天敵
「だって貴方、本当に似てないから。」
蝶は距離を詰める。
気づけばスバルの眼の前に、掌が広がっていた。
「っ!」
スバルは後ろに下がり、身体をひねって回避する。
右手を流された紫は、すかさず左手を打ち込む。
が、それも紙一重でスバルは避ける。
その繰り返しだった。
過ぎていくのは時間と……
「はっ…はっ……ちっ…」
スバルの体力のみ。
息を吸うだけで現れる、突き刺すような肺の痛み。
絶対に逃げられず、触れたら部位破壊か即死の状況。
「くっ……」
避ける中、スバルは跪いた。
穴の空いた右胸を押さえて浅く呼吸する。
攻撃しても意味はなく、締める隙も作れない。
「あれ、タフじゃなかったの?」
紫はスバルを見下す。
「タフなはずなんだがな……」
ヘヘッと笑って、彼女を見上げる。
スバルの額に冷や汗が浮かび上がる。
紫の表情は変わらない。
いや、それよりももっと険しい表情だった。
「ま、頑丈だとしても一度肺を貫かれたらこんなもんだよ。わかったでしょ?貴方は私の下位互換。もう抵抗しないほうがいいよ。」
「ヘヘッ……必死なんだな、上位互換さん。」
─グラッ……
突然、視界がスバルから空へと移り変わった。
足を払われ、重心がずれる。
胸ぐらが掴まれおり、紫の身体は一瞬の浮遊感に包まれた。
(あ…受け身。)
衝撃を嫌い、紫は回転しうつ伏せとなった。
その一瞬の隙を卯月が見逃す訳もなく。
卯月は紫の首へ腕を巻きつけ、両脚を太ももの内側に通し、足の甲を紫の太ももの内側に引っ掛けた。
「ねえ、紫ちゃん。」
紫は確信する。
──転ばせたのは卯月だった。
背中から聞こえる淡々とした揺らぎのない声。
力は緩まず、抵抗すればするほど首が締まっていく。
紫は腕をつかんで、抵抗した。
「どうしてスバルに拘るの?」
「……」
答えは沈黙だった。
「ねえ、紫ちゃん。君はスバルの上位互換って言ったよね?」
卯月の力は強くなっていく。
「っ……」
「違うよ……全然違う。君は上位互換なんかじゃない。確かに君はしぶといよ?とても厄介でどう攻略すればいいのか分からない。でもね……紫ちゃん。」
黒い笑顔が覗き込むようにして、紫を見つめる。
「君、弱いよね?」
「……」
紫は目を合わせようとはしなかった。
「ああ、ごめん勘違いしちゃったかな。腕力の話だよ。今まで観察してきて分かった。君の戦い方は、その能力に頼ってきたもの。そうだよね、自分で戦うより、相手の攻撃を利用したほうが楽だもんね。」
手に力を入れ、拘束から脱出しようとするが……
─グググ……
そうするごとに、締めるが強くなっていく。
「だーめ、紫ちゃん。抜け出させないよ。……あはは、紫ちゃん知ってるよね、ボクってさ、スバルみたいに強くないから、こう…物理的に痛めつける……かな?そういうのができないんだ。できるとしたらこうやって……」
腕がさらに首を巻きつき始め、血流や呼吸が止まっていくのを感じた。
本格的に卯月は紫の首を絞めたのだった。
「苦しくさせることしかできないんだ。」
「っ……うっ……」
「紫ちゃん、地震とか打ってみる?それともボクの腕を破壊する?」
冷や汗を垂らした紫は爪を立てて卯月の腕を強く握った。身体を揺らし、逃れようと抵抗する。
真っ赤な血が腕から流れ出る。
「ボク、知ってるよ?君は、ボク…いや、ボク達姉妹を傷つけることができないって。」
「……なんで……わかったか……きい……ていい?」
「いいよ!ふふっ、それはね、紫ちゃんがお姉ちゃんを守るような立ち回りをしていた事と、そういう情報を聞いたからだよ。」
「だれ……から…き──」
「教えるわけないじゃん。」
グググと卯月の腕が、紫の冷たい首を圧迫していく。
「紫ちゃん。さっきスバルの上位互換って言ったことなんだけどさ、そんなに関係をハッキリさせたいならボクからも一つ言ってあげるよ。」
卯月の黒い笑みが、蝶を完全に捕える。
「ボクは紫ちゃんの天敵。その能力も、その口も、全部ボクが縛り付ける。紫ちゃん…もう、寝てて。」
スバルと卯月は最初から分かっていた。
紫の苦手な相手を。その理由を。
***
「『おーい!もしもーし!聞いてるのか!』」
「あ、父さん」
スピーカーのままだったスバルのスマホからお義父さんの声が聞こえてきた。
「『電話してもらった意図は分からないが、ちょうどいいタイミングだ。今、副産物に関する情報が新たに分かってな。その2人は、卯月くんを回収する任務に当たっているとのことだ。』」
っ…ボクを……
「『それでなんだが、副産物の一人を記したレポートがあの施設に残っていたんだ。……正直真っ黒焦げでちゃんと解読できているか分からないが……衝撃の再現?なるものがあるらしい。』」
「どういうことだよ?」
「『しーるーか。』」
「ちょっ!?」
ボクはスバル視界を遮るように身体を入れ、スマホに話しかける。
スバルごめん!
「すみません、えっと、ボクです!さっき襲撃にあったんです!」
「『は!?』」
「な、なんとか撃退したんですけど、えっと今…ルナが紫ちゃんと……いえ…その副産物らしい人と戦ってまして……その…!」
「『焦るのは分かるが、落ち着いてくれ。ルナくんが手こずってるとすれば、その副産物の可能性もあるだろうな。状況は分からないが、卯月くん。一つ言えることがある。』」
「は、はい!」
「『敵の目的は君だ。ならそれを武器にすればいい。前提として、君は殺されることはないだろう。だからそれを使って、戦況を有利にするんだ。鍵は君だ。』」
***
「……おやすみなさい。」
「くっ……うっ……わたし…私…は……っ!」
………………
…………
……
***
「おっはよー!」
「うぐっ!」
グランとベッドが揺れ、重い何かが私のお腹に落下してきた。
「重い……」
「失礼な!」
私の生活はクルミによって変わった。
鬱陶しいほど話しかけてくるし、鬱陶しいほど遊びに誘ってくる。
「も〜、子どもは遊ぶのが仕事なんだぞ〜?」
「いい。興味ない。」
「んじゃ、絵本でも読む?」
「興味ない。」
「それじゃあ、私のトキメキラブラブ馴れ初め物が──」
「いらない。」
「なんでさ!」
ベッドに座って毎日このような会話をする。
うるさくて、鬱陶しくて……
「紫。」
「……なに?」
「なんでもなーい!」
色があって……
……退屈のしない日々。
どのぐらい経ったのだろうか。
気づけば、クルミに触れる機会が増えた。
「時間です。」
「……はい。」
顔の見えない大人が来ると、クルミは変わる。
ひとこと言って、ただ後ろをついていく。
それでも、クルミの手を握るとどこか安心できた。
こっちを見ずとも、感触が語りかけてくれた。
冷たい世界だからこそ感じられる。
──人は温かいんだ。
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「ふんふふ〜ん」
「何してるの。」
いつの日のことだったか。
あの時、クルミは「すまほ」というものを眺めてニヤニヤしていた。
本来ダメなはずなのに、勝手に持ち出して、勝手に使っていたのだ。
「紫も見る?」
一緒に座ってくれる違反者クルミは、その「すまほ」の「しゃしん」というものを見せてくれた。
そこに写っているものは、黒い背景に満面なく広がる大きな花のようなものだった。
橙色という暖色から感じられる暖かさが、私の何かを刺激する。
ぐっと引き寄せられる繊細さに、私は目を奪われていた。
「……なにこれ。」
「これはね、花火っていうの。夫と祭りに行って撮ったんだよね〜!どう、綺麗でしょ〜?」
「はなび……これが……」
「……見たい?」
「え?」
花火の写真から、クルミの顔へと視線を変える。
視界に映ったクルミの顔に、私は違和感を覚えた。
いつもとは違う、悔しそうな笑顔。
それにどこか壁を感じてしまった。
「……見たい。」
それでも私は目を見て答えた。
それに対して、クルミはぎゅっと胸を抑えて……
「そっか、じゃあ絶対観に行こっか!」
いつものように、笑っていた。
「……っ…うん。」
私は大好きだった。
大好きだったんだ。
気さくに笑うあの顔が。
安心させてくれた声が。
繋いでくれた手のひらが。
──包んでくれた温かい感触が。
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─ジリリリリリ!
「おい、何事だ!」
「知らん、とにかく確認だ!」
外が騒がしい。
鐘の音がうるさい。
誰かが逃げて、誰かが怒って、誰かが焦って……
まだ眠たい時間なのにどうしてこうもうるさいんだろう。
外の世界は分からない。
私の世界は変わらない。
……別にどうでもいい。
もうすぐクルミがやってくる時間だ。
ただそれまで寝ていればいいだけ。
─ガチャ
……ほら、いつもみたいに鬱陶しい大声で──
「逃げるよ紫!」
「……え?」
それはクルミの声だった。
毛布から顔を出して、姿も見た。
赤い光の世界にクルミがいたんだ。




