影に滴る水の音
7月。とても小さく誰にも認知されることのない死闘を駆け抜けたボク達。
そんなボク達は、しばらく平穏な日常を過ごしていた。
阿鼻叫喚の期末テストを終えて、何の変哲もない終業式も終えた。
相変わらず、太陽はより暑く人を照らそうとテンションが高い。
が、しかし。
テンションが高いのは太陽だけではない。
世の中は気づいていないが、あのテンションを超えるものがいるのだ。
それは……
「旅行いこうよ!」
──絶賛夏休み中のボク達だ!
「え〜? 旅行? おねーちゃんあついのむり〜〜」
「そろそろ作曲しないと。」
「夏休みは父さんと合宿行くからなぁ……」
ボクだけのようだった。
「……ごめん。ボク寝るね……」
「うそうそうそ! 嘘だってば卯月!」
「責めるならこれ考えた知世にしてね。」
「妹いじめるとかサイテーだな。」
「は!?」
そんな騒がしい8月1日。
ボク達はスバルの家のダイニングテーブルに集まっていた。
旅行についての会議をする為、ボクがお姉ちゃんと奏ちゃんを呼んだのだ。
「お姉ちゃん……?」
「ちょっ、まってごめん悪気はないの。ちょっと意地悪したかっただけなの。」
「それを悪気っていうんだよな。」
「アンタは黙ってて!」
ボクの隣に座るスバルがしょぼんと俯く。
でも、話の流れ的に……
「わかってたの?」
「もちろん! なんせ、姉ですから。」
キラリとメガネを光らせて、クイッと位置を直した。
「はいはーい! どこ行くの?」
向かい側に座っている奏ちゃんが手を挙げる。
「今のところ──」
「俺、沖縄!」
「んじゃ、アタシ北海道!」
「えーっと……じゃあ、私は愛知。」
「──いい加減にして!!」
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「テンション上がるのは分かるよ。ボクだってそうだもん。でもね、人の話を聞くっていう当たり前のことをしないと────」
旅行どこ行くか会議。
気づけばそれはボクの説教会になっていた。
3人が地べたに正座して俯いている。
「────最近、スバル達は……はっ!」
さらに続きそうになった瞬間。
突然、我に返った。
そうだった、ボク旅行いきたいんだった。
「──新宿。」
「「「え?」」」
「新宿行くよっ!」
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そうして、ボク達は各々準備に取り掛かった。
どう楽しむか、どう回るか。
「卯月、ここらへんとかいいんじゃない?」
「……お姉ちゃんって天才だったりする?」
「だったりする。」
調べて、計算して、情報交換して。
「えっと……結局何円?」
「……1200円だよ。」
「ああ!」
「奏ちゃん……?」
「あ、そうだ。卯月、ついでにちょっといい?」
「ん?」
来たる日に向けて最高のコンディションで。
「なあ、もうちょっと遠い所とか無かったのか?」
「お金ないじゃんボク達。」
「……そうだったな。」
最高のコンディションで……
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そして最後に。
この旅行計画には越えねばならぬ壁があった。
「『え、新宿旅行?』」
「そうだ。頼む、父さん!」
それはお義父さんの許可だった。
ただでさえ、ボク達(特にボクとお姉ちゃん)は犯罪組織っていうのから狙われているし、最近は幹部と接触までしてしまった。
『近いうち、同僚がそっちに接触してくるから。』
紫ちゃんは、そんなことも言っていた。
いくらお義父さんが守ってくれるとしても、この町から遠い所に行けば、助けが間に合わなくなる可能性がある。
だから、正直そうやすやすと了承を──
「『いいぞ』」
「「いいの!?」」
「『音下げよ。』」
会議から翌日。
ボクとスバルは、家の中でお義父さんと電話していた。
「『最近のお前らって、オオカミについて考えてばっかだろ。若いんだし、そんな重苦しいことはほどほどにして遊ばなきゃ損だぞ?』」
案外予想できたというか、なんというか……
まさに、お義父さんらしい内容だった。
「あのお義父さん……本当に大丈夫なんですか?」
「『大丈夫って……ああ、そういうことなら大丈夫だ。』」
お義父さんはボクの心配を察してくれたようだった。
「『お前らは強くなってるからな。深手だったが、幹部を倒せたんだし、そこら辺の雑魚なら余裕だろ? こちらも護衛はつけておくからさ。』」
そう気さくに言ったあと、ルート送ってくれよな、と言い残して電話を切った。
[お土産ヨロシク]
直後、メールでそう送られた。
緊張感のある話をすると思っていたから、ボク達はトントンと決まっていく物事に肩透かしを食らっていた。
「なんか……大丈夫だったね。」
「結果として万々歳だな。」
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許可を得た。
ルートも決まった。
予約もした。
時間もお金も、何もかも全てそろった。
と……言うことで。
「来たーーー! 新宿ぅーーー!!!」
広く迷いそうな新宿駅を抜け、西口付近でボク達は集まっていた。
新宿。それは、
四季ノ大通りとは比べ物にならないぐらい活気に溢れている。
暑くも爽やかに流れる風。
雲の量が多いので、肌を焼くような強い太陽の光はなかった。
今日は比較的過ごしやすい日なのだ。
「ふっふっふっ……卯月。そんなに街並みを見渡すと田舎者って思われちゃうぞ?」
壁に寄りかかって、キラリとメガネを光らせニヤリと笑うお姉ちゃん。
右手には、お姉ちゃん特製の『新宿旅行のしおり』が握られていた。
「でも田舎者じゃん。」
「おだまり奏。」
「ふふっ。」
お姉ちゃんは、クール風に話しているが、実はボクの次ぐらいに楽しみにしている。
証拠はお姉ちゃんの右手にある。
「どうする? もう行くか?」
赤い瞳を隠すように、黒いサングラスかけ、ボクの隣に立つスバル。
同じようにビルを見上げて、ニヤリと笑っている。
隠れていても瞳はおっきく輝いていた。
「そうだね。そろそろ──」
「行こ! はやく! ピアノ弾けなくなるよ!」
風のように奏ちゃんが、ボクの前に出た。
手を握って早く行こうと子供のように目を輝かせる。
「奏、アタシ達はピアノを弾きに行くんじゃなくて、景色を観に行くんだよ?」
「そ、そんなのわかってるよ!」
丸めた紙の束を奏ちゃんの頭にコツンと乗せるお姉ちゃん。
むっと奏ちゃんが頬を膨らます。
「それじゃあ、そろそろ行こっか。」
「「うん!」」「ああ!」
東京都第一本厅舍 南展望室。
そこが、まず最初に行く所だ!
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今回ボク達のルートは、日帰りを意識している。
午前9時に新宿駅へ着くようにして、その後、展望室へと向かい、新宿中央公園で昼を取る。
11時に予約しているし、10:45には出たいところだが……
〜〜〜♪
「スバル。」
「なんだ。」
「もう55分だよ。」
「予約時間あと5分後だよな。」
「うん。」
旅にはトラブルがつきもの。
ボクはいつかの映画でこの言葉を聞いたことがある。
今まさに旅が始まったばっかの時点で、ボク達はトラブルに遭っていた。
それは……
「ちょっ、聞こえてる!? 時間、時間だってば!」
「……………」
奏ちゃんのピアノが止まらないというトラブルだった。
……奏ちゃんは言っていた。
『ピアノ弾いてくる! 景色、観終わったら伝えに来てね〜!』
と。
そして今から10分前、ボク達は移動しようと奏ちゃんに伝えに来たが……
『はぁっ…はぁっ…!』
声は響かず、情報はピアノの音色に成り代わっていった。
奏ちゃんは、自分の世界にどっぷり浸かっていたのだ。
お姉ちゃんから聞かされたことがある。
奏ちゃんは楽器を長時間弾くと、たまに恍惚した顔で聴く耳を持たず、その倍以上弾いてしまうと。
酷いときには丸一日中……
「奏、おーい? 奏???」
今、お姉ちゃんがグランドピアノから奏ちゃんを物理的に引き離そうとしている。
弾き続けること、たぶん1時間。
普通はこんなに弾いてしまうと警備員や、他の人に引っ剥がされるが……
「すげぇ……」
「ああ、癒されるわぁ……」
意味わからないくらいに奏ちゃんが上手なせいで、誰も止めようとはしなかった。
一種の催眠とすら思える異常な巧さ。
しかし、奏ちゃんは笛でしか催眠をかけられないとのことなので、これは催眠の効果は持たない。
「奏、ねぇ、ねぇってば!!」
必死に引き剥がそうとするお姉ちゃんだが、奏ちゃんはビクともしない。
奏ちゃんの圧倒的な体幹にお姉ちゃんの腕力が敵うはずもなく……
「はぁ……はぁ……」
「奏!?」
しばらくして、やっと奏ちゃんが息を荒くした。
背中を丸めて、苦しそうに肩で呼吸をしている。
「疲れた? 疲れたならそろそろ行こ?行こ!?」
これを機に、早口で奏ちゃんを説得するお姉ちゃん。
「だめっ……とまらないっ……///」
ダメなようだった。
─ブチッ
と、お姉ちゃんの中で何かが切れた。
「とめるんだよ奏ぇええ!」
─ダ〜〜ン!!!
巨大な不協和音がこの空間に響く。
窓と鼓膜が揺れ、奏ちゃんの恍惚とした赤い顔が一瞬にして青ざめた。
「うわあああああ!! って…………あれ?」
渾身の不協和音に絶叫した後、奏ちゃんは辺りをキョロキョロと見回した。
奏ちゃんがふと手元を見ると……
「え、知世!?」
お姉ちゃんが鍵盤に倒れ込んでいる姿を目撃してしまった。
まさに殺人現場。血糊さえ撒けば、リアルを超えると言っても過言ではない無残な姿。
辺りは騒然としていた。
「……ばやぐ……い゙ぐよ……」
被害者はブルブルと身体を震わせながら、すべての元凶にそう伝えた。
「……ごめん。」
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このように、初っ端からトラブルに見舞われたボク達。
不安な感情を胸にしてボク達は展望室を去った。
時刻は11時。
晴天ではない天気でも人が賑わい、触れ合っている。
そんな人たちを眺めて、ボク達はちょっとモダンチックなテラスに座っていた。
優雅に、無駄なく、余裕を持って。
ホットなティーをちょっぴり唇に当て──
「う……けほっ……はぁ……はぁ……」
「ぜぇ……ぜぇ……」
「みんな……はぁ……はぁ……ごめん……私のせい……」
──られない。
優雅に、無駄なく、余裕を持つなんて理想は存在しなかった。というか、ホットなティーをいま飲むとか自殺行為に等しい!
モダンチックなテラスも状況が変われば、サウナも当然。風は隣にそびえ立つレストランに阻まれ、雲に遮られたとしても太陽の光は暑いものだ。
本来は15分かかる道をボク達は5分で駆け抜けた。
ボクとスバルと奏ちゃんは体力はあるから生きていられるのだが……
「…………」
「なあ……知世のやつ、生きてるのか?」
と、スバルが言った。
魂を抜かれたように、机に突っ伏すお姉ちゃん。
荒い呼吸も、揺れ動く肩もお姉ちゃんにはなかった。
「気絶してるだけ……だと思う。」
あの奏ちゃんすら判定が難しいようだった。
「……冷たいの頼もっか。」
「──アタシブルーレモネードソーダ」
恐ろしく速い注文。
生存本能というべきか。
とにかく、起き上がって必要なことを無駄なくキッパリハッキリ伝えたお姉ちゃん。
そうして、再びバタリと落ちた。
「俺は水でいいや。」
「うーんと……私、アイス抹茶ラテに挑戦してみようかな。」
ボクはお姉ちゃんと同じやつにしようかな。
「じゃあ頼むね。」
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「じゃ水取ってくる。」
「ストローよろしく!」
「そんぐらい取りに行けよ。」
「えー? ……はーい。卯月ストローいる?」
「うん、お願いしていい?」
「任せて!」
そうして、涼しい建物の中に入るスバルと奏ちゃん。
「あ。」
ボクはストローは元からついてくるという可能性があることに今気づいてしまった。
うーん……ここのお店に来るのは初めてだからよく分からないな。
「まあいいよね……」
ぐ〜っと伸びをして、机にぺたりと上半身を乗せた。
両腕を枕にして、突っ伏すお姉ちゃんを見つめる。
建物に入っていったスバルと奏ちゃんが羨ましいけど、正直、今は変に動きたくない。
暑いし、疲れたし、暑くて暑いし。
しばらく経つと、カラッとした涼しい風がこちらに吹いてきた。
木の葉が揺れて、子どもたちの声がより活発になる。
それでも、お姉ちゃんは未だ突っ伏している。
お姉ちゃんの髪も風になびいちゃってるな。
晴れとは言えない薄暗い天気。
ふと、太陽がいる方向へ顔を向ける。
ボンヤリとした白く光る球体。
灰色の空に、それは一際目立って見える。
「旅かぁ……」
昔のボクに、充実してるよって伝えたら、きっと信じてもらえないだろうな。
愛想笑いして、必死に気持ちを抑えて……
「……幸せだよ〜」
「お姉ちゃん!?」
「すやぁ……」
……寝ている。
今のは寝言だったらしい。
どんな夢を見ているのだろうか?
そもそも、こんな気温で眠れるものなのだろうか?
涼しいとはいえ、暑いものは暑いのに。
「……ふふっ、お姉ちゃん、おでこ真っ赤になってそう。」
─ヒュ〜〜!
突然、穏やかな風が突風へと変化した。
横殴りの風。それは小さく軽い物を飛ばしてしまう程の風だった。
例外はない。
「あ!」
ペラペラとお姉ちゃんの元から薄い冊子が飛んでいく。
「しおり……!」
幸い飛ばされた方向はレストランの方だったから、どこか遠くへ行くことはなかった。
が、早く回収しなければ壁を伝って、旅に出ることは確実だった。
まずいと思って即座に席を立ち、回収しようと、しおりに向かって歩く。
そうして、手を伸ばそうとした瞬間。
「よいしょ。」
小さな男の子がしおりを拾ってくれた。
羽織るデニムのシャツに、ハーフパンツ。
どちらも藍色を主張していて、向き合うと、羽織の下に白いTシャツを着ているのが見て取れる。
男の子は手を伸ばす。
「はい、落とし物だよ。おねーさん。」
幼くも大人びた声は、どことなく嬉しそうにしていた。
靡く癖っ毛は薄い曇天のような銀色で、白くハリのある柔らかそうな小さい手のひら。
背丈は小学5、6年生並みだった。
「ありがとね。」
「いいえ、そんな。」
開いた瞳は深い海のようで、それはじっとボクを見つめる。
「感謝の言葉なんかいりませんよ。」
青の虹彩が、小さく微笑んだ。




