むらさき
「No.107。お外へ出るよ。」
「はーい!」
また一人、この部屋から出ていく。
色とりどりの柔らかいクッションが至る所に張り巡らされ、青空を模した天井と、太陽を模したライトが子供たちを見守っている。
ここにいる43人全員が走り回れるような広さの部屋の中、私は一人、角に座っていた。
虹を模した滑り台。
鳥を模したシーソー。
雲を模したブランコ。
全て、作り物。
なぜ一人で座っていたのか。
私が口下手なのもある。
でもそれだけじゃない。
気味が悪かった。
目線の違う建物が。
大人が見せる薄い笑顔が。
「えぇー?」
「107!いっちまうのかよ〜」
「まだ、私と遊んでないじゃん!」
「ごめんねー!」
「……」
また、こんな会話だ。
大人達は言っていた。
ここは、皆が成長し、居場所を見つけることができる場所だと。
時が来れば、新しい自分に成れるのだと。
今日もその時だった。
みんなこの時を楽しみにして毎日を過ごしている。
……いや、それしか希望がないのかもしれない。
私含め、みんな気づけばここにいた。
親も、名前も、性格も、住んでいた場所も、仲の良かった子も、大好きな子も……
何もかも、憶えていなかった。
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「バイバーイ!」
「じゃあねー!」
「じゃあな!」
「……」
また一人…居なくなる。
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「また会お!」
「また!」
「……」
また一人……
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また一人…また一人……
新しい子も、帰ってきた子もいない。
部屋の騒がしさは減るばかりだった。
「149ちゃん、またね!」
「ばいばい!」
「……」
バタンと、扉が閉まる。
部屋はあまりにも広かった。
角から見れば、より分かる。
「えーっと…私たちだけだね。」
とある少女が私の隣に座る。
顔は見えない。
これと言って興味もない。
「……そうだね。」
「ねえ、なんでずっとそこにいるの?」
「……知らない。」
「教えないじゃなくて?」
「……」
広い部屋の角っ子で、私たちは沈黙する。
その後もずっと会話は途切れとぎれで、月日が経っても遊ぶほどでない関係のままだった。
ただ、孤独を紛らわすための相手。
最初は、愛想よく話しかけてくれたが、どんどん相手にもドロっとした黒が漏れ出ていた。
「……ねえ、私たちどうなるんだろうね。」
「……知ったところで…何も変わらない。」
「ははは、そうだよね。」
少女は天井を見上げる。
「やっぱり…怖いなぁ……」
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「No.149。お外へ出るよ。」
「は、はい…」
少女は隅から立ち上がり、前へ歩き出した。
顔の見えない大人と手を繋いだ後、私の方へ振り返る。
「えっと……。また、お話しよう?」
「……うん。」
みせる口元は不安定で、少し震える笑顔だった。
─バタン
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「…………」
広い部屋に対して、私は小さくなっていた。
背中を丸め、黒を見る。
浮かんでくるのは、子供たちが走り回る光景。
そっちのほうが…心地いい。
あれからどのぐらい経ったのだろう。
数え切れないほど、食事もして、お風呂も入って、角に座って……
何度も瞳を閉じて……何度も嫌になって……
「No.150。お外へ出るよ。」
「っ…」
何度も見た黒服の男が扉を開けた。
ドクンと心臓が冷ややかに跳ねる。
影でよく顔が見えない。
いや、見たくもない。
その時、昔聞いた誰かの言葉が、脳裏によぎった。
ああ…そうだ……
──私も、怖かったんだ。
先の見えない将来が。
どこか分からない不気味な世界が。
「……はい…」
─バタン
外の世界は、薄暗かった。
裸足に対して残酷に突き刺さる鉄の冷たさ。
天井の隅に並べられる明るくも暗くもない照明。
一見するとあの部屋の対に見えるだろう。
でも私には、同じ世界に見えた。
本質的に、何も変わらない。
子供ながらに私は気づいた。
この世界は、子供の為じゃない。
──大人の為にあるんだって。
しばらくすると、私は知らない部屋のベッドで仰向けになっていた。
眩しい光に、大人の影。
近くで、犬? の鳴き声も聞こえた。
「容体は問題ない。」
「では、始めよう。装置の準備だ。」
「まったく…原本さえ確保できていれば、効率も上がるのに。」
「余計な話は後だ。手を動かせ。」
私はベッドから起こされ、壁に埋まっている扉の向こうへ入れられた。
バタンと固く扉は閉められ、世界は小さな窓だけになる。
しばらくすると、隣にある扉の開く音が聞こえた。
犬らしき動物は吠え、抵抗しているようだった。
「一つ前の被験者は、肉塊になったんだっけか?」
「アレは被験者が不調だったからな。」
扉が閉まると同時に、ガタンと世界が揺れる。
「っ! うわぁああああ!!」
開かない。動かない。
きっと助けてなんて、聞いてくれない。
だから何度も叩いた。
だからずっと叫んだ。
拳の感覚がなくなるまで。
声が出なくなるまで。
心臓が破裂しそうだった。
心臓の音しか聞こえなかった。
流れ出る汗、震える手足、荒くなる呼吸。
死ぬんだ。
私じゃなくなるんだ。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
──小さな窓が見えなくなった。
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「おい、どういうことだ……?」
「知らん。装置の不具合だろう。」
その時の状況は今でも思い出せない。
しかし、後に手に入れた、私のレポートにはこう書かれていた。
結論から言うと、私と狼に変化はなかった。
通常、この実験の狼は肉体を失う。
そして被験体に身体的変化が必ず起きる。
それが実験の証しとなるのだ。
だが、私にはそんな特徴は見られず、消えるはずの狼もそこにあったという。
装置の不具合かを確かめるため、私の実験は延期となった。
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それからのことはよく覚えている。
それは数日が経った時のことだ。
私が薄暗い小さな部屋で過ごしていた時のこと。
扉の側で噂話をしている職員から盗み聞きしたこと。
──狼が死んだ。
何者かに殺された可能性は低いという。
病気にもかかっておらず健康そのもの。
しかし、狼は血溜まりの中で死んでいた。
失血死。それが死因だった。
調べていくうちに、一つ、わかったことがあったらしい。
それは、治癒能力が失われていたとのこと。
そして関わった者はこう推理したらしい。装置とやらに入れられるのを抵抗した時にできた、口元の傷。それが治ることなく、逆に広がっていき、ジワジワと血液が流れ出て、死んでしまったのだろう、と。
「……」
部屋の隅で、座っていた私は掌を見る。
何度も扉を叩き、感覚がなくなるまで酷使した右手。
骨は折れ、肉を貫き、血管が切断されている。
元々、そうなっていたはずだ。
でも、傷らしい傷は見当たらず、跡も、後遺症もない。
「いた…かった……」
思い返すと、痛みがよみがえってくる。
またいつか、連れて行かれる。
またいつか、受けさせられる。
またいつか、あの思いをする。
そう考えれば考えるほど……呼吸が上手にできなくなっていた。
それからだった。
─ガチャ
突然、部屋が解錠された。
「っ…」
薄暗い隅っこに、影と光が差し込んでくる。
「No.150。ついて来い。」
──死ぬのか。
真っ先にこの言葉が思い浮かんだ。
ヒヤリと氷が背中をなぞった気がした。
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「今日からお前はここで過ごせ。」
顔の見えない黒服の大人と向かった先は、少し広い鉄の部屋だった。
風呂、トイレ、机、ベッド、そして…時計。
あの小さな檻に無いものばっかり。
薄暗いのには変わらないが、今までとは少し違う、待遇のいい部屋。
「20分後にまた来る。」
そうして私は部屋の中に入れられ、バタンと重い扉が閉じられた。
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その後、大人はまたやってきた。
部屋を移動し、ベッドの上で仰向けになる。
覚えているのはこれだけだった。
いつの間にか、私は新しい部屋のベッドの上にいたのだ。
何をされるのか、何をされたのか……
知ることができなかった。
しばらくすると、安堵の気持ちが心の奥底に芽生えてきた。
「こわく……ない。」
何事も一瞬で終わる大人との会話。
本当は自分の知らないところで自分の身体をイジられることが一番怖いはずなのに、当時の私にとってはそんなこと、気にならなかった。
大人と会いたくない。
怖いのはイヤだ。
私の心はこれでいっぱいだったのだ。
それからというもの、一日一回、大人と少し移動して、目が覚めれば自分のベッドという日常が定着していった。
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「これからお前の飼育担当だ。」
「よろしくお願いします。」
大人が2人やってきた。
黒服の男と、作業着のようなグレーの服と帽子を深くかぶる長い黒髪の女。
「では。」
「はい。」
─バタン
「えーっと…よろしくね?」
男が去った後、ポリポリと頭を掻きながら挨拶をした。
今までの大人とは違う雰囲気。
「……」
隅っこに隠れる私にとって、別に関係はなかった。
──大人は嫌いだ。
「よっこいしょっと」
「っ!」
女は私と向かい合うように近距離で座り始めた。
大人が手を伸ばせば私の顔に触れられるような距離で。
「来ないでっ……」
「あ、ごめんごめん。」
そう言った後、あははと笑ってベッドに座り始める。
「あちゃー…第一印象最悪になっちゃったなぁ…」
そう分けのわからないことをつぶやいた後、女は話し始めた。
「ねえねえ、ここのご飯ってさ美味しいの?」
「……は?」
「そ、そんな睨まなくても……」
「……わからない。」
「えー?……後20分後に来るらしいしさ、ちょっと食べさせてよ。」
気さくな声に興味を覚える。
「ねえ…」
「なになにー?」
私は立ち上がって、女の目の前へ歩みだした。
「にじゅっぷんって、なに?」
「っ…」
素朴な疑問だった。
質問することは権利だ。
何度も投げかけたって問題ない。
あとは、相手が答えてくれるかどうか。
それなのに大人は……
「っ!?」
「そう…そうなんだね……ごめんね…ごめんね…」
私を抱きしめた。
温かい感覚が私を包む。
謝罪の言葉が意味もわからず私に投げかけられる。
困惑した。
全部全部、初めてだったから。どうすればいいのか分からなかった。
「……」
大人が手を握るだけでも吐きそうになるのに。
なんでこの人だけは、離れたくないって思ってしまうのだろうか?
本当に分からなかった。
でも……
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「いただきま~す!」
「……なにそれ?」
「いいから手を合わせてみて。」
女と私は机を囲むようにして、手を合わせた。
「これはね、感謝をするの。私たちの為に死んでくれた命に対して、私たちはそれを無駄にしない義務がある。」
「……よく分からない。」
「分かっていけばいいよ。」
色とりどりの刺身と真っ白な白米が私の目の前にあった。
「……豪華だなぁ…家も今日寿司にしよっかな……」
─ドバドバドバ
「ファ!?」
「なに?」
私はとある物を手に取り、刺身にかける。
「ちょっ、むらさき入れすぎ!」
「むらさき?」
「えっと…醤油のことだって!それだよそれ!って、あー!沈没しちゃってるよおい!」
「うるさい。」
気づけば中身は空になった。
お皿いっぱいの刺身は黒い液体の底にある。
「あかん……病気なる……」
「これ、おいしい。」
「もう末期じゃん……」
食べたがっていた女はしょぼんとしながらベッドに座った。
「むらさき好きなんだね。」
─もぐもぐ
「きいてないかぁ…」
─ごくん
「好き。」
「聞いてたぁ。」
「ねえ、なんでむらさきっていうの?」
そう聞いた瞬間、女は急に誇らしげになった。
「えへへ、日本は醤油を別名、紫って言ってたらしいんだよね。私、そういうのめっちゃ大好きだから、日常生活にも使っちゃおうって決めてるんだよねー。」
「ふーん。」
「あ、いいこと思いついちゃった!」
女は立ち上がって、私の向かい側に座り始める。
「No.150。そんなんじゃなんか冷たいし、呼びにくいからさ。これから君のこと、紫って呼んでいい?」
温かかった。
胸の奥からポカポカと何かが広がっていく。
私にみせる気さくな笑顔。
口元しか見えずとも、一目でいつもの大人とは違うと確信できた。
「いい…よ。」
「やった!よろしくね、紫。」
「……私も…なんて呼べばいい?」
女はハッと何かに気づいた素振りで、口をぽかんと開けた。
「私…まだ自己紹介してないじゃん!?」
女は焦りながらも帽子を外し、私を見つめた。
濃いブラウンの瞳に長い黒髪。
ニコっと笑って彼女は答える。
「羽田 胡桃。クルミってよんでね!」




