水棘の攻撃だった。それ以前には何もなかった。
ってことは……アレって……)
「水を操る為のコード的なものだったりするの……?」
(水は、繋がりがないと操れないってこと……?)
「説明は……つくよね。」
△△△
少女が1人沈んでいた。
茶髪がゆらりと揺れている。
気泡が暗い世界から逃れようと浮上する。
そして消えていく。
少女……神美 卯月は目を開いた。
(あ……れ……? ボク……)
──水中だった。
朝など来ない冷たい夜。
低くこもった音、気泡が破れたり生まれたりする音。
それはリアルに鼓膜を揺らす。
(息は……できる……)
喋ることはできないようだった。
手足を動かすことさえもできない。
まるで縛られているような感覚だった。
(ボク……確か、捕まって……えっと……)
〈ふふっ……〉
(……だ……れ?)
──声が響いた。
ここは、低くこもった音の世界。
それなのに聞こえてくる知らない女性の声。
子どものように無邪気な笑い方だが、大人のような落ち着きも感じられる。そのような声色だった。
虚ろな瞳。
暗闇を反射するその瞳に、小さな藍色の眩い光が映った。
次第に少女はその光に包まれていく。
そうして、藍色は強烈な光へと変貌し……
──世界が逆転した。
(っ!?)
それは、強烈な光の中での出来事。
重力が逆転すると言ってもいい。
沈んでいく感覚からぐるんと回転し、浮上していく感覚へと早変わりした。
強烈だった光がやがて収まっていく。
こもっていた音がハッキリと聞こえてくる。
少女が閉じていた瞳を開くと……
「え、えっ……!?」
──そこには白い空。
少女は気づく。
今、自分は仰向けになっていることに。
冷ややかな波を受けながら地面に転がっていることに。
気泡の音はもうなかった。
聞こえてくるのは、小さな波の音と、自分の呼吸音。
「ふふふっ……」
──そして、先程の知らない女性の声。
それは海の方向から聞こえたものだった。
少女は身体を立ち上がる。
そして周りを見渡す。
地面も海水も全て白。
地面は砂浜だった。
色があるのは自分と……
──海上に立っている藍色のモヤだった。
付近の水はモヤと同じ藍色に染まっている。モヤは螺旋状に水を纏っていた。
藍色の水だ。
螺旋状に纏われる水の隙間から、美しい大人の女性の笑顔が見えた。
「ようこそ、私達の世界へ!」




