メメント・モリ
「ごめんだけど、説明の時間はない。今はここから逃げないと!」
クルミは歩み、ベッドにいる私の腕をつかむ。
何がなんだか分からなかった。
ジリリとうるさく鳴り響く鐘の音。
必死な顔をするクルミ。
「……うん。」
私は足を地面につけた。立ち上がってクルミを見る。
クルミの必死さに私の心の奥底から何かが込み上げてきた。
逃げるんだ、と。
『No.150。お外へ出るよ。』
「っ……」
「……紫?」
でも…逃げた先は?
その後は一体どうなる?
私はどうすればいいのだろうか?
緊迫した状況の中で、私の足は止まった。
私の世界はこの部屋の中。
外の世界は冷たい廊下。
その先を私は知らない。説明してもらえない。
いくらクルミがいるからって、もっと怖い目に会うかも知れない。
じゃあ…私は……
「なにをすれば……」
「幸せになるの!」
「っ!」
クルミの声が聞こえた。
「いい?これから紫は幸せになるの!」
「しあわせ……?」
クルミは私に視線を合わせて、肩を掴んだ。
身体が強く揺さぶられる。
「何をしたっていい!ご飯食べたり、外で遊んだり、家でゴロゴロしたり、なんなら花火を観ることだってできる!」
「花火……」
「逃げた先は、冷たい廊下の外は、全部私たちが保護する!だからひとまず私の言うことに従って!」
初めてだった。
こんなに強く話すクルミは。
でも、安心できた。
この人は、こんな私をこんなに大切にしてくれるなんて……
「さ、早く!」
「……っ、うん!」
─バンッ!!
視界が赤かった。
キーンと耳鳴りが鳴った。
……私は気づいた。
私の世界は外と同じだって。
なにも変わらないんだって。
「おい、貴様……何をしている。」
焦げた匂いと鉄の匂いがツンと鼻を刺す。
妙に温かくドロっとした感触が手を包む。
「くる…み……?」
「っ…大丈夫だよ〜……左肩がやられただけだから。」
繋いでくれたクルミの手は、クルミの左肩をぎゅっと押さえ始めた。
「何をしているかも把握せずに、ソレ撃っちゃうのよくないよ?」
クルミは立ち上がると同時に背中を向けた。
クルミの視線の先には、黒い何かを片手で構える黒服の姿があった。
「あーー、貴方でしたか〜……そう言えばこの時間にも来るんでしたよね〜」
いつも見せるあのおかしな態度が、今回だけ全くの別物に見えた。
あははと笑うクルミに、男は黒い何かを向けながら一歩一歩近づいてくる。
「この事故は貴様が関わっているな?いち使い捨ての飼育員にこのような真似できるはずがない。貴様、一体なにも──」
─バキッ!…グググ……
「しーっ……メ!ですよ〜……」
とても衝撃的な光景だった。
危険な男がクルミに手の届く距離まで詰め寄った瞬間、黒い何かをはたき落として、背後に回り首を絞め落としたのだ。
男はまるで気づいていないようだった。
何も知らないまま気絶した。
「……あ、こっちは大丈夫。そっちは?」
突然クルミは片耳を押さえて誰かと話し始めた。
はたき落とした黒い何かを拾った後、気絶した男の私物を漁る。
「もうすぐそっち行くから。」
いつもとは違う低い声のトーンだった。
そして、クルミは立ち上がり、いつもの雰囲気で微笑みかけた。
「そんじゃ、行こっか!」
目眩がしそうだった。
私に見せる顔と大人に見せる顔の違いに、ひどく混乱した。
でも……
「……うん。」
あの笑顔で自然と安心できた。
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「はぁ…はぁ…はぁ…!」
「大丈夫?やっぱ、抱っこして──」
「いらない。」
私とクルミは、爆発音の鳴る方へ向かう大人に見つからないよう、ただ上へ上へと階段を駆け上がっていた。
「足冷たくない?休憩する?」
ちょくちょくクルミはそんなことを聞いてくる。
別に裸足は慣れているし、休憩なんてしている場合じゃないぐらい分かっていた。
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そうして、なんとか私たちは階段を登りきり、踊り場というところで突っ立っていた。
ここは、他の階とは違かった。
「こっから廊下走るよ。大丈夫?」
目の前には、ただ暗い空間が広がっている。
先が見えない廊下。
人気のなくて、吸い込まれてしまいそうな……
「っ……」
「怖いなら抱っこ──」
「いらない。」
そんな会話が真っ暗な空間で反響する。
あははと笑うクルミはぎゅっと、穴の空いた肩を押さえた。
「イタいんでしょ。」
「こんなんで痛い痛い嘆くほど、私は甘タレじゃないよ〜?」
「みぐるしい。」
「うぐぅ……」
「……でも……その…ありがとう。」
「〜〜っ!」
クルミの瞳が広がっていく。
その直後、勢いよく私に抱きついてきた。
「?」
「うぅ〜いい子だなぁ……」
まるで痛みを忘れているかのように、強く私を抱きしめていた。
変にキズを触ったらいけないと、私は手を背中に回すのをやめる。
ずっと…こうしていたかった。
「あ、そろそろいかないとね。」
「うん。」
一呼吸入れたあと、クルミと手を繋ぎ、一緒に闇へと足を踏み入れ──
「ああ、ここにいましたか。」
─ダンッ!カカカカ!
「しゃがんで!」
「っ…」
クルミの声によって私はしゃがむ。
それと同時にキンッと、軽い鉄が壁にめり込む音がした。
暗くてよく見えない。
見えるとしたら……白い服?
「白衣……?いや、まずここに人なんか……」
「ええ、いません。皆、下の階へと降りていきました。貴方の……いえ、貴方たちのせいで……ですけどね。」
はくい? の男の両手から鈍く黒い光が見えた。
「何者ですか?貴方達は。」
「まず先にそっちから名乗るべきじゃない?」
暗闇に向かってクルミは話しかける。
しかし、暗闇からの返事はなかった。
ここで止まってはいけない。
クルミと私もそう分かっていた。
なんとか強引に走ろうとしても……
─ダンッ!カカカ!
「っ!?」
「行かせませんよ?」
「あーもう……」
不規則に曲がる何かのせいで、クルミと私の行く先を阻んでいた。
クルミの声から焦りが見えてくる。
「時間がないようですね?」
「はは、君がいなければ余裕あったんだけどね。」
─ダンッ!カカカ!
─ダンッダンッ
焦げた匂いと、大きい音とともに現れる光。
それが何度も何度も繰り返されていく。
「わかってる!お願いもう少し待って……!」
私はそこから動けずにいた。
初めて見るクルミの余裕のなさ。
感じる命の危機。
身体がうまく動かない。
何もできない……
─パシュ…
「うっ……」
何がが肉を穿く音がした。
怯んだのを待っていたかのように、クルミの身体に何かが何度も直撃していく。
クルミが膝から崩れ落ちる。
赤い血液が私の手を包む。
「くる……み……!」
「はぁ…はぁ…ごめん……しくじっちゃったぁ……」
「フフフ……終わりです。まったく…これほど捌かれるとは、貴方が初めてですよ?」
男はゆっくりと歩んでくる。
醜い笑みを浮かべ、私たちを見下ろしていた。
……ギラリと光るナイフを手に持って。
「紫…にげて……」
逃げる……そうだ、逃げるんだ……
『No.150。お外へ出るよ。』
逃げないと……
『怖いなぁ……』
にげ…ない……と……
『肉塊になったんだっけ?』
にげ……な……きゃ……
『幸せになるの!』
…っ!
「さて……まず、五体を切り離してから情報を──」
「やめて。」
「……ほう?」
ナイフからクルミを遮るようにして身体を大きく広げる。
心臓が跳ねている。
……あの時のようだった。
小さな窓しか見えないあの時のような。
でも…違う……
今は、違う……!
「やるなら……私にして!」
「……被験体。そこをどきなさい。」
「イヤだ。」
「どけ。」
「イヤだ!」
「…紫……」
男を睨む。
身体は震えている。
今にも吐きそうだった。
でも、初めてだった。
こんな私が、クルミのように動くだなんて。
こんな私が、こんな行動をとれるだなんて。
「そうですか。」
男はしゃがみ込み、私に視線を合わせ始めた。
ニコっと笑って首をかしげる。
男は、先ほどとは違う柔らかい声で──
「では、死んでください。」
「え?」
─ザク
熱い。
身体が熱い。
誰かが叫んでる。
視界が…ボヤけてくる……
痛い……痛い……
寒い。
「紫ー!!!」
死ぬ。死ぬんだ私。
身体に力が入らない。
「さて、次です。」
ナイフが抜かれた。
血が…流れ出ていく……
寒い…さむい……
『幸せになるの!』
しあわせ……
『花火っていうの。』
はな…び……
わたし……わたし…………
『これから君のこと、紫って呼んでいい?』
──死にたくない。
「ッ!?なぜ!」
「あ……え……?どう…して……?…むらさき……?」
身体が軽かった。
意識がハッキリとしている。
呼吸も、感触も正常だ。
その時、本能的に…というのだろうか。
手のひらが男の身体に吸い寄せられた。
ペタペタと右手を伸ばしながら歩く私。
男とクルミはただそれを見ていた。
2人共、違う瞳をしていた。
「ねえ。」
手のひらが、男の横腹に接触した。
「……ッ!貴方もしや、この実験の──」
「死んで。」
─ザク




